ミクスチャーな音楽性で主役となったDragon Ash
2000年前後はヒップホップが盛り上がった時期でもあり、1996年に日比谷野外音楽堂で開催された日本のヒップホップの伝説的イベント〈さんピンCAMP〉と〈AIR JAM 2000〉の両方に出演しているSHAKKAZOMBIEのような存在もいたが、ヒップホップとロックが結びついたミクスチャーな音楽性でこの時期の日本の音楽シーンのトップに立ったのがDragon Ashだった。1999年にはZEEBRAとACOが参加したシングル“Grateful Days”と、この曲を含むアルバム『Viva La Revolution』がともにオリコン1位を獲得。2001年にはDragon Ashのツアーへの参加を契機に注目を集めたRIP SLYMEがメジャーデビューするなど、シーンを牽引する存在となっていた。
この時期はまだまだ〈邦ロック〉という言葉は使われていなかったように思うが、1997年の〈FUJI ROCK FESTIVAL〉、1999年の〈RISING SUN ROCK FESTIVAL〉に続いて、2000年に〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL〉が初開催されたことは、この後の〈邦ロック〉に大きな影響を与えたことは間違いない。そして、この記念すべき初年度の〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL〉で初日の大トリを務めたのがDragon Ashだった。まだ1ステージ制だったこの日のタイムテーブル後半は、Sugar Soul、ZEEBRA、ラッパ我リヤ、Dragon Ashという並びで、ロックフェスの初年度がこの並びだったのは今考えるととても興味深い。
なお、Dragon Ashは初年度から5年続けて同フェスのトリを務め、2000年代において計7回トリを飾っている。この数字だけを見れば、2000年代における〈邦ロック〉の主役はDragon Ashだったと言ってもいいのかもしれない。
ELLEGARDEN、RADWIMPSら時代に欠かせないバンド達の台頭
パンク、メロコア、ミクスチャーが盛り上がり、ORANGE RANGEがJ-POPとしても大成功した一方で、2000年代前半は90年代から活動を続けてきたカリスマ的なロックバンドが次々に解散した時期でもあった。2000年にBLANKEY JET CITY、2002年にNUMBER GIRL、そして、2003年にはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散。その一方で浮上したのが別の記事で書いた下北沢発のバンドたちであり、BUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONがその代表格となったわけだが、パンクのシーンを出自に持ちつつ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONらとも交流を持ち、シーンの新たなカリスマとなったのがELLEGARDENだった。
2006年に発表したアルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』はインディーズながらオリコン1位を獲得し、翌年には幕張メッセでのワンマンを開催。2007年と2008年には〈ROCK IN JAPAN FESTIVAL〉で2年続けてトリを務めてもいる。また、2004年にメジャーデビューし、アニメ「BECK」のオープニングテーマ“HIT IN THE USA”でブレイクしたBEAT CRUSADERSや、2006年に“恋のメガラバ”がヒットしたマキシマム ザ ホルモンなども、この時代に欠かせないバンドだと言えるだろう。
ELLEGARDENは2008年に活動休止を発表したが、同時期に新たなバンドシーンの顔役として浮上したのがRADWIMPSだ。アメリカ由来のパンクやミクスチャーからの影響はDragon AshやELLEGARDENとも共振しつつ、Mr.ChildrenからBUMP OF CHICKENへと至る日本のロックからも影響を受けた野田洋次郎の作家性は、今に続く〈邦ロック〉の源流として非常に大きなものだと思う。2005年にメジャーデビューをして、2006年に発表したアルバム『RADWIMPS 3 〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』が話題になると、“有心論”や“セツナレンサ”を含む次作『RADWIMPS 4 〜おかずのごはん〜』でトップバンドの仲間入りを果たしている。



