上原ひろみアンソニー・ジャクソン(ベース)、サイモン・フィリップス(ドラムス)とのトリオ・プロジェクトによる2年ぶりのニュー・アルバム『SPARK』をリリースした。アルバムごとに難度の高い曲を用意し、それを乗り越えることで、コンビネーションを日々深めているトリオにとっての最高到達点とも言える『SPARK』には、演奏家としてだけでなく、作曲家としての側面も含めて、上原ひろみの音楽性が凝縮されている。

高度な変拍子を自然に組み込んだ楽曲を難なくグルーヴさせてしまうテクニックも、上原のものだと一発で気付かせる強烈なピアノの音色も、いまとなっては当然のように聴いてしまうわけだが、その背景にはたくさんの意図が詰まっている。このインタヴューでは、『SPARK』に込めた音楽的なトピックについて尋ねながら、ピアニスト/作曲家としての上原ひろみの本質に迫ろうと試みた。世界中を魅了している天才ピアニストは、どんなことを考えながら曲を作り、ピアノに向かっているのか。彼女はその秘密をたっぷりと語ってくれた。

上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト SPARK Telarc/ユニバーサル(2016)

 

ピアニッシモで演奏するところは
フォルティッシモ以上の力を使いました

――『SPARK』というアルバム・タイトルは、どういうコンセプトで付けられたんですか?

「人が生きているなかで、心の動く瞬間がいろいろあると思うんですよ。〈わっー!〉ってなるような衝撃が核となって、いろんな物語が始まることもあるだろうし。そんな衝撃から始まる物語みたいなものを作りたいなと思ったんです」

――前作の『ALIVE』(2014年)では、16分の27拍子なんて曲もありました。『SPARK』も変拍子の曲がいくつもありますね。

「今回も3人で集まってリハーサルをしたときから、凄く難しい曲がいくつもあったんですけど、ツアーでずっとこのアルバムの曲を演奏していたから、スタジオ入りする前に身体の中にどんどん曲が入ってきて、そういう状態でレコーディングに臨めたので良かったです。演奏者が難しいと思っているものは、リスナーにも難しいと伝わってしまう。でも、私たちは難しいことを伝えたいわけではないんです。曲のリフが11拍子だったり、9拍子だったりした場合でもグルーヴして、聴き手にはひとつのノリとして感じられるところまで行かないといけないので、その作業はやりがいがありましたね」

『SPARK』のトレイラ―映像

 

――アルバムのオープニングを飾るタイトル曲“SPARK”も、1曲のなかにいろんな変化がありますよね。リズムもどんどん変わっていくし、ストーリーが感じられる。

「この曲は、これから始まる〈衝撃〉の導入部ですね。〈物語のはじまりはじまりー〉というか、〈まだそのとき、10秒後に何が起きるのかその人は知らなかった〉みたいなお話の前書きみたいなものが音で出せたらなと思って書きました。シンセでもそういうふうに物語に入る流れを作りたかったんです」

――プログレッシブな曲が多いなかで、(8曲目の)“Wake Up And Dream”はソロ・ピアノ曲ですよね。この曲はどんなイメージで書かれたものなんですか?

「“SPARK”から (7曲目の)“What Will Be, Will Be”までがひとつの衝撃から始まった物語だとすると、まずスパーク(“SPARK”)があって、トランス状態(2曲目“In A Trance”)になって、我を忘れてどこかに連れ去られたい(3曲目“Take Me Away”)と思って、連れ去られた先がワンダーランド(4曲目“Wonderland”)で、そのワンダーランドで甘い誘惑というか、悦びに溺れている(5曲目“Indulgence”)なかで〈これでいいのか?〉ってジレンマ(6曲目“Dilemma”)があり……という流れがあるんですね。で、〈なるようになるさ〉(“What Will Be, Will Be”)となった後に、ふと我に返って目が覚める瞬間に(8曲目“Wake Up and Dream”)ひとつの物語が終わり、もう一度振り返って、現実だったのか、夢なのか、そこでまたいろんなことに思いを馳せる――みたいなことを書きたかったので、“Wake Up And Dream”は一応、最後のトラックというイメージで作っています。その後、映画で言うと(スクリーンが)黒くなってエンドロールが上がってくるところが、(最後の曲)“All’s Well”という感じですね」

海外リリース元のコンコードが制作した『SPARK』のトレイラー映像。レコーディングの光景と共に、トリオの3人が制作エピソードを語っている

 

――その“Wake Up And Dream”はとてもシンプルな曲ですよね。どういうフィーリングで演奏されたんですか?

「感情の部分では、ここまでに(アルバム中で)流れてきた時間や出来事を愛おしむような気持ちをかなり大切にしました。技術的なところで言うと、ピアニッシモで演奏するところはフォルティッシモ以上の力を使いましたね。音を強く出すよりも、小さな音をどういう音色で出すか。温かみのある柔らかい音なのか、硬質のキラリとしたピアニッシモなのか。メロディーはもう少し煌びやかに弾くけど、伴奏の部分はもう少しまろやかな音で弾こうとか。同じ小節に存在している音でも、それがリードなのか伴奏なのかで同じピアニッシモでも出したい音色が違うんです」

――ピアノの鳴らし方の話が出たので、ずっと訊いてみたかったことを質問させてください。上原さんがこのトリオで演奏するときに、アンソニー・ジャクソンのエレクトリック・ベースや、サイモン・フィリップスが叩くロック由来の強いドラムと同じくらいのエネルギーをアコースティックのピアノで出すために、どんな演奏を心掛けているんですか?

「私はもともとピアノの音が大きいみたいなんです。スタンリー・クラークとデュオでやっていたときに〈自分が一緒に演奏してきたピアニストのなかで、一番音が大きいのはマッコイ・タイナーとひろみだよ」って言われたことがあり(笑)。〈かなり身体のサイズが違うのに、不思議だね〉みたいな。だから、音圧は強いみたいなんですね」

――へ~、マッコイと一緒って凄いですね。

「あと、このトリオに関してはナインフットというフルコン(フル・コンサート・ピアノ)じゃないと難しいですね。フルコンでやっとサイモンのドラムとバランスが取れるので。でも、2011年に『VOICE』で(トリオを)始めたころに比べれば、3人のダイナミクスがとても揃うようになったし、いまは誰かが前に出るところで、あとの2人がさっと一歩後ろに下がれるようになってバランスが良くなったんです。だから、いまはがんばってガンガン音を出す必要はないですね」

マッコイ・タイナーの96年のライヴ映像

 

『ALIVE』収録曲“ALIVE”のスタジオ・ライヴ映像

 

――これまでの経験も大きいと。

「サイモンがアコースティック・ピアノと演奏したのは、このトリオが初めてだと『VOICE』の録音のときに言っていました。だから、何年もやっているうちに一緒にやる感覚を掴んできたというのはありますね。ピアノ・トリオとしてのダイナミクスは、『MOVE』(2012年)のツアーをしている頃ぐらいから格段に良くなったという自覚がありますね。作曲されていないソロのパート、インプロヴィゼーションの部分でダイナミクスが凄く良くなったし、そこはトリオとして一番成長したところだと思います」

――そもそも上原さんは、アコースティック・ピアノという楽器そのものを〈鳴らし切る〉ことにかなり意識的ですよね。

「ピアノって叩いても鳴らないんですよ。鳴らさないと鳴らない。強い力でドンってやれば鳴るわけではなくて、弦を震わせるというか、アタックをどういうふうにするかといった弾き方が重要になります。自分が尊敬するピアニストは、ダイナミクス・レンジがとても広いし、それは叩いているわけではなくて、鳴らしているんです。そういう意味では、ピアノというものをきちんと鳴らすというか、綺麗に鳴らしたいという気持ちはありますね」

――その上原さんが好きな〈ダイナミクス・レンジが広いピアニスト〉って、例えば誰のことですか?

マルタ・アルゲリッチですね。彼女が弾くとピアノがオーケストラになるんです。ピアノをオーケストラにできる人が本当のピアニストで、彼女はピアノの鳴らし方をすべて知っているというか、凄いなと思って聴いています」

マルタ・アルゲリッチのライヴ映像。クラシック界を代表するピアニストで、音楽ドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」は日本でも2014年に公開された

 

――上原さんのピアノも、変拍子や即興演奏に耳を奪われがちだけど、とても丁寧に弾いてる印象があります。自分ではどんな音で鳴らしたいと思っていますか?

「とにかくピアノという楽器がノビノビとして、活き活きと鳴っているようにすることですね。首を絞められたような音にしないというか。きちんと鳴ってないと、どうしてもそういう音になってしまうので。(私は)打鍵を強くやっているように見えるかもしれないけど、アタックの仕方には凄くこだわっています。(鍵盤を)叩いていても、アビュース(Abuse=粗末に扱う)しているのではなく、愛でているんです。あとピアノに対しては、会場の(箱)鳴りとか、弱音ペダルとかも含めて、どういうふうにしたらその場の音響のなかで自分の弾きたい音に近付けられるのか、その調整もこだわってやってますね」