あれかこれかから、あれもこれも。選ばない、排除しないために。

 「僕は聴かれるよりも読まれることの方が多い」と愚痴をこぼす音楽家がいた。コンサートチケットよりも、アルバムよりも本のほうが売れるというような意味だった。音楽家が本に残した言葉を拾えばその音楽も聴いた気分になれる。確かにいつの頃からか読むことが聴くことに先んじるようになったと思う。難解な音楽という先入観が聴衆を文字に向かわせるのかもしれない。コンサートに足を運べば開演前にプログラムノートを熱心に目を通し、これから演奏される音を受け入れる準備を整える。もはや当然の作法だ。でも、ときにはこれから演奏される耳にしたことのない音響の中で我を見失ってもいいじゃないか。’86年12月8日にサントリーホール国際作曲家委嘱シリーズで演奏されたジョン・ケージの世界初演“エトセトラ2”を聴いたとき、本当にそう思った。

 四人の指揮者が4群に分けられたオケを振り、壇上から降りてくる音と沈黙に巻き込まれて突然、謎の沈黙を突きつけられる。聴いている間、いったいどこにいたのかもわからなかった。拍手でようやく我に帰って「ほんまに実験やな」と隣席の友人と爆笑したことを覚えている。

 コンサートに駆けつけたのは’82年に出版されて今回新装版がリリースされた「小鳥たちのために」がきっかけだった。本書はケージと音楽学者のダニエル・シャルルの対談集でケージの思想を日本語で本格的に紹介した最初の本のひとつだった。本書は音楽ファン以上にアートや政治、哲学に関心のある人にも広く読まれていたと思う。当時、地方のジャズ喫茶で文化人を気取る常連はみんな持っていたと思うし、僕もその一人だった。易経や禅といったトピックやケージ独特のユーモアもあってとてもエキセントリックな彼の考えがとても平明に伝わり、あっという間に感化された。そして「私が考えているような音楽は何も押し付けないと思いますよ。音楽は私達の見方を変え、私達を取り巻くものを芸術として新たに見つめ直させることができるでしょう」と本書でケージが語り、チャンスオペレーションという手法を用いて生成させる音響空間を実際に経験してみたくなったわけだ。

JOHN CAGE, ダニエル・シャルル, 青山マミ 『ジョン・ケージ 小鳥たちのために 新装版』 青土社(2025)

 あらためて本書を読み返すと、ケージ自身がさまざまなことについての自分自身の見方を変え、周りにあるものを見つめ直してきたことがよくわかる。自身の考えや芸術が固定しないように注意深く見つめ直し、修正や放棄することを厭わないケージの姿勢はときに矛盾することもあっただろう。しかし矛盾や逆説を受け入れて生きることで自由が生じ、慣習のケージから飛び立つ小鳥に成ることができると、本書の言葉たちは感じさせてくれる。