1996年2月27日にゲーム「ポケットモンスター 赤・緑」が発売されてから、30周年を迎えようとしており、アニバーサリーを祝う動きが加速している。そこでMikikiは、初代「ポケモン」の音楽に着目。増田順一(元ゲームフリーク取締役、現株式会社ポケモンチーフ・クリエイティブ・フェロー)が作曲し、当時ゲームボーイから矩形波などで再生されたBGMは、ゲーム性や物語とともに多くのプレイヤーの脳裏に焼き付いている。そんな「ポケモン」の音楽について、音楽家の佐藤優介(想像力の血)に綴ってもらった。

なお初代「ポケモン」の音楽は1997年に『ゲームボーイ『ポケモン』のサウンドがまるごと入って、遊べるCD』としてリリースされたほか、現在は下記『ポケモン 赤・緑 スーパーミュージック・コレクション』(2016年)で聴くことができる。 *Mikiki編集部

『ポケモン 赤・緑 スーパーミュージック・コレクション』 ポケモン(2016)

 

現代ゲーム音楽は本当に〈豊か〉か?

現代のゲーム音楽は、いまや一般の音楽文化ともほとんど変わらない、自由で無制限な制作環境を手に入れたといえるでしょう。大編成のフルオーケストラはもちろん、実在のアーティストによるボーカル曲が挿入されることも珍しくはありません。たとえば、2022年に発売された「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」では、エンディングテーマとしてエド・シーランの楽曲が起用されたことも大きな話題になりました。では、こうした現実世界とほぼ同化した〈自由さ〉を手に入れた現在の状況は、果たしてゲーム音楽の表現を〈豊か〉にしたといえるのでしょうか。

かつてのゲーム音楽は、明確な〈制限〉のもとに存在していました。同時発音数はわずか、使える音色も限られ、ビット数も低く粗い音像にならざるを得ない。ゲーム音楽の作曲家は、頭の中に鳴っている音楽をそのまま再現することは許されず、〈どう削るか〉〈何を残すか〉という選択を常に強いられてきました。しかし、その結果として、わずか数音で世界観や感情を想起させる〈ゲームならではの音楽〉を生み出すことにも成功していたのです。

初代「ポケットモンスター」が発売された当時のゲームボーイの音楽もまた、きわめて制限の多い環境のもとで制作されていました。和音を鳴らせば旋律が削られ、効果音を鳴らせば音楽が途切れる。音色を重ねて厚みを出すことも、実際の楽器のニュアンスを再現することも、ほとんど不可能な環境だったといえるでしょう。しかし、だからこそ当時のゲーム音楽は、今もプレイヤーの記憶に強く残っているのではないでしょうか。

 

増田順一が制約の中で生んだ印象的な音楽

増田順一氏が手がけた初代「ポケットモンスター」の音楽には、後のシリーズ作品やアニメ版にも受け継がれているメロディーが数多く存在します。これは決して単なるノスタルジーなどではなく、制約の多い環境の中で彼が生み出したサウンドが、いかにアイコニックで印象的な音楽だったかを証明するものといえるでしょう。

たとえば、プレイヤーが最もよく耳にするであろう戦闘曲の、わずか数秒ながら衝撃的で緊張感にあふれるイントロは、現在においてもなお鮮烈な印象を与えてくれるでしょう。また“トキワの森”や“おつきみ山のどうくつ”、“シオンタウンのテーマ”など、不協和音によって不安感や哀愁が巧みに演出された音楽は、今なお独特の存在感を放っています。そこには、作曲者自身が愛聴していたと語るストラヴィンスキーをはじめとするクラシック音楽の影響も色濃く感じられます。

ゲーム中で一度だけ訪れることのできる“サントアンヌ号”では、バッハを思わせるような美しい対位法を用いた音楽も聴くことができます。先述したような技術的制約の大きかった当時の環境において、クラシック音楽における対位法のような手法を取り入れることで、作曲家は限られた音数でも魅力的な音楽を生み出すことができたのです。

 

研ぎ澄まされた〈あえて語らない〉という選択

これらの音楽は、現代のゲーム音楽と違い、決してすべてを語ろうとはしません。むしろ語らなさゆえに、プレイヤーの側に想像の余地を残していたといえるでしょう。簡素な矩形波のサウンドから、私たちは広大なフィールドや、まだ見ぬ物語の先を自然と補完していました。音楽はただの背景ではなく、私たちの想像力を起動するためのスイッチのような存在でもあったのです。

一方、現代のゲーム音楽においては、技術的制限はほぼ消滅し、オーケストラも、民族音楽も、テクノやヒップホップといった現代のポピュラー音楽も、また環境音でさえも現実と区別のつかないクオリティで自由に組み込むことができるようになりました。しかし、その〈自由さ〉は、ゲームにおける〈豊かさ〉と本当に結びついているのでしょうか。すべてを描写し、説明し、感情の起伏すらも音楽が先回りしてしまうとき、プレイヤーが入り込む余白はどこに残されているでしょうか。

もちろん、昔の制作環境に戻る必要などはありません。現代のゲーム音楽が本当に豊かであるためには、〈語ること〉を過剰にするのでなく、〈あえて語らない〉という選択を、再び自覚的に引き受ける必要があるのではないでしょうか。

制限があるからこそ生まれる表現があるということ、限られた手段の中で何を鳴らすべきか、また何を鳴らさないでおくべきか、その研ぎ澄まされた判断こそが、結果として強い表現を生んでいたということを、初代「ポケットモンスター」の音楽は今も私たちに教えてくれるでしょう。