LAMONT 'MONEY L' MOSLEY

クリエイティヴな気分だった

 説明的なことを一応書いておくと……フェイスとビギーが結婚したのは、ビギーが初作『Ready To Die』を発表していきなりシーンの頂上に立った94年のこと。翌年にはフェイスもデビュー作『Faith』を発表し、日の出の勢いだったバッド・ボーイの看板アクトとして、夫婦揃って世界的なブレイクを果たすことになる。96年10月には愛息も誕生するものの、急激な環境の変化や奔放な女性関係もあって、97年初頭には離別。ビギーがこの世を去ったのはその年の3月のことだった。

 とはいえ、フェイスが故人への思いにしがみつく人じゃなかったのは、以降のキャリアが示す通り。そもそも彼女は、ビギーと出会う前から愛娘を育てながら音楽業界での成功を志してきたインディペンデント・ウーマンである。コンスタントにヒット作品をリリースしながらプライヴェートでは98年に再婚(2011年に離婚)し、バッド・ボーイを去ってからもリアリティーTVなどに活動の幅を広げながら、いまなおシーンにAクラスの存在感を発揮し続けているのだ。そんな彼女だからして、亡き夫とのデュエットという思い入れに引きずられそうな難題にも、クリエイティヴの〈プロフェッショナル〉として臨んだのは明らかだろう。

 「サラーム・レミがヴァースを持っていて、ジャスト・ブレイズもいくつか持っていて、DJプレミアは“NYC”のヴァースを持っていて……っていうのはあったけど、それ以外は、アトランティック/ワーナー/ライノが所有していたマスターを聴くことから始めたの。それ以外にビギーのヴォーカルを持っている人は限られていた。実際はその前に、YouTubeにあるビギーのアカペラを探して聴いていたの。このプロジェクトにワクワクしていたし、クリエイティヴな気分だったから。毎日マスターを聴きながら、どの曲を作るか、彼のヴォーカルをどう使うか、今日の完成作品になるアレンジをしたり、ゲストを決めてどこに入るか指示したり……私、優秀なアレンジャーなのよ(笑)。このアルバムではリリックをたくさん書いたけど、書いてない曲であっても、私がみんなのアイデアをまとめて、〈これはここに入れて、あれはここに入れて〉って指示できるの。とてもまとまりのあるサウンドに出来上がったと思うわ。私にはそういう才覚があるのよ。いろんな人たちと仕事するのが得意なの。そうすることでいろんなアイデアがより短時間で浮かんでくるからね」。