――僕は資本主義者なのか、それともピュアなアーティストなのか、この矛盾を自ら体験しながら、両方を体現することができるんだ。
カナダのモントリオールで開催されたRed Bull Music Academy(RBMA)に足を運んだ。一昨年、東京で開催されたことで日本でもその存在を知られるようになったが、1998年からスタートしたRBMAは、世界各地から選ばれた次世代のミュージシャンやプロデューサーが参加する期間限定の音楽学校で、レクチャーやワークショップ、スタジオでの制作、ライヴ・パフォーマンスを経験できる場となっている。特にアーティストやエンジニアなど有名な音楽関係者によるレクチャーは、一般にも映像が公開され、貴重な音楽的な資料となっている。
今回、筆者がRBMAの現場を訪れたのは正味僅か2日間であったが、その間にも4つのレクチャーがおこなわれた。モントリオール出身で現在はドイツで暮らすピアニストでシンガーソングライターのチリー・ゴンザレス、ブラッド・オレンジの名義で新世代のR&Bを作り出しているデヴ・ハインズ、スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンとの仕事で有名なキーボード奏者のグレッグ・フィリンゲインズ、NYのアンダーグラウンド・ヒップホップのシーンを生き抜いてきたラッパーのカー(Ka)という、世代もジャンルも異なる人選が大変興味深いものだった。
その中で、レクチャー後のゴンザレスに個別にインタヴューをおこなうことができたので、それを紹介したい。ゴンザレスは、近年はピアノ・ソロのシリーズ(『Solo Piano』『Solo Piano II』)や弦楽四重奏をフィーチャーした『Chambers』をリリースして、クラシカルなイメージもあるが、同じカナダ出身のラッパー/シンガー、ドレイクとの制作でも注目されたり、過去にはポップスからヒップホップまで幅広い音楽性の作品を発表してきた。特定のジャンルやシーンに収まらない彼の活動は、何かと話題を呼んできた。自らピアノを弾きながらおこなったレクチャーでは何度か、「ハーモニー」という言葉が繰り返された。それは、長らく失われてきたハーモニーが復権していること、それを自分が改めて作り出す意義を語ったものであった。
「ハーモニーの役割は時代の流れとともに、違う要素で補われるようになった。特にサウンドが目立ち、さらにハーモニーよりサウンドの方がストーリーを作ることができたからだ」
ゴンザレスが2008年にリリースした『Soft Power』は、パンク・ロックの登場によって失われたポップスをテーマにした内容だった。
「パンク・ロックは 、音楽へのアカデミックなアプローチを拒否する傾向にあったから、僕の周りでもハーモニーへの関心が減っていった。でもいまは状況が変化して、ハーモニーへの関心が高まっているこの傾向をとても喜ばしく思っている。もしハーモニーが衰退していなければ、もしかしたら僕の音楽はここまで来ることはなかったかもしれない」
実際、ゴンザレスが得意とするハーモニー作りは、メインストリームの音楽シーンからの需要も生み出していった。
「ダフト・パンクやドレイクがスタジオに呼んでくれた時、僕はコードについて考えるようにしていた。おそらくアーティスト達はコードへのつながりを求めていると思う。だってコードは、たくさんの感情を生み出してくれるからね。感情を引き出すコードを求めているんだ。でも僕みたいにコードを使って感情を引き出せる人はマイノリティーのようだ。とてもラッキーなことにね」
それにしても、なぜ彼はさまざまな音楽フォームを渡り歩くように活動を続けてきたのだろうか。ヒップホップからスタートして、クラシックにまで至るその歩みは実にユニークである。
「僕は、ヒップホップとはカルチャーと考え、ラップは音楽のスタイルと捉えている。だからこそヒップホップとラップを分けることがとても重要だと考えているんだ。当時(ラップ・アルバム『Gonzales Über Alles』『The Entertainist』をリリースした2000年)は、新しい音楽の表現方法を模索している時で、ヒップホップ・カルチャーに自分が合わないと感じた。だからこそ、インスピレーションをくれたラップを手がける時は、そのカルチャーの一部に飲み込まれないように気をつけてきた。僕はひとつのスタイルにこだわらず、いろいろな音楽スタイルを楽しみたい。エレクトロニック・ミュージックやクラシックなどのカルチャーにも傾倒せず、その一部にもならないということだね」
音楽のスタイルとその背景にあるカルチャーを明確に分けて活動を続けてきたことが、彼の音楽性を特徴付けてきたとも言える。
「すべての音楽のスタイルは甲乙つけがたく、すべてが素晴らしいと思う。だから、これまでも僕はカルチャーという大枠を無視してきた。例えば、“誰がヒップホップを作ることを許されているのか?”とか、“クラシックの定義とは?”などもね。みんな、それぞれのスタイルの違いを見つけ出そうとするが、それは間違っている。本当は“これらのスタイルの共通点は何か?”を探すべきだ。すべてのスタイルの共通点を探り出すのがミュージック・ヒューマニストというものだと思う」
ゴンザレスは常々“アーティスト”と呼ばれることを嫌い、自らを“エンターテイナー”と称してもきた。“ミュージック・ヒューマニスト”なる呼び名もそれに連なるものなのだろう。
「僕はそもそも社会運動にも興味がない。でも音の果実を集めたいろいろなカルチャーを、どうしたらひとつの集合体にできるかを考えるのが好きでたまらない。そこで、さまざまな音の果実の点と点をつなぎ合わせてひとつにするのが、ミュージック・ヒューマニストじゃないかな」
インタヴューでもレクチャーでも、ゴンザレスは雄弁で言葉が途切れることがないほどだ。自らの立ち位置にも意識的であるが、それはある意味アーティスト性をはぎ取ってさらけ出されるものを、リスナーと共有するということなのかもしれない。
「僕がラップに興味を持ったきっかけは、“どうやってラップでキャリアを作るのか?”“どうしたらマス向けに響くのか?”という探究心からだった。バスローブを着て、スリッパを履いているチリー・ゴンザレスのイメージ像も、ラップというスタイルの自由さ、自由だけど複雑なキャラクター、資本主義への反抗、でもその世界で生きていかなければならない矛盾を体験することができる。僕は資本主義者なのか、それともピュアなアーティストなのか、この矛盾を自ら体験しながら、両方を体現することができるんだ。僕はひらめきで音楽を作ることはできないと考えているから、自分でストーリーをコントロールする必要があると思う。それに、リスナーも音楽の裏側のストーリーを求めているし、知らなければならないからだ」
ファンベースを如何に作り上げていくのか、ということがアーティストの重要な活動の一つと言われるようになって久しい。ピュアな音楽家という在り方が成立しづらい時代に生きるゴンザレスが、矛盾をさらけ出し、体現するような表現へと向かうことで示しているものは非常に興味深い。だから、彼のレクチャーもパフォーマンスの重要な一部だと捉えることもできるだろう。
この取材の夜に、モントリオールのダウンタウンにある大きなライヴハウスでおこなわれた「Round Robin」というライヴ・イヴェントを観た。これは、十数名の楽器演奏者が一人ずつ、一度に二人がステージに上がって即興演奏を繰り広げ、その内の一人が次の演奏者とバトンタッチして、ステージ上では常にデュオの演奏が続けられていく、というユニークな試みだった。ゴンザレスやサンダーキャットもこれに参加していたが、ここでもゴンザレスは即興演奏の枠にはまらないようなストーリーを感じさせ、しかしデュオとして聴かせることを意識した演奏を繰り広げ、演奏者としても特異な技量を示していたことが印象深かった。