Photo by Alexandre Isard

 

“天才”と“皇帝”の出会い

 去る3月末、チリー・ゴンザレスのヴェルサイユ宮殿ライヴ(!)をストリーミングで見ていたら、彼がこう聴衆に問いかけていた。「ポップスにおける弦楽四重奏の役割とは、いったい何だ?」。いかにも“俺様ラッパー”ゴンザレスらしい、唐突でアグレッシヴな問題提起である。

 普通は、ポップスも弦楽四重奏も互いを必要としない。いや、ほとんど真逆のジャンルと言ってもいいだろう。軽快なビートで歌われるポップスの途中で、「クラシックでございます」と言わんばかりに顰めっ面をした4本の弦楽器が聴こえてきたら、ほとんどのリスナーは違和感を覚えるに違いない。だが、例外もある。ビートルズが《エリナー・リグビー》を録音した時、ポップスは弦楽四重奏(正確には弦楽八重奏)を必要とした。あるいは、クロノス・クァルテットが《パープル・ヘイズ》をカヴァーした時、弦楽四重奏はポップスを必要とした。だから、接点はなくはないのだ。

 ゴンザレスが筆者とのメール・インタヴューで語ったところによれば、弦楽四重奏のために曲を書き下ろすことになるとは、本人すら全く想像もしていなかったらしい。ところが4年前、ゴンザレスはハンブルクを活動の拠点とするカイザー・クァルテット(あのハイドンの名曲《皇帝》が団体名の由来)とたまたま共演する機会を持った。自称“天才”のエンターテイナーと、自称“皇帝”のクァルテットの出会い! 神のいたずらか、はたまた音楽史の衝突事故か、“天才”は“皇帝”を実験台にして弦楽四重奏曲――ゴンザレスのピアノが加わるから、実際にはピアノ五重奏曲――を書き始めた。その具体的な成果が『Chambers』というわけである。  

CHILLY GONZALES Chambers Gentle Threat/BEAT(2015)

 その2曲目、ウィンブルドン選手権決勝に臨むジョン・マッケンローに捧げたという《Advantage Points》を聴いてみよう。まな板を叩く包丁のように、鋭い切れ味のリズムを飽くことなく刻み続ける弦楽四重奏とピアノ。冒頭に触れたヴェルサイユ宮殿のライヴを見るまで筆者も気が付かなかったのだが、これ、ストラヴィンスキー《春の祭典》の第2曲〈春のきざし〉の和音の連打にインスパイアされて生まれた曲なのだ。“お上品”なピアノ五重奏のたおやかな動きの中に、ストラヴィンスキー由来の暴力的なリズムの破壊力――考えてみれば、リズムだけで成り立っているラップは〈春のきざし〉みたいなものだ――のDNAは確実に受け継がれている(ちなみに、この曲のPVは『バリー・リンドン』もしくは『デュエリスト/決闘者』のパロディになっていて、大いに笑わせてくれる)。

 あるいは、5曲目《Freudian Slippers》で、周囲の様子を伺うようにおずおずとハバネラのリズムを鳴らすピアノ、ヴィオラ、ヴァイオリンのハーモニクス、チェロ。なぜ、ハバネラなのか? フランスのコントルダンスがキューバに渡ってハバネラとなり、そこからタンゴダンソンが生まれたという音楽史の知識を引っ張り出すまでもなく、ハバネラは旧大陸と新大陸の音楽を繋ぐ象徴的な音楽のひとつである。かつて「僕の音楽活動全体に関わるテーマを一言で表すなら“ヨーロッパ・ミーツ・アメリカ”ということになるかな」と筆者に語っていた、ゴンザレスらしい目の付けどころではないか。だが、この曲はそれだけに留まらない。まさに“フロイト的”としか呼びようのない朧げな夢のような和声進行は、実のところバーナード・ハーマンの『めまい』――この作品もハバネラを使っている――にそっくりなのだ。そう本人に指摘したところ、こんな答えが帰ってきた。「ハーマンには、大作曲家たちが生み出した数多くの要素と、そこから生まれたハリウッド映画音楽の美学がすべて含まれているんだよ」。仮に“ハーマン”を『Chambers』に、“ハリウッド映画音楽”を“ポップス”に置き換えてみれば、今回のアルバムにおけるゴンザレスの立ち位置が明確になるだろう。

 「ポップスにおける弦楽四重奏の役割とは、いったい何だ?」。ポップスがどれほどクラシックの遺産から成り立っているか、それを明らかにするために、“天才”ゴンザレスはクラシック界の“皇帝”たる弦楽四重奏を起用したのである。