『3 Feet High And Rising』(89年)を筆頭にデ・ラ・ソウルの初期6作がついにストリーミングサービスで配信され、ヴァイナルなどの再発盤もリリースされる。デ・ラ・ソウルは、88年に米アミティヴィルで結成された、ポス(MC)、トゥルーゴイ(MC)、メイス(MC/DJ)からなるトリオ。3人の一連の作品は、いずれもニュースクール時代に刻まれた名盤だ。にもかかわらず、権利や契約の問題で長らく配信されていなかった。その問題がようやく解決され、マジックナンバー〈3〉が3つ並んだ2023年3月3日に解禁された。今回は、これを祝って、ヒップホップに造詣が深い書き手たちによる6作の解説記事をお届けする。この記事を2月12日に死去したプラグ・トゥー=トゥルーゴイ・ザ・ダヴに捧げる。 *Mikiki編集部
『3 Feet High And Rising』(89年)
非マッチョな等身大の表現は多くの人々にマイクを握らせた
by 高橋芳朗
従来のヒップホップ像に新しい価値観を持ち込み、その多様性を劇的に押し広げた稀代のゲームチェンジャー。スティーリー・ダンからフランス語の教材にまで至るカラフルなサンプリングセンス、随所にスキットを織り交ぜたコンセプチュアルなアルバム構成は〈史上初のサイケデリックヒップホップ作品〉とも評されたが、とりわけ画期的だったのがラッパー然としたマッチョイズムから距離を置いたナイーブで等身大なスタンス。あくまで日常的な彼らのラップ表現は多くの人々にマイクを握る動機を与えることになる。
個人主義を打ち出したキャリア最大のヒット曲“Me Myself And I”以下、反ドラッグを訴える“Say No Go”、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」での使用も鮮烈だった“The Magic Number”、自ら所属するコレクティブ〈ネイティヴ・タン〉(ア・トライブ・コールド・クエスト、ジャングル・ブラザーズ)が結集したポッセカット“Buddy”など、重要曲がずらりと並ぶ。
ゴールデン・エイジの折返し地点にしてヒップホップ史の特異点
by 丸屋九兵衛
教壇に立つオールドスクールな出で立ちの教師(デフビート教授)が投げたヴァイナルが教室を縦断、着席していた生徒の脳天に突き刺さる! そんなシーンが印象的なのは“Me Myself And I”のMVだ。
もちろん、デ・ラ・ソウルにとっての“Me Myself And I”は、ランDMCにとっての“Walk This Way”同様に、一種のスティグマでもあったろう。極論すれば、“Rockit”という一曲をもってハービー・ハンコックの音楽性を語るようなものだ。だが、そんな“Me Myself And I”を含む本作が、常に移ろいゆくヒップホップというものが以降の30余年で経験した変遷をレミニスさせてくれるのも事実である。当時、「彼らのサンプリングのおかげで俺たちのファンが増えている」とデ・ラ・ソウルに感謝したのはジョージ・クリントンだが、こうしたPファンク曲のサンプリングが西海岸勢の専売特許と化すまでは本作リリースからほんの数年。
また、ギャングスタでもパーティー路線でもコンシャス系でもない、飄々とした(この時点での)デ・ラ・ソウルの在り方は実に新鮮だったが、それが〈第4極〉的な一大勢力として定着することはなかったように思う。〈いわゆる「ゴールデン・エイジ・ヒップホップ」とはランDMCのブレイクからスヌープ・ドギー・ドッグの『Doggystyle』まで〉という説に従うなら、その折返し地点あたりに位置する本作は、ヒップホップ史の特異点として永遠に記憶されるのだろう。