荻野目洋子“ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)”が取り込んだ〈ハイエナジー〉
そんななか、ポップスの最先端を生み出してきたディスコシーンに新しい波がやってきます。〈ハイエナジー〉と呼ばれるそれは主にヨーロッパで盛り上がり、ソウルやファンクをベースにしたかつてのディスコミュージックとは異なる、言わばディスコを電子化したもの。代表的なアーティストと言えばデッド・オア・アライヴでしょうか。
ハイエナジーはほどなくしてメロディーの際立ったユーロビートや、ハウス、テクノに進化していったわけですが、その後のクラブミュージックの風景を変えたということで重要な意味をもったハイエナジーを、歌謡曲を進化させていくうえでも取り込まない手はない!……と実際に言ったかどうかは定かではありませんが、1985年11月に荻野目洋子が“ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)”をリリースします。歌謡曲とダンスミュージックの関係は1970年代ディスコブーム以来しばらく縁遠くなっていましたが、ここで復権したと言ってもいいでしょう。荻野目ちゃん自身も初のTOP10入りヒットを手にしました。
高揚感あるダンスビートと日本人にもすんなりと受け入れられるメロウ感をもったユーロビートは、荻野目ちゃんのブレイクをきっかけにカバーするシンガーが増えていくのですが、おいそれとは歌えない。やはりダンスにしろ、歌唱力やリズム感にしろ、ある程度しっかりとしたコじゃないとキマらないわけで。ダンシングヒロインに適った荻野目ちゃんは“ダンシング・ヒーロー”でイメージを刷新したあと、ダンスビートを基本路線にヒットを続け、そのテイストで染め上げたアルバム『NON-STOPPER 荻野目洋子 “The BEAT” Special』を翌1986年12月に発表します(そして1987年の年間アルバムチャートでNo.1に)。
荻野目ちゃんのヒットが種蒔きとなって、1986年夏以降はまさにユーロビートをはじめとする洋楽日本語カバーの隆盛期でした。石井明美“CHA-CHA-CHA”(フィンツィ・コンティーニ)、石川秀美“LOVE COMES QUICKLY 〜霧の都の異邦人〜”(ペット・ショップ・ボーイズ)、長山洋子“ヴィーナス”(バナナラマ)、少女隊“君の瞳に恋してる”(ボーイズ・タウン・ギャング)などなど。
1987年に入ると、早見優が“ハートは戻らない”(レディ・リリィ)で3年ぶりに「ザ・ベストテン」にランクインしたほか、松本典子“KEEP ME HANGIN’ ON 〜誘惑を抱きしめて〜”(キム・ワイルド)、そしてBaBeのデビュー曲“Give Me Up”(マイケル・フォーチュナティ)がリリースされています。数で言えばそんなに多いわけではないけれど、荻野目ちゃんのみならずカバーを取り上げたシンガーにとってのブレイク曲になったりすることが少なくなかったので目立っていた印象もあります。とくに石井明美“CHA-CHA-CHA”はテレビドラマ「男女7人夏物語」の主題歌ということでドラマの人気にも乗って大ヒット。1987年の「男女7人秋物語」の主題歌になった森川由加里“SHOW ME”(カバー・ガールズ)もそう。
1988年にはルベッツのヒット曲(1974年作)をユーロ調に仕立てたカバー“Sugar Baby Love”でWinkがデビュー。彼女たちはその後も“愛が止まらない 〜Turn it into love〜”(カイリー・ミノーグ)、“涙をみせないで 〜Boys Don’t Cry〜”(ムーラン・ルージュ)などカバーヒットを立て続け、果ては国産ユーロビート“淋しい熱帯魚”を大ヒットさせるなど、もはや歌謡曲がユーロビートを完全に呑み込んだことを実証しました。
洋楽の日本語カバーブームが残したものは……
近年は許諾関連のわずらわしさや金額的な問題、それ以前に許諾不可といった状況もあって、洋楽の日本語カバーというのもほとんど聴かれなくなりました。あの頃、とくに1980年代半ばのユーロビートカバーの隆盛期は、適当な日本語詞を乗せても許されていたようだし、レディ・リリィとかフィンツィ・コンティーニとかカバー・ガールズとか、日本語でカバーされたから名前が知られたといった類いのアーティストの楽曲は、きっと許諾もラクで安価だったのかも知れません……いや、そうだったのでしょう。
それゆえに、1988年に松浦勝人がエイベックス・ディーディー(現・エイベックス)を設立し、ユーロビートを主としたレコードの輸入卸売業をはじめて成果を上げることができたわけだし、1990年には立ち上げたばかりのレーベルavex traxから『SUPER EUROBEAT』シリーズのリリースを開始。現在も続く人気コンピレーションになったわけです。
ハイエナジー/ユーロビートの現地化は、その時期の歌謡曲に新しいスタイルを与えただけでなく、長いスパンで音楽産業に大きな影響を及ぼした、振り返れば結構大きな事件だったんじゃないかと思います。
