リヒャルト・シュトラウスが生んだ世紀の傑作を、カール・ベームによる指揮で1955年に録音した名盤『R.シュトラウス:歌劇《影のない女》全曲』。“影のない女”史上、頂点に君臨する演奏を収録した同作が最新リマスタリングを施した世界初のSACDハイブリッド盤として、タワーレコード限定でリリースされた。
そこで今回、復刻にあたって新規の序文解説も担当した音楽学者・音楽評論家の広瀬大介に、カール・ベーム盤の音源の歴史的価値を解説してもらった。 *Mikiki編集部

シュトラウスが持てる技術をすべて注ぎ込んで作り上げた傑作“影のない女”
19世紀のバイエルン王国に生まれ、ドイツ帝国、ヴァイマール共和国、第三帝国、戦後の時代まで85年の生涯を生き抜いたリヒャルト・シュトラウス(1864~1949年)。偉大な音楽家としての毀誉褒貶を経て、交響詩・オペラ・歌曲のジャンルにおいては、現在もその作品を避けてとおることはできない、クラシック音楽界における重要人物のひとりである。
オペラの世界において、シュトラウスが作曲した最大のヒット作は“ばらの騎士”。これに次いで、“サロメ”“エレクトラ”が頻繁に上演される。もっとも、シュトラウスはその85年の生涯において15作のオペラを作曲しているものの、ドイツにおいてはこれに加えて“ナクソス島のアリアドネ”“影のない女”“アラベラ”“カプリッチョ”の上演機会が比較的多い程度。それ以外の8作品はめったに舞台にかからないのが残念なところ。
シュトラウスの最高傑作たるオペラはなにか、と問われたとき、一般的に名前の挙がる作品は、上記のとおり“ばらの騎士”が断トツの人気を誇る。もちろん筆者自身も“ばらの騎士”を愛することでは人後に落ちないが、シュトラウスがみずからの持てる技術をすべて注ぎ込んで作り上げた傑作として、“影のない女”を挙げないわけにはいかない。
台本を担当したオーストリアの作家、フーゴー・フォン・ホフマンスタールにとって自身の創作活動は、古典を翻案することで現代にその世界観を取り戻そうという壮大な試みであった。その想いを共有したシュトラウスも、台本への付曲に万全を期す。とはいえ、その象徴性〈影がない=子どもを産む能力がない〉という設定を、オペラの中で十全に表現することは難しく、その約束ごとを、限られた枠組みで表現することには難渋した。
ホフマンスタールはオペラが完成した後、あらたにこの世界観をみずから補筆するようなかたちで、小説へと書き直してもいる。ふたりにとっては、手のかかる子どもに対するような愛情を注ぎ続けた作品でもあった。
“影のない女”は、第一次世界大戦の前に構想され、戦中に執筆・作曲され、戦後に初演されるという稀有な運命をたどってもいる。1919年秋にはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、そしてその就任を祝うメインイベントとして、本作の初演が控えていた。一流歌手の競演、共同で同歌劇場の音楽監督を務めるフランツ・シャルクの指揮、オーケストラの精緻な演奏による、まさに贅を尽くした初演であった。まだ見ぬ子どもを欲しいと夢見る2組の夫婦の肖像は、そのまま世界大戦で疲弊し、傷つき、帝国を喪ったばかりのオーストリアにとって、あらたな再生への希望と結びついたことだろう。