J・ディラの『The Diary』がリリースされた。これは、死後にリリースされた多くの未発表音源とは一線を画す作品だ。〈ラップ・アルバム〉として制作され、当初はメジャーからリリース予定だったものの、レーベルの都合でお蔵入りに。“Fuck The Police”などいくつかの曲は12インチで発表されていたが、当初の予定から14年あまりが経った今年に入ってようやくアルバムとしてオフィシャル・リリースの運びとなった。

その14年間に、J・ディラを巡ってはあまりにも多くのことが起こった。特に、本作のリリースが頓挫したことで失意のなか、マッドリブとのジェイリブ名義による『Champion Sound』(2003年)の制作をきっかけにデトロイトからLAへと居を移し、『Donuts』や『The Shining』(共に2006年)といった新たな展開となる作品を制作し、音楽シーンにさらなる種を撒いたことは大きい。マッドリブ本人はもちろんのこと、多くのLA出身アーティストの口からJ・ディラが移り住んで以降のシーンの変化を実際に聞いたことがある。2006年の早すぎる死を経て、ディラの音楽の影響はヒップホップのみならず、ビート・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックからジャズにまで及んだ。特にそのよれたビートは生身のドラマーをも刺激し、〈J・ディラっぽいビート〉というのは今日におけるスタンダードになったと言っても過言ではない。

そのJ・ディラと『The Diary』について、mabanuaとOMSBの2人に語ってもらう場を設けた。mabanuaは、よれたビートをいち早く自身の身体に染み込ませてドラムで叩き出している。片やOMSBは、ディラの『Welcome 2 Detroit』を自作のアートワークに引用してみせた。2016年現在、J・ディラについて語ってもらうのにこれほどのマッチングはないだろう。J・ディラを振り返るためにも、また新たに発見するためにも、ぜひとも読んでもらいたい対談である。

J DILLA 『The Diary』 Pay Jay/Mass Appeal/HOSTESS(2016)

 

自分がヤバイと思ったプロデューサーはみんなビートが揺れていた(OMSB)

――まずは、J・ディラの音楽とお2人が出会った経緯から教えてもらえますか。

mabanua「ヒップホップでバンドといえば、アレステッド・ディヴェロップメントやルーツが先駆けでしたよね。自分がまずバンドマンとして(音楽活動を)スタートしているのもあって、その2組がブラック・ミュージックの入り口になったんですよ。それで、ルーツの音楽を掘り下げていくと、バックグラウンドにJ・ディラの名前が出てくるので〈この人誰なんだろう?〉と調べたら、ア・トライブ・コールド・クエスト(以下ATCQ)に始まって、ヒップホップの歴史のいろんな場面に顔を覗かせていることを知るわけです」

――それが何年くらいの話ですか?

mabanua「(ディアンジェロの)『Voodoo』がリリースされたあたりなので、ちょうど2000年前後ですね。僕が20歳くらいのとき。ヒップホップも西海岸に東海岸と、時代や土地/シーンによって音楽性も違ったりするわけですけど、そのなかで一人だけ自由にいろんな時代/コミュニティーを行き来している人がいて、それがJ・ディラだったというイメージです。当時はまだジェイ・ディーを名乗っていた頃だと思うんですけど」

ジェイ・ディーがプロデュースしたルーツの99年作『Things Fall Apart』収録曲“Dynamite!”

OMSB「自分はもっと後追いの世代ですね。もともと高校生のときにメインストリームやサウスから(ヒップホップに)入ったんですけど、あるとき『XXL』を読んでいたら〈Chairman’s Choice〉でJ・ディラのジャケとアー写が紹介されていて、(それを見て)すごく気になったんですよ。そこからすぐにハマって。ジェイリブを通じてマッドリブを追うようになったし、もちろんJ・ディラもどんどん掘り下げていきました」

※アメリカのヒップホップ雑誌。〈Chairman’s Choice〉はNYのライター/DJのチェアマン・マオがインディー・シーンの注目リリースを紹介するコラム記事

ジェイリブの2003年作『Champion Sound』収録曲“Mcnasty Filth”

――最初に聴いたときの印象はどうでした?

OMSB「やっぱり当時は、デトロイトといえばエミネムの印象が強かったんですよね。僕はJ・ディラの後期から入ったので、エミネムのトラック作りとも繋がる無機質さがあるなと思いました。あと高校生の頃に直感で気付いたのは、自分がヤバイと思ったプロデューサーはみんな(ビートが)揺れてるなってこと(笑)」

――わかるわかる(笑)。

OMSB「プリモ(DJプレミア)やRZAもそうですけど、みんな揺れてるんですよね。自分はそのズレが好きなんだってことを認識していくうちにハマっていきました」

mabanua「僕も第一印象は同じで、〈あぁ、揺れてるな〉って(笑)。当時はビートがスクエアな音楽ばかり聴いていたので、〈こんなにズラしていいんだ〉と初めて知るきっかけになったのがJ・ディラでしたね」

――僕は昔、mabanuaさんのことをrei harakamiに教えてもらったんですよ。〈J・ディラみたいなビートを叩くドラマーがいるんだよ。この人、なんだかズレてるんだけど気持ちいいんだよ〉と言いながらiPadで初期のOvallを聴かせてもらって。

mabanua「なるほど(笑)。当時はまだ、バンドでああいう音楽をやろうって人はそんなにいなかったですから」

Ovallの2010年作『DON’T CARE WHO KNOWS THAT』収録曲“The Skin I’m In”

――そういえば昔、Q・ティップが〈J・ディラの打ち込みは生っぽい〉という話をしていました。クォンタイズをかけないのと、シャッフルの設定がおかしいそうで、それが生っぽく聴こえる要因だろうと。

※入力したMIDIデータのタイミングを修正/補正する、シーケンサーの機能のこと

OMSB「(J・ディラの場合は)クォンタイズをかけずに音をズラすのもそうだし、あとは音を置きたいところに置いているのも重要みたいですよね。どこで聞いたか曖昧な話ですけど、そりゃそうだよなって(笑)。無茶に思えるときがやっぱりあるので」

――僕はリアルタイムでATCQを聴いてきた世代で、彼がジ・ウマーの一員として参加した『Beats, Rhymes And Life』(96年)と『The Love Movement』(98年)がすごく印象的でした。音像が立体的でデジタルっぽくなっていたりと、それ以前のアルバムとは音が一変していて。90年代後半は、テクノを聴いている人の間でもJ・ディラのビートは人気があった。そのへんはデトロイトの人だなって思います。

※Q・ティップとアリ・シャヒード・ムハマド(共にATCQ)とジェイ・ディーの3人が結成したプロダクション・チーム。Q・ティップのソロ初作『Amplified』(99年)を含むATCQ周辺のプロデュース・ワークのほか、ジャネット・ジャクソンなどのリミックスも手掛けている

OMSB「サンプルにも多かったですよね、ムーグねたとか。“Raise It Up” (スラム・ヴィレッジの2000年作『Fantastic Vol. 2』収録曲)ではハウスを使っていたり、〈こんなところからも抜いているのか!〉みたいな」

トライブ・コールド・クエストの96年作『Beats, Rhymes And Life』収録曲“Phony Rappers”

トーマ・バンガルテル(ダフト・パンク)“Extra Dry”をサンプリングした、スラム・ヴィレッジの2000年作『Fantastic Vol. 2』収録曲“Raise It Up”

mabanua「あとは、(ビートメイクに)生演奏をふんだんに使っているのもインパクトが大きかったです。最終的にJ・ディラが〈一歩先に行ったな〉と感じたのは、『The Shining』(2006年)でギルティ・シンプソンの参加した曲(“Jungle Love”)で、〈ダンダン、シャーッ〉ってなるところ」

OMSB「そうそう!」

mabanua「あれはヤバイよね、ドラマーが喜んじゃうアプローチというか。でもあの曲は、(ラップ以外は)そのビートとサイレンみたいなシンセが鳴っているだけなんですよね。地味なアプローチに映るかもしれないけど、俺には衝撃的でした」

OMSB「カリーム・リギンスの叩いたドラムをミックスしてるんですよね」

mabanua「ドラマーと一緒に作るというのも、自分には新鮮でしたね。トラックメイカーは基本的に一人で作るものだと思い込んでいたから」

カリーム・リギンスとJロックのセッション映像。J・ディラの名曲をストーンズ・スロウの倉庫で演奏している