
悩める日々
ウィーザーの歴史は、コネチカット州マンスフィールド育ちのリヴァース・クオモが高校で組んだメタル・バンドと共にLAへ移ってきた89年から始まっている。そのバンドを解散したリヴァースはパトリック・ウィルソンと出会い、友人のマット・シャープ(ベース)の家に引っ越したあたりから、旬を迎えつつあったオルタナティヴ・ロックに傾倒。いくつかのバンド結成と解散を経てジェイソン・クロッパー(ギター)が加わり、92年に結成されたのがウィーザーだ。その年の秋にバンドは〈The Kitchen Tape〉と呼ばれるデモを録音。そのテープがゲフィンのA&R担当の耳に届いたことで、彼らは順調にメジャー契約を手にしている。
当初セルフ・プロデュースを望んだ彼らではあったが、レーベルからプロデューサーを付けるよう指示され、最終的にはカーズで知られたリック・オケイセックをプロデューサーに指名。93年の8〜9月にかけてNYのエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングされたのが、94年のファースト・アルバム『Weezer (Blue Album)』である。制作期間中には私生活の事情から不安定な状態に陥ったジェイソンが脱退するというアクシデントもありながら、録音が済んでいた彼のギター・パートはすべてリヴァースが録り直し、並行して後任のギタリストにブライアン・ベルを招いて(音源におけるブライアンの参加はヴォーカルのみ)、かの有名なジャケットには4人の姿が並ぶこととなった。“Buddy Holly”や“Say It Ain’t So”“Undone - The Sweater Song”といったシングルが人気を博したこのアルバムは全米16位まで上昇し、翌95年の時点でトリプル・プラチナを獲得。現在では〈史上最高のデビュー・アルバム〉や〈90年代を代表するロック・アルバム〉のひとつとして名盤認定されており、時代や世代を超えて長く愛されている。
ただ、いきなりの大成功はメンバーそれぞれを混乱させるものでもあったようで、故郷に戻ったリヴァースは成功への複雑な感情やツアーへの葛藤を表現したロック・オペラ作品『Songs From The Black Hole』を次作として構想するに至る。95年を通じての断続的なセッションでバンドは彼のヴィジョンを形にしていくが、同年末にリヴァースはハーバード大学に進学し、そこで孤独とフラストレーションを経験したことによってソングライティングの傾向も大きく変化したため、アルバムのアイデアは破棄されることになった。そんななか、マット・シャープは新たにレンタルズを結成してアルバム『Return Of The Rentals』でデビュー。一方のウィーザーはセルフ・プロデュース体制で作られた2作目『Pinkerton』を96年にリリースしている。現在では多くのエモ・バンドに影響を与えたことで名盤としての評価を新たにし、現在では彼らの最高傑作とされることも多い人気作ながら、当時は初作に比べて商業的に失速したこともあって失敗作と見なされ、アルバムのツアーを終えるとバンドは活動休止に。パトリックはサイド・プロジェクトのスペシャル・グッドネスに専念し、ブライアンも自身のスペース・ツインズで活動。さらにはレンタルズを軌道に乗せたマットが脱退している。リヴァースも98年のサントラ『Meet The Deedles』にホーミー名義で“American Girls”を提供するなど、新しいプロジェクトに取り組んでいた。
そうしたなかで残った3人には、ホーミーで演奏していたマイキー・ウェルシュ(ベース)が新たに合流。それでもメンバー間の緊張状態やリヴァースのメンタルヘルス問題などでブランクは長引いたものの、2000年に再結集して〈ワープド・ツアー〉参加や〈フジロック〉出演も果たした後、2001年に再度リック・オケイセックをプロデューサーに迎えたセルフ・タイトル作『Weezer (Green Album)』を発表した。同作が全米4位の成功を収めたことで、彼らは現在にまで繋がる人気バンドとしての支持を広く獲得していくことになるのだった。