菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール『戦前と戦後』ジャケット画像

After the war

 TABOOレーベル第1弾は、先述のとおりペペ・トルンメント・アスカラール4年ぶりの新作『戦前と戦後』となった。同じ大編成でも70年代電化マイルスのアフロ・ポリ解釈によってヘルシーに客を踊らせようというDCPRGとは異なり、元来エロでグロな女優の畸形性を範にとり淫靡にドレスアップさせたペペの官能的サウンドは、リッチで背徳的な映像美が伴う。またアコースティックに聴こえながらエレクトリック処理がなされコンピュータライジングされたダブ・セプテットのウィットな4ビート感覚に較べ、ペペの編集なき具象感覚には現代音楽やタンゴやラテンのミクスチャーによる、荒涼とした夜行性の埃臭さが漂う。

 一番の目新しさは、ゲストにソプラノ歌手とラッパーとテキスト・リーダーを加え、菊地のヴォーカルをフィーチャーしたソングブックとなったこと。これまでも林正子のソプラノやカヒミ・カリィのシンギングを加え新しい成果を上げたことはあったが、今作に限りほぼ全編が何らかの〈ヴォイス〉に彩られていたのだ。

 「ひとつは2011年頃から自分がラッパーになるんだっていう自意識を持ち始めていて。ラジオ番組のオープニングで遊びでやったりしていたんだけど、やっと去年それがアルバムになり……。で、SIMI LABとの出会いがあって、DCPRGっていうのはアンダーグラウンド・ラッパーが鳴っていてもそんなに違和感がない。逆にペペのステージに彼らが出てきて、日本語でラップするとちょっとヤバいよなっていう話になり、一方で林正子さんっていうソプラノ歌手がバッチリ合い過ぎるぐらい自然にペペに刷り寄ってくる。それでこれはいいんじゃないかと……ペペではすでにオペラもやったしアンダーグラウンド・ヒップホップもやったし、せっかくソニーへ移籍したこともあるから思い切って全曲歌ものでいってみるかと思い。ただその段階でボクが歌うという意識はなく、ペペが伴奏するソングブックにするんだっていう。すると周囲の目が、菊地さん歌ったほうがいいですよってオーラをビンビン出してくるわけ。そういえば全編自分のヴォーカルでアルバム作ったことなかったな。新しいかもなって、ついつい新しさの魅力に負けてしまったんです(笑)」

 林正子、SIMI LABのOMSB、DyyPRIDE、女性覆面ラッパーICI、アマチュア仏人少女、キップ・ハンラハンとその娘……ゲスト参加は多種にわたる。そしてディック・ミネ、薬師丸ひろ子、小泉今日子、フランク・オーシャン、ハンラハンの持ち歌に、自作NHKドラマ主題歌や書き下ろしも加えて(戦前から、昨年までのいわゆる戦後に作られた)11曲中10曲が歌ものとなった。そして今回アルバム・タイトルにし、そのままテーマともなった懸案の〈戦争〉の意味合いについてである。じつはこの話、そう単純なものではなかったのだ。

 「1999年、DCPRGを作った時から戦争に対する意識があり、日本はずっと戦争をしてないから紛争もない。当時尖閣諸島問題もなく竹島問題もなく、北方領土も凍結中で全然ヒリヒリしていなかった。もしそんな日本に戦争が来たらどうなるんだ、ってことでDCPRGは始まったんです。これはブラック・ジョークですけど、『アイアン・マウンテン報告』という作品で平和ボケしている日本に70年代マイルスの混沌としたサウンドであたかも戦場を再現するかのごとく音楽を引きずり出すんだっていうのが、図式的に言うDCPRGの結成目的だったんです。ある種それが予言的になっちゃって、気がつくと少なくとも北東アジアの緊張状態なんて、もう誰もがヒヤヒヤするような時代になってしまった。今はそういう意味で日本は戦前なんですよ」

 敏感な人はすでに(現政権の極度な極右化も拍車をかけ)、近い将来やって来そうな次の戦争に対する恐怖から鬱病をも発症する状態にある。戦前のそんな鬱状態ではなく、菊地はそれを乗り越えたあとの復興後の人間の輝きにこそ健全な肉体を見るのであり、そしてこのアルバムを制作するに至った理由である。危険な言い方になるが、長期間にわたる完全な無戦争状態から来る無気力なデカダンへの陥没と、アニメの美少女が地球を防衛する戦いに唯一活力を見出そうとする疑似体験にしか、今は希望を見出せない時代になっているようだ。そんな中、つまり代替物を分割していたところその上にリアルが乗ってくるという、じつに恐ろしい時代が迫ってきていた。ペペの音楽は、そうしたネジレや恐怖から日本を救い出そうとしているのかも知れない。しかしここに存在するのは、すべての恐怖を取り払ったような、なんと官能的音楽であろうか。