リヒャルト・シュトラウスが生んだ世紀の傑作を、カール・ベームによる指揮で1955年に録音した名盤『R.シュトラウス:歌劇《影のない女》全曲』。“影のない女”史上、頂点に君臨する演奏を収録した同作が最新リマスタリングを施した世界初のSACDハイブリッド盤として、タワーレコード限定でリリースされた。

そこで今回、復刻にあたって新規の序文解説も担当した音楽学者・音楽評論家の広瀬大介に、カール・ベーム盤の音源の歴史的価値を解説してもらった。 *Mikiki編集部

KARL BOHM, WIENER PHILHARMONIKER, LEONIE RYSANEK, ELISABETH HONGEN 『R.シュトラウス:歌劇《影のない女》全曲(1955年ステレオ録音)<歌詞対訳付>(2026年リマスター)』 TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE SA-CD COLLECTION(2026)

 

シュトラウスが持てる技術をすべて注ぎ込んで作り上げた傑作“影のない女”

19世紀のバイエルン王国に生まれ、ドイツ帝国、ヴァイマール共和国、第三帝国、戦後の時代まで85年の生涯を生き抜いたリヒャルト・シュトラウス(1864~1949年)。偉大な音楽家としての毀誉褒貶を経て、交響詩・オペラ・歌曲のジャンルにおいては、現在もその作品を避けてとおることはできない、クラシック音楽界における重要人物のひとりである。

オペラの世界において、シュトラウスが作曲した最大のヒット作は“ばらの騎士”。これに次いで、“サロメ”“エレクトラ”が頻繁に上演される。もっとも、シュトラウスはその85年の生涯において15作のオペラを作曲しているものの、ドイツにおいてはこれに加えて“ナクソス島のアリアドネ”“影のない女”“アラベラ”“カプリッチョ”の上演機会が比較的多い程度。それ以外の8作品はめったに舞台にかからないのが残念なところ。

シュトラウスの最高傑作たるオペラはなにか、と問われたとき、一般的に名前の挙がる作品は、上記のとおり“ばらの騎士”が断トツの人気を誇る。もちろん筆者自身も“ばらの騎士”を愛することでは人後に落ちないが、シュトラウスがみずからの持てる技術をすべて注ぎ込んで作り上げた傑作として、“影のない女”を挙げないわけにはいかない。

台本を担当したオーストリアの作家、フーゴー・フォン・ホフマンスタールにとって自身の創作活動は、古典を翻案することで現代にその世界観を取り戻そうという壮大な試みであった。その想いを共有したシュトラウスも、台本への付曲に万全を期す。とはいえ、その象徴性〈影がない=子どもを産む能力がない〉という設定を、オペラの中で十全に表現することは難しく、その約束ごとを、限られた枠組みで表現することには難渋した。

ホフマンスタールはオペラが完成した後、あらたにこの世界観をみずから補筆するようなかたちで、小説へと書き直してもいる。ふたりにとっては、手のかかる子どもに対するような愛情を注ぎ続けた作品でもあった。

“影のない女”は、第一次世界大戦の前に構想され、戦中に執筆・作曲され、戦後に初演されるという稀有な運命をたどってもいる。1919年秋にはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、そしてその就任を祝うメインイベントとして、本作の初演が控えていた。一流歌手の競演、共同で同歌劇場の音楽監督を務めるフランツ・シャルクの指揮、オーケストラの精緻な演奏による、まさに贅を尽くした初演であった。まだ見ぬ子どもを欲しいと夢見る2組の夫婦の肖像は、そのまま世界大戦で疲弊し、傷つき、帝国を喪ったばかりのオーストリアにとって、あらたな再生への希望と結びついたことだろう。

 

演奏から70年、カール・ベームによる録音がいま蘇る意義

晩年、ドイツ最大の音楽家として称賛され(同時に時代遅れの存在として祭り上げられてもいた)シュトラウスの作品群を積極的に指揮して、自他ともにシュトラウス作品を知り尽くした存在として認められたのが、カール・ベーム(1894~1981年)だった。第二次世界大戦の爆撃でウィーン国立歌劇場は破壊されるが、1955年になってようやく再建され、あらたなこけら落としのためにふたたび“影のない女”が選ばれた。本作におけるあらたな初演、といってもよいかもしれない。このウィーンでの上演にも最高の歌手が呼ばれ、評判を呼び、ほぼ同じキャストで後日録音セッションが組まれた。現時点でもなお、この演奏を凌駕するほどの録音を見つけるのは難しいほどのすぐれた記録である。

ベームのこの作品にかける思いを知れば知るほど、今回のリマスタリングには心が躍る。しかもSACD層で聴けるのだから、これほど嬉しいことはない。後年のベームによる本曲の録音を聴くと、さまざまな理由から大幅なカットを余儀なくされていることがわかるので、スコアの音をほぼあまさずに(第3幕の后のモノローグなど、まったくカットがないわけではないのが残念だが)収録した1955年録音がいまこのタイミングで蘇ることは、ベーム自身の意志をも継ぐものだろう。

演奏から70年を経て、いまなおこの音源の価値はいささかも色褪せていない。全体的な完成度においてこの録音と肩を並べうるような演奏が登場するまでには、一世代後、1990年代のゲオルク・ショルティ盤(Decca)かヴォルフガング・サヴァリッシュ盤(旧EMI)を待たねばならない。

 


RELEASE INFORMATION

KARL BOHM, WIENER PHILHARMONIKER, LEONIE RYSANEK, ELISABETH HONGEN 『R.シュトラウス:歌劇《影のない女》全曲(1955年ステレオ録音)<歌詞対訳付>(2026年リマスター)』 TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE SA-CD COLLECTION(2026)

リリース日:2026年4月29日
品番:PROC-2486
価格:7,805円(税込)
SACDハイブリッド3枚組

TRACKLIST
DISC 1
第1幕

DISC 2
第2幕

DISC 3
第3幕

■演奏
皇帝:ハンス・ホップ(テノール)、皇后:レオニー・リザネク(ソプラノ)、乳母:エリーザベト・ヘンゲン(メッゾ・ソプラノ)、伝令使:クルト・ベーメ(バリトン)、敷居の護衛者:エミー・ローゼ(ソプラノ)、若い男の幻影(幽霊):カール・テルカル(テノール)、鷹の声:ユーディット・ヘルヴィッヒ(ソプラノ)、天上からの声:ヒルデ・レッセル=マイダン(コントラルト)、バラク(染物師):パウル・シェフラー(バス・バリトン)、染物師の妻:クリステル・ゴルツ(ソプラノ)、バラクの兄弟たち:ハラルド・プレグルヘフ(バス)、オスカー・チェルウェンカ(バス)、マレー・ディッキー(テノール)、夜番たちの声:アルフレート・ペル(バス)、エーベルハルト・ヴェヒター(バス)、リュボミール・パンチェフ(バス)、生まれざる子供たちの声:リーゼロッテ・マイクル(ソプラノ)、ルチルデ・ベッシュ(ソプラノ)、ベルタ・ザイドル(ソプラノ)、エディット・プリースナー(コントラルト)、ゲルトラウト・バステツキー(コントラルト)、三人の従者たち:エミー・ローゼ(ソプラノ)、アニー・フェルバーメイヤー(ソプラノ)、ヒルデ・レッセル=マイダン(コントラルト)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カール・ベーム(指揮)

■録音
1955年11月&12月 ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール

■Original Recordings
Recording Producer:Victor Olof, Peter Andry
Balance Engineer:James Brown, Cyril Windebank

■原盤
Decca

■Remaster
DSD Remastered by Classic Sound, 2/2026
英Classic Soundにて、本国のオリジナルアナログマスターテープからダイレクトにDSD変換とマスタリングを行い、SA-CD層用のDSDマスターを制作。CD層用にはこのDSDマスターから44.1kHz/16bitにPCM変換を行い、CDマスターを制作。

■First LP Release
LXT5180/84(MONO)

※限定盤。SACDハイブリッド盤。ステレオ録音。世界初SACD化
※2026年最新マスタリング音源使用(英Classic Soundにて、本国のオリジナルアナログマスターテープからダイレクトにDSD変換とマスタリングを行い、SA-CD層用のDSDマスターを制作。CD層用にはこのDSDマスターから44.1kHz/16bitにPCM変換を行い、CDマスターを制作。アナログマスターテープはその経年劣化と保存状態に応じて、可能な範囲で入念な修復作業を行った後に変換作業を実施)
※オリジナルジャケットデザイン(初出時のMONO盤)を使用
※マルチケース仕様
※盤印刷面:緑色仕様
※一部オリジナルアナログマスターテープに起因するノイズ等があります。ご了承ください
※解説:広瀬大介氏(新規序文解説)、長谷川勝英氏(新規作品&演奏家解説)、歌詞対訳付(渡辺護氏訳。国内盤初出時の翻訳をそのまま流用しております。ご了承ください)、解説書合計96ページ