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フリージャズでなく〈多調〉を奏でるマイルス・デイヴィス

――今でこそ即興セッションに数多く取り組んでいますし、リーダーバンドのRS5pbにはフリー/アバンギャルドな要素もありますが、上京後に参加したurbはクラブジャズ寄りのジャムバンドでしたよね。そこからフリーな即興表現にはどのように進んだのでしょうか。類家さんの原点と言えるマイルス・デイヴィスもフリージャズとは距離を取っていたように見えます。

「マイルスって絶対にフリーにならないですよね。フリーっぽいことはやるんですけど、フリージャズはあまり好きじゃなかったと思う。でもギリギリのところまでは攻めていて。マイルスを聴いていると、フリーというより多調に感じます。俯瞰すると似ているけど、オーネット・コールマンやアルバート・アイラーのようなフリージャズには絶対に行かないという確固たる意志を感じる。僕はマイルスを入り口に、その枝葉のようにフリージャズを聴いていきました。

だから正直、最初からフリージャズが好きだったわけでもなくて。トランペットということでドン・チェリーは高校の頃から好きでした。でもドン・チェリーは、フリージャズというよりも〈ドン・チェリー・ミュージック〉としか言えないところがある。リーダー作からコドナ(コリン・ウォルコット、ナナ・ヴァスコンセロスとのグループ)までいろんなレイヤーはありますが、彼自身の音楽をやっていたと感じます」

――ギリギリのところまで攻めていた作品で、マイルスの好きなアルバムはなんでしょう?

「最初はマラソン・セッションから聴き出したんですが、親父が〈お前、マイルス聴くのか〉ってレコードを貸してくれて。それが『Sorcerer』(1967年)や『Nefertiti』(1968年)といった第2期黄金クインテットのアルバムでした。最初はわけがわからなかったですが、でもとにかくかっこいいなと。1960年代後半のロスト・クインテットも好きです。とことん混沌としているというか、出口の見えない感じが好きで。『Agharta』(1975年)や『Pangaea』(1976年)も好きでした」

――上京時はフリーな即興表現に手応えを感じていたわけではなかったのでしょうか?

「そうですね。ちゃんとジャズをやらないとダメだみたいな、変な強迫観念がありました。スタンダードを覚えてセオリーに則って演奏しなきゃって、ジャムセッションにも通いました。

でも当時はクラブ系に勢いがあって、2003年にはロイ・ハーグローヴのRHファクターが『Hard Groove』を出してますよね。ジャズとクラブシーンが接近した時代だったと思うんです。周りでもそういう音楽をやってる人がいたので、トラックの上でアドリブを取るソロライブもやっていたんです」

 

菊地成孔ダブ・セクステットで確信した〈自分の音楽を表現できればいい〉

――2000年代は渋さ知らズがフジロックに出始めたり、DCPRGやONJO(大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ)が人気を集めたりと、フリージャズ的なものも勢いがあったように思います。そうした音楽に接することはありましたか?

「もちろん知っていました。菊地成孔さんのDCPRGも、坪口昌恭さんの東京ザヴィヌルバッハも聴いていました。藤原大輔さんのphatとかも。今思うと日本独特というか、他の国にないことをやっていたと思いますね。でも僕は当時、クラブジャズ系のシーンにいたので、直接的な接点はなくて。そうしたことをやろうとも思っていなかったです」

――すると、どのようなきっかけでフリーな即興表現に取り組み始めたのでしょう?

「菊地さんのダブ・セクステットに入ったことが大きかったです。ダブ・セクステットで演奏するうちに自由な表現が合うなと感じたので。ああいうフォーマットでも音楽ができるんだなと」

――菊地さんとはどのように出会いましたか?

「ラクダカルテットという、カルテットじゃないんですけど(笑)、7〜8人編成のバンドがあったんです。今堀恒雄さんのティポグラフィカにいたキーボード奏者の水上聡さんが立ち上げたバンドで、ホーンセクションは流動的で、菊地さんが演奏することもありました。でも金管楽器がいなかった。で、ギタリストのテッシーさん(手代木克仁)から〈トランペットを探しているから観に行こう〉って誘われて。

テッシーさんはもともと水上さんとニューウェーブ系ロックバンドの東京少年をやっていた人で、吉祥寺でセッションしていたときに知り合いました。それで新宿ピットインのラクダカルテットのライブに行ったら〈今度来てトランペット吹いてよ〉って水上さんに言われて、次に行ったときステージに上がったら隣に菊地さんもいて。そこで知り合ったんです。

ライブが終わった後、菊地さんはちょうどダブ・セクステットの構想があったみたいで、〈今度バンド作るから一緒にやろうよ〉って誘ってくれて。実際に動き出すのは1年ぐらい経ってからですが、それがきっかけで参加しました」

――ダブ・セクステットに参加したことで音楽観に変化が生じたと。

「僕はジャズから音楽を始めたんですけど、ジャズというよりインプロビゼーションを主体とする音楽が好きで、そのためにはジャズが一番いいんじゃないかという気持ちで勉強し始めたんです。だからジャズミュージシャンになることが根本にあったわけじゃないなと気づいてきて。

ダブ・セクステットに入ったタイミングで、やっぱりそうだよな、自分の音楽が表現できればいいよなと合点がいって、自分のバンドも立ち上げました。それから即興のセッションにも呼ばれるようになって、徐々にクラブジャズ系とは別の界隈にも入っていった感じです」