photograph by Alexandre Isard

 

もう聴いているだけじゃ満足できない! ゴンザレスの次なる試みは世界総ピアニスト化計画。鬼才によるプライヴェート・レッスンを受けながら、耳と指先に至福のひとときを!

 子供の頃にピアノを演っていたけど、途中で辞めてしまった……なんて人は意外と多いはず。そんな苦い挫折の経験者。あるいは、〈簡単な曲でも弾けるといいな〉と憧れているビギナーにピッタリの作品が登場した。題して『Re-Introduction Etudes』。本作は鬼才チリー・ゴンザレスが特別に用意した、大人のためのエチュード(ピアノ練習曲)だ。なぜいま練習曲なのか? それは「世の中にロクな練習曲がないからだ」とゴンゾ先生は言う。

 「世に出回っている初見練習用の楽譜の大半が、陳腐で、聴くに堪えず、楽しくないものばかりであることにショックを受けたんだ。かつて僕が投げ出したのも無理はない。僕だけじゃなく、子供の頃にピアノを習っていた人は多いのに、そのほとんどが途中で断念している。ピアノを習得するには非常にたくさんのこと、例えば音階や、運指、拍子のカウント、コード進行の理解などについて考えなくてはならない。人々はそれに圧倒されて怯んでしまうんだよ」。

CHILLY GONZALES Re-Introduction Etudes Gentle Threat/BEAT(2015)

 4歳でピアノを学びはじめたものの、ライオネル・リッチーの曲を耳で覚えることのほうに夢中になってしまったというゴンゾ先生。それだけに、彼は〈音楽は楽しくなくてはいけない〉ことを肝に命じている。そんな先生の考案した練習曲とはどんなものなのか?

 「あなたにピアノの前に座って楽しんでもらうこと、それが僕の目標だ。ここに収められた曲は数回試し弾きしてみただけで、できる限り楽しみながら弾けるようなものとして作ってある。数年間、レッスンを受けた後で辞めてしまった元ピアノ弾きであれ、若い初心者であれ、音楽的な選択肢を増やしたいと考えているビートメイカーであれ、この24曲を弾いてみれば、音楽の基本にある最初の壁を乗り越えられるはずだ。恥ずかしがらずに、いますぐ始めてほしい」。

 本作収録曲の大半が2分足らずの尺で、どれも実際に弾いてみたくなるような美しいメロディーばかり。テンポもゆったりとしていて心地良いのだが、ゴンゾ先生いわく「ほとんどの人が良いリズム感を持っているし、現代のポップ・ミュージックは大抵、非常にシンプルなリズムで成り立っている。従って私のエチュードは、シンプルな4/4拍子か4/3拍子で作曲してあるんだ」とのこと。そう、『Re-Introduction Etudes』はポップ・ミュージックであることも視野に入れた練習曲集なのだ。長年、ポップ・ミュージックの現場で活動してきた彼は、これまでのキャリアを次のように振り返る。

「僕は以前、自分がアカデミックな音楽教育を受けてきたことについて周囲の目を気にしていた。インディー・ロックのミュージシャンやエレクトロニック系プロデューサーのなかに混じると、自分が堅苦しくてカッコ悪いように感じたんだ。長年に渡って、僕は彼らと同じように音楽を聴けるよう必死に取り組み、彼らと同じテクニックを特訓したりもした。僕はずっと〈この時代の子〉になりたかったからね」。

 そうやって独自のスタイルを生み出してきた彼の手によるピアノ練習曲は、新しい音楽に挑戦するためのレッスンでもある。ゴンゾ先生は最後にこう締め括った。

 「ルールとは、それに疑問を投げ掛け、何か新しいものへと進化するためのきっかけになるもの。これらのエチュードを弾くことで、あなたは僕の設定したルールを習得したことになる。あなたがそれに対して疑問を呈し、何か新しいものへと発展させてくれたら嬉しいね」。

 さあ、本作を聴き、楽譜を手にし、未来のための最初の一歩を踏み出そう。