カナダのケベック州で育ったチリー・ゴンザレス(本名ジェイソン・ベック)は99年、新天地を求めてベルリンに渡った。当初はエレクトロ・パンク系のラッパーとして活動していたが、やがて大きな転機を迎える。そのきっかけは、プロデューサーを務めたフランスの女優兼歌手ジェーン・バーキンの『Rendez-Vous』(2004年)の制作中に、スタジオの片隅でピアノを弾いたことだった。
このとき、ゴンザレスは『Rendez-Vous』の制作に翻弄され、なおかつ自分の作品を久しく作っていないこともあって、ストレスを抱えていた。ゴンザレスは、そのストレスを少しでも解消するためにピアノと虚心に向き合った。そのピアノの演奏をたまたま聴いていたフランス人プロデューサーの勧めもあって、初のソロ・ピアノ・アルバムとして作られたのが、『Solo Piano』(2004年)である。この静謐なソロ・ピアノ・アルバムは、ゴンザレスに成功をもたらし、彼のキャリアを変転させる。
アンダーグラウンドからメジャーな世界に浮上したゴンザレスは、〈ソロ・ピアノ〉のシリーズだけでなく、さまざまなプロジェクトを通じて、異なるキャラクターを表現するようになった。もっとも、ドキュメンタリー映画「黙ってピアノを弾いてくれ」(9月29日から渋谷シネクイントほか全国順次公開)を観ればわかるように、露悪的なキャラクターを演じていたベルリン時代のゴンザレスも、〈ソロ・ピアノ〉シリーズのゴンザレスも、クラシックのオーケストラを従えて破天荒なパフォーマンスを繰り広げるゴンザレスも、すべてジェイソン・ベックのペルソナと言えるだろう。ともあれ、ゴンザレスのなかでは、自意識過剰と無意識過剰が錯綜していて、また、彼は常に不安やコンプレックスに向き合っているように思える。
チリー・ゴンザレスの最新作『Solo Piano III』は、『Solo Piano』『同II』(2012年)、と続いた〈ソロ・ピアノ〉シリーズの完結編。この最新作について、ゴンザレスと同じく、〈黙ってピアノを弾く〉だけでは収まりきらないシンガー・ソングライター兼映画音楽作曲家、そしてキーボード奏者としても活躍をしている世武裕子に語ってもらった。
ゴンザレスには珍しく共感を抱いたんです
――世武さんは、いつ頃、どんなきっかけでゴンザレスのことを知ったのですか?
「私がゴンザレスの存在を知ったのは、パリの音楽学校の映画音楽作曲科で学んでいた頃で、2007年くらいのことだったと思います。その当時私は、数名の友人と住居をシェアして暮らしていたんですけど、そのうちの一人の従兄弟にあたるプロダクト・デザイナーから〈ヒロコに似ていて、ヒロコ自身も絶対好きになるに違いないピアニストがいるよ〉とゴンザレスのことを教えられました。それで『Solo Piano』を聴き、初めて彼の音楽に触れました」
――世武さん自身は、〈ヒロコに似ている〉という指摘についてどんな感想を抱いたのでしょう?
「当時の私は、自分が作曲した作品の楽譜に、いろいろな情景説明や注意書きみたいなものを書き込んでいました。その譜面を見た先生から〈エリック・サティに似ている〉と指摘されたことがあって、当時の私は若さもあって、そのことをあまりよく思っていなかったんですけど、『Solo Piano』を聴いているうちに、先生の言わんとしていたことが何となくわかるようになりました。
長らく、私とゴンザレスはどこか似ていると感じていましたが、『黙ってピアノを弾いてくれ』を観て、ますます自分と重なるものがありました。あの映画のなかで、ウィーン放送交響楽団の指揮者の方が、〈ゴンザレスはクラシックの音楽学校の試験には受からないかもしれないけれど、いわゆる優等生ができないことをできる才能を持っている〉というようなことを語っていましたよね。かつての私も同じようなことを言われていました。
パリの音楽学校時代の私は、サティのような異端的な作曲家ではなく、正統派のクラシックの作曲家と比較されたかったし、学校でもいわゆる優等生はいいな、などと思っていたんですけど(笑)、実際のところ、自分はそういうふうにはなれないんだろうなという劣等感を抱いていました。普段私は共感という観点で音楽を判断したり、他のミュージシャンのことを好きになることはないんですけど、彼には珍しく共感を抱きました」