鏡よ、鏡、彼らがここまで愛され続けるのはなぜ? ニュー・スクールの寵児として時代の波に乗っては持て囃され、そこを否定するやり口がまた賞賛され、〈ヒップホップ好きじゃない人も聴けるヒップホップ〉として真性のヒップホップが愛され、フロアではヒップホップ・ラヴァーを踊らせてきた。そんなこんなで3人がマイペースにマジック・ナンバーを守り続けて30年。つまり、どう転んでもデ・ラ・ソウルはデ・ラ・ソウルだってことなのだ!
実に12年ぶりのリリースとなったニュー・アルバム『And The Anonymous Nobody』がビルボードのラップ・アルバム・チャートで1位を獲得。デ・ラ・ソウルにとっては89年リリースのファースト・アルバム『3 Feet High And Rising』のR&B/ヒップホップ・アルバム・チャート以来、27年ぶりにビルボード・チャートにおける首位獲得作となった。
DE LA SOUL 『And The Anonymous Nobody』 A.O.I./ソニー(2016)
このアルバムは事前に行われたクラウドファンディング〈Kickstarter〉での資金調達も話題となり、またスヌープ・ドッグやアッシャー、2チェインズからデヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、デーモン・アルバーン(ブラー/ゴリラズ)まで、かつてない規模感での幅広いゲスト勢を招き入れた、実にヴァラエティーに富んだ作品となって内容的にも高評価を獲得、にわかにデ・ラ・ソウルの再評価熱が高まりつつある……のかどうかは定かではないが、次々と新たなスターやトレンドが乱立している2016年、まさかのデ・ラ・ソウル完全復活~シーン最前線へのカムバックに驚かされた人も多いのではないだろうか。
フレッシュな新世代として
2MC+1DJというオーソドックスなオールド・スクール・ヒップホップのフォーメーションを採りながら、従来のヒップホップ的な枠組を軽く飛び越える斬新なサウンドメイクとスタイルなどで数々のインパクトを残してきたデ・ラ・ソウル。同じ学校に通っていたポスドゥヌス(ポス)、トゥルーゴイ(デイヴ)の2MCとメイスの1DJ(時にMCもこなす)を擁するこのトリオは、87年にNYはロング・アイランドにて結成されている。彼らに道を拓いたのはハイスクール時代の上級生であり、当時ヒップホップ・バンドのステッツァソニックに所属してレコード・デビューしていたプリンス・ポールだ。彼に渡した“Plug Tunin”のデモ・テープが気に入られたことをきっかけとして、88年にはステッツァソニックも所属するトミー・ボーイからポールのプロデュースの下、同曲でシングル・デビュー。翌89年には早々とポール制作によるファースト・アルバム『3 Feet High And Rising』に漕ぎつけている。
このアルバムは、それまでのヒップホップに抱かれていたマッチョイズムとはまったく異なるナードなイメージと雑食気味なサンプリング・ソース(ホール&オーツやスティーリー・ダン、フランス語の教材まで!)を駆使したポップで遊び心に溢れるサウンド、日常の何気ない出来事を等身大の視点でシニカルかつユーモラスに綴ったリリック、スキットも織り交ぜたコンセプチュアルな作品構成などで話題を呼び、“Me, Myself And I”や“Eye Know”などのシングル・ヒットも生まれていきなり大きなブレイクを果たす。また、同じく収録曲の“Buddy”にも参加していたジャングル・ブラザーズやQ・ティップ率いるア・トライブ・コールド・クエスト(ATCQ)、さらにはクイーン・ラティファ、モニー・ラヴらとの集合体=ネイティヴ・タンにも同時に注目が集まり、新たなヒップホップ・シーンの潮流となった〈ニュー・スクール〉を代表する存在としてデ・ラはメディア界隈でも祭り上げられるようになる。
ただ、その初作によって纏うようになった〈D.A.I.S.Y. Age〉という新世代のヒッピー的なイメージに居心地を悪くした彼らは、自分たちを一旦リセットするかのようなセカンド・アルバム『De La Soul Is Dead』を91年にリリース。その過激なアルバム・タイトルと枯れ果てた3本のヒナギク(デイジー)の鉢植えが描かれたジャケットも話題となったが、ふたたびポールとタッグを組んだ絶妙なセレクトでのサンプリング・サウンドとポップなセンスは変わらず、“A Roller Skating Jam Named “Saturdays””や“Ring Ring Ring (Ha Ha Hey)”などがシングル・ヒット。当時絶大な影響力を誇っていたヒップホップ専門誌「The Source」のレヴューで〈クラシック〉の称号にあたるマイク5本の満点評価を獲得したこともシーン内では大きな話題となった。
同年にはネイティヴ・タンからATCQがデビューし、その影響下にあるブラック・シープやファーサイド、ビートナッツといったグループも続々とデビュー。ネイティヴ・タンが大きなムーヴメントへと発展するなか、デ・ラはそことも適度な距離を保ちながら、93年には引き続きポールとのタッグでサード・アルバム『Buhloone Mindstate』をリリース。交流のあったスチャダラパーや高木完が参加し、“Breakadawn”のヒットを生んだ本作は、4人目のメンバーとも言われたポールがメンバーと共にジャケに登場したことも一部で話題となった。