2025年10月28日の神戸公演でスタートした〈MARIAH CAREY THE CELEBRATION OF MIMI〉の来日ツアーが、ついに昨夜終了。その前日11月1日の神奈川・Kアリーナ横浜公演の詳細なレポートが到着したので、ライブの模様をお伝えしよう。 *Mikiki編集部


 

21世紀の名盤中の名盤、『MIMI(The Emancipation Of Mimi)』の20周年を記念する〈The Celebration Of Mimi〉のツアーで世界を周りながら、16作目『Here It For All』を9月26日にドロップする離れわざをやってのけた、マライア・キャリー。

10月28日のジーライオンアリーナ神戸からスタートした日本公演の中日、Kアリーナ横浜はソールドアウト。2018年ジャパンツアーの東京公演は、武道館だった。歴史ある武道館に足を運ぶのは毎回楽しいが、Kアリーナはさらにキャパが大きく、新しめの会場で音響がいい。マライアの声を堪能するには、よりふさわしいセッティングだ。

今回のツアーの土台は、2024年4月からスタートしたラスベガスのレジデンシー公演である。〈アクト1〉から〈アクト4〉までの4幕構成、つまりゆるく起承転結をつけている。ヒップホップを取り入れたよりモダンな〈MIMI〉としての20年間をセレブレートしながら、90年代を制した歌姫の側面もしっかり想い起こし、そして新章としての『Here It For All』も聴かせる、とても凝った構成なのだ。

マライア・キャリーがプロデュースも手がけるシンガーソングライターであるのは、ファンならよく知っている事実。そこに舞台演出家、ビジュアルアーティストとしての才能をも発揮しているのが、2010年代以降のマライアである。

 

18時を少し回り、暗転。バックグラウンドに歴代のアートワークが浮かぶと、観客席がどよめいた。数々の名曲が流れるなか、黒とスパンコールの衣装をまとった主役が登場。まず、最新作からのヒップホップ寄りの“Type Dangerous”でトーンを設定した。4ピースのバンド、3人のバックコーラスは前回のツアーと同じ。総勢8名のダンサーは全員が男性だ。

続く“Emotions”はソウルフルなアレンジを施している。彼女の出発点、ニューヨークのタイムズ・スクエアのビルボードがマライアで埋め尽くされる背景も気が利いていた。『MIMI』の次のアルバム『E=MC²』から“Touch My Body”。『MIMI』からの曲はもちろん、連作とも取れる『E=MC²』からの曲も多めだった。「ねぇ、『Music Box』は覚えている?」とマライアが観客に声をかけると、バンド主体でサルサっぽいアレンジを施した代表曲“Dream Lover”へ。

 

90年代の初々しいマライアのインタビュー映像を流しつつ、第2幕へ。自伝「The Meaning Of Mariah Carey」(2020年)でも、黒人の血が入っていることを示すカーリーヘアーに対する思い入れを語っていたマライアは、この頃はデビュー時を彷彿させる美しいウェーブを生かした髪にしている。彼女の場合、髪型でさえ原点回帰やサウンドの傾向を伝える手段となる。

濃いピンクのワンピースに着替え、コンサートでは外せない“Hero”と、オリジナルのバッドフィンガーよりマライアのカバーバージョンが知られている“Without You”へ。ここでグッとヒップホップへ寄って、ウータン・クランの故オール・ダーティー・バスタードの「...West coast in the house, Japan in the house(西海岸のみんなもいる、日本のみんなも集まっている)」という声が響き、バッドボーイ・リミックスの“Fantasy”をたっぷり聴かせた。

90年代後半を彩った“Honey”と“Heartbreaker”をマッシュアップでつなげてテンポを上げていく。ダンサーも白いTシャツとデニムのセットアップの90年代仕様。今回、もともとあまり踊らないマライアはほとんど振り付けをせず、ダンスの部分はプロたちに任せて歌声で勝負していた。ディスコ調の“I’m That Chick”に続き、バラードの“My All”はスパニッシュ風味をさらに強めたアレンジ。このアクトは、バックグラウンドの映像に自然を多く映し出していた。プロデューサーのジャーメイン・デュプリと初めて組んだ“Always Be My Baby”では、雲間から陽光が差し、当時の彼女の状況を表現していた。