アメリカのスタンダード曲を文学の詞として歌うディラン
アメリカのスタンダード曲を文学の詞として聴けるようなアルバムを作りたかったのだろう。そのような気持ちが、このCDを聴いていると伝わって来る。
アルバムの再生ボタンを押すと、とっても気持ちいい柔らかいギターを中心としたサウンドが聴こえてくる。ペダル・スティール・ギターがストリングスの如く伴奏メロディを歌うように響かせている。アコースティック・ギターのコードがリズムをやさしく奏でる。ウッド・ベースは音数少ないが、ギターと共にリズムを支えている。5人編成のアコースティック・バンドの響きは深い地下室のようなエコーに包まれている。曲は、役者が詞の深い意味を伝えたい時に使う声で歌われる。常にソフトで、時々声が出ていない時もある。
これはボブ・ディランの新作として発表されているCDだが、ボブ・ディランのアルバムとして聴いて欲しくない気がした。それは、ボブ・ディランというイメージが強すぎるからだ。ボブ・ディランはもうすでに、アメリカでは人間国宝のような存在だ。多くの人は、彼の今までのキャリアを考えた上で新譜を出す度にディラン論を書きたがるだろう。ディラン本人もそれが嫌なはずだ。昨年、来日した時も過去の名曲ではなく、新作を中心に演奏したコンサートをやっていた。同時期に来日していたストーンズとは全く違うアプローチをしていた。
彼は60年代に〈The times they are a-changin’〉〈時代は変る〉と歌っていたが、その後、時代は何度も変わり、彼が歌っていた意味は今の時代では別のものになってしまった。
アメリカで評判が悪くなっていく一方のオバマ大統領が過去のディランの影響を受けている等と語ると、ディランも過去のディランのイメージを超えないといけなくなる。
これには作家ロバート・アントン・ウイルソンの次の言葉が頭に思い浮かぶ。
自由思想(リベラル)な人が20年間も同じ事を言い続けていれば、保守派(コンサーヴァティブ)の人になっている。
進化して動いている宇宙の中で、一箇所にとどまっている人は後ろに向かって動いているのと同じだ。
ナチュラルな響きを意識した作り。香りのように部屋中に広まる詞の響き。オーバーダブやスタジオでの音の加工もないバンドとのスタジオ・ライヴ。リズムはやさしい海の波のようにゆれている。その上で“枯葉”を歌う73歳の詩人の声が心にしみる。