私にしか綴れない王様の姿――パーソナルな思い出と大いなるレガシーの間に浮かんだ唯一無二のデュエット作品『The King & I』についてフェイス・エヴァンスが語った
悲報から20年
「このプロジェクトをやろうと思ったのは、ナタリー・コールとナット・キング・コールの『Unforgettable... With Love』からインスピレーションを受けたことがきっかけよ。でもビギーが他界して20年を過ぎた年にこのアルバムがリリースされるのは単なる偶然なの。だって私は〈2015年後半か2016年にはリリースする〉と発言してきたし。ツアーに出たりいろいろ忙しかったこともあって、相応しいと思えるストーリーやゲストを揃えているうちに、アルバム完成までに思ったより時間がかかってしまったのよ。だから、ビギーに関して節目となるこの年にリリースしようと計画していたわけじゃないの。これが年内で唯一の節目になればいいとは思っていたけどね(笑)」(フェイス・エヴァンス:以下同。発言はオフィシャル・インタヴューより)。
〈王様と私〉という表題の作品が別のキングからインスパイアされていたというのも興味深いが、それはともかく、数年前から制作スタートを報告されていたフェイス・エヴァンスと故ノトーリアスBIG(以下ビギー)のヴァーチャル・デュエット作品『The King & I』がようやく完成を見た。結果的にはビギーが凶弾に倒れてちょうど20年経った今年のリリースとなったのは節目としては良かったと言えるし、逆にいつ世に出ても良かったものとも言える。なぜなら楽曲のサンプリングや引用はもちろん、ビギーの発したヴァースやパンチラインは、ほとんど諺や慣用句のようなレヴェルでスタンダードな表現となっているからだ。そうした状況は20年経っても変わっていない。
仲間内の符牒として機能するような、ちょっとした言い回しの引用などは数知れず、ドレイクもケンドリック・ラマーもジョーイ・バッドアスもJ・コールもリック・ロスも誰も彼も……というほどのもの。昨年リル・ヨッティが〈(2パックと)ビギーなんて5曲も知らない〉と発言して炎上したのは、単なる〈先人へのリスペクト〉云々ではなく、それをある種の一般常識だと捉える認識が多くの人の間で共有されているからだろう(もちろん、ヨッティが知らないのは問題ないと思うが)。例えばホールジーが“New Americana”(2015年)でビギーとニルヴァーナを並べてみせたように、普通にポップスとして天下を獲ったビギーの楽曲に触れた世代はアーバン方面に止まるものではない。そんな栄光が、ビギーの存在をいまなおクロスオーヴァーさせているのだ。
「このアルバムのレコーディングを始めた時に、確かにこのプロジェクトは私にとって大きな関心事ではあったんだけど、母親であること、家庭の主であること、ショウで歌うことは止められないの、生活をしていくためにね。私の人生のその部分だって維持していかなくちゃならないし。週末にショウをやったり、バッド・ボーイのツアーで2か月ほど出かけたり、そのリハーサルも必要だし……っていう時間的要素やいろんな理由から、たまたまリリースが延期されたのよ。私には子どももいるし、家の水道管が破裂しちゃったから修理しなくちゃ、とかね(笑)」。