
取材協力:Red Bull Studios Tokyo
80年代後半から90年代半ばの日本で生み出されたゲーム音楽の独創性に注目したコンピレーション・アルバム、『Diggin In The Carts』。Red Bull Music Academyの同名ドキュメンタリーに端を発する同作の選曲は、電子音楽シーンの最先端を行くロンドンのレーベルであるハイパーダブを主宰するコード9、そして日本のゲーム・ミュージックに精通し、ドキュメンタリーの監修を務めたニック・デュワイヤーが務めている。
『Diggin In The Carts』のねらいは、歴史に埋もれた過去のゲーム音楽を現代的な視点から掘り返し、その新たな魅力を露わにしようとすることにある。そのねらいを、ゲーム音楽とチップチューンの新旧をよく知る中潟憲雄とQuarta 330、そして田中“hally”治久の対話によって改めてあきらかにしようと試みたのが、Red Bull Studios Tokyoでおこなわれた今回の鼎談だ。
作曲家にしてゲームクリエイターでもある中潟憲雄は、ナムコやメルダックなどで「ファミスタ(プロ野球ファミリースタジアム)」(86年)や「暴れん坊天狗」(90年)を筆頭に、多くのゲーム制作に携わってきた。今年、30周年を記念するCDもリリースされた傑作「源平討魔伝」(86年)の楽曲は『Diggin In The Carts』の3曲目に収録されている。現在は自身のゲーム制作会社であるdIGIFLOYDを経営しつつ、音楽活動を再び活発化させつつあり、「平安京エイリアン」(79年)のリメイクであるファミコン互換機用カセット「NEO平安京エイリアン」とCD作品『NEO平安京エイリアン BGM ReMIX』を発表したばかりだ。
その中潟に、80~90年代の制作現場の裏話や現在のチップチューン・シーンへの思いを訊くQuarta 330は、チップチューンとダブステップ、そしてダブステップ以降のベース・ミュージックとを混交させた独自の音楽をEP『Pixelated』として昇華させ、今年の1月にハイパーダブからリリース。三浦大知“EXCITE”のリミックスも手掛けるなど、国内外でいまもっとも注目を集めるエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのひとりだ。
そして今回の鼎談には、大著「チップチューンのすべて All About Chiptune」を5月に上梓したゲーム音楽史の第一人者hallyも特別参加。奇しくもおなじ2017年に活動の集大成と言える作品を発表した3者が、日本におけるゲーム音楽の過去と現在、そして未来を語った。

VARIOUS ARTISTS 『Diggin In The Carts』 Hyperdub/BEAT(2017)
〈アウト〉〈セーフ〉と聞こえる音を作ってくれ!
Quarta 330「中潟さんが83年にナムコに入社してゲーム音楽を制作することになった経緯はどのようなものなんですか?」
中潟憲雄「僕はもともと、郷里である福島県に帰って教員になると親と約束して東京に出て来たんです。なので、教育実習もやりました。実習をやると大学4年はほぼ潰れるんですよね。そうしたら〈就職戦線〉もすべて終わっていた(笑)。焦りましたね。教員という仕事は好きでしたが、一方、音楽でやっていきたいという思いが強くあったんです。それで音楽業界も回ったのですが〈一昨日来てください〉と門前払いで(笑)。
あるとき、大学の同級生が〈ナムコはおもしろい会社だから受けてみなよ〉と言ってくれた。当時のナムコは〈就職戦線〉とはいっさい関係なく採用をやっていて、〈おもしろい人材を取る〉というポリシーの会社だったんです。それで、デモテープを持ってナムコを受けに行きました。僕は映画研究会で8ミリフィルムのSF映画も撮っていたので、その作品も持って行って」

Quarta 330「多才ですね!」
中潟「いやいや(笑)。それで、なにが良かったのかはわからないけど採用通知が来ました」
hally「中潟さんは入社当時、サウンド担当ではなかったんですよね?」
中潟「ええ。ナムコはもともとアミューズメント会社で、デパートの屋上にある遊園地の乗り物などを作っていた中村製作所という会社でした。その名残で、ロボットがバンドでミュージカルをやる〈ピクパク(PICPAC)〉(84年)という企画が社運を賭けたビッグ・プロジェクトとしてあり、僕はそこに入れられたんです。
入社後1年間〈ピクパク〉に携わったのですが、既にハード面はほぼ出来上がっていたので、シナリオや音楽といったソフトウェア面を担当しました。大貫妙子さんやEPOさんのようなポップ・シンガーたちにメインのテーマ曲を作っていただいて、その他の曲は僕が書いた。
その後、先輩の慶野由利子※さんが産休に入られたので、ゲーム開発・制作の部署へ移りました。当時の音楽制作環境というのは16進数直打ちのプログラミングで作っていくので、最初はものすごく戸惑いがありましたね」
Quarta 330「はじめに楽譜を書いて、それを打ち込んでいくんですか?」
中潟「楽譜を書く暇もないんです(笑)。特にナムコットというファミコン向けブランドの事業部が立ち上がってからは地獄でした。それからはもう、会社に寝袋で泊まり込みですよ。1週間くらい泊まっていると体が臭くなってくるので、会社に風呂道具を置いて蒲田の銭湯に行っていました。当時、社内に〈音屋さん〉は僕と小沢純子※1さんの2人しかいなかった。そこで、〈どうしようもないから手伝ってくれない?〉と企画部にいた同期の川田宏行※2くんを誘った。それでようやく3人。でも、まだ全然足りなかったので、『バベルの塔』(86年)のドット絵のアルバイトで来ていた細江慎治※3くんが〈俺、バンドやってるんすよ〉と言うので誘ったんだよね」
※2 作曲家。代表作に「スターラスター」「妖怪道中記」「ワルキューレの伝説」など
※3 作曲家。株式会社スーパースィープ代表取締役。代表作に「リッジレーサー」「カスタムロボ」など
hally「細江さんも川田さんも、もともと音楽制作をやるつもりではなかったのに、引っ張って来られたんですね(笑)」
Quarta 330「まるで最近のスタートアップ企業みたいですね」
中潟「『バベルの塔』ではマップ作成からデバッグ※まで、やれることはなんでもやりましたよ。『パックランド』や『バトルシティー』(共に85年)はデバッグを死ぬほどやりました。でも、難しくてなかなか最後まで行かないんですよね、これが(笑)」
hally「サウンドの方がデバッグもやっていたというのは当時のゲーム業界ならではですね」
中潟「黎明期なのでゲーム制作にどれほどの時間がかかり、どれだけの人的リソースが必要なのかを上層部も把握しきれていなかったんです。〈いついつまでに、とりあえず何かやってよ!〉〈あ……はい……〉みたいなノリ(笑)。
『ファミスタ』のときは〈アウト〉〈セーフ〉といった声を出せないからPSG※で〈アウト〉〈セーフ〉と聞こえる音を作ってくれっていうすっごい難題を企画者から吹っかけられて(笑)。でも、当時の開発現場って、みんなそうでしたから」
hally「中潟さんはファミコン版の『源平討魔伝』をご自身でやったことを最近まで忘れていたんですよね(笑)」
中潟「そうです(笑)。当時は本当に忙しくて……自分で忙しくしていたのもあるんですが。ゲーム音楽の制作だけでは満足できないという思いもあったんです。〈自分はこういう思いで音楽を作っている〉ということを何かしらの形で表現したかった。
当時、ナムコが提供していたTBSのラジオ番組〈ラジアメ(ラジオはアメリカン)〉というのがあって、その制作会社の社長がナムコの中村雅哉社長の弟さんである中村歓さんだったんですね。その歓社長にお願いしてビクター音楽産業を紹介していただき、『ビデオ・ゲーム・グラフィティ』(86年)というゲーム音楽をアレンジしたレコードを作りました」
Quarta 330「作った音楽を、きちんとした記録としてもレコードにして残したかったんですね」
中潟「ええ。一方、ライヴでゲーム音楽を聴いてもらいたいという思いもありました。自分でシンセサイザーを担いで札幌から九州まで赴き、〈ラジアメ〉の公開録音で生演奏をした。
加えて、社内に映画制作を検討する〈映像プロジェクト〉が発足したことをきっかけに、『源平討魔伝』のプロモーション・ビデオを作ろうという企画も立ち上げて、その当時は一介のイラストレーターだった、のちに映画監督となる雨宮慶太さんにお願いしたんです。そこから『未来忍者』の映画製作(『未来忍者 慶雲機忍外伝』、88年)へと結びついていく。入社数年の若造が勝手にそんなことをやっていた(笑)。
でも、そういうことを自由にやらせてもらえる懐の深さが当時のナムコにはありました。いま考えると、本当に素晴らしい会社だったと思います」
「暴れん坊天狗」ではPCM音源だけで音楽を作ったんです(笑)
Quarta 330「中潟さんの代表作である『源平討魔伝』はアーケード版のリリースが86年ですよね。僕がはじめて触れたのはファミリーコンピュータ版(88年)で、当時子供だった僕にとってはあのサウンドやイラストは怖すぎました(笑)。キャラクターの描き込みが非常に細かく、雑魚キャラの〈餓鬼〉ですら直視できなかったんです(笑)」
中潟「そうなんだ(笑)。ナムコはパックマンやマッピーのようなかわいいキャラクターがメインだったのに、ダーク・ヒーローものの『源平討魔伝』を僕らが勝手に作り出してしまった。当時のナムコ・ファンからすればすごく違和感があったんじゃないかと思います」
Quarta 330「なるほど(笑)。アーケード版『源平討魔伝』の音源はFM音源※ですよね」
中潟「そうです。FMは画期的な音源でした。それまでナムコのシステム基板は波形メモリ音源※1で……それがまた、ナムコ伝統の音色(おんしょく)でもあったのですが。慶野さんや大野木宣幸※2さんのような先輩方の作品がその代表格ですよね。
僕が『源平討魔伝』と『サンダーセプター』(86年)を制作しているときに、ヤマハのFMチップが乗ることになった。でも、音源チップが届いたからといって、すぐに音を出せるわけではない。解析をしながら音色エディターやサウンド・ツールを自前で作らないといけなかったので。サウンド・プログラマーと話し合って仕様を決めながら作っていたので、最初はほとんど手探り状態でした」
※2 作曲家。代表作に「ラリーX」「ニューラリーX」「ギャラガ」「マッピー」など

Quarta 330「アーケードからファミコンへの移植をするにあたって、FM音源の煌びやかな音色もそうですし、同時発音数の面から鑑みても、PSGに置き換えるという作業はどの音を選ぶのかという点で大変だったんじゃないですか?」
中潟「ファミコンは3音+ノイズしか出せませんから、相当悩みましたね。3つの音だけで和声を組むのはなかなか困難でした」
hally「中潟さんはファミコン時代が長く、『バベルの塔』のようなプリミティヴな3音しか出せない時代から拡張音源を駆使する『メタルスレイダーグローリー』(91年)まで、音源を柔軟に使いこなせるようにサウンド・ドライバーが進化していく過程をご存知なんですよね」
中潟「『メタルスレイダーグローリー』や『暴れん坊天狗』はファミコン時代の最後のほうですね。PCM音源※が使えるようになったというのは大きかった」
hally「〈ファミコンの音を普通に使っているだけでは悔しい〉という思いがあったんですよね」
中潟「もちろんそうです。他ではやっていないことをやりたかった。だから、『暴れん坊天狗』ではPCM音源だけで音楽を作るっていうことにトライしたんです(笑)」

福島県で最初にmini KORG 700Sを買ったのは僕だった
Quarta 330「中潟さんの音楽では『ブライファイター(無頼戦士)』(90年)が好きなんです。あの音楽はブラスバンドっぽいと思っていました」
中潟「懐かしいですね(笑)。『ブライファイター』のシャッフルのリズムは『サンダーセプター』から来ています。
僕は中学時代はブラスバンドでトランペットやホルンを担当していて、高校ではオーケストラをやっていたんです。その頃の名残が知らず知らずに出ているのかもしれないですね」
Quarta 330「中潟さんはナムコ入社前からAQUA POLISというプログレッシヴ・ロック・バンドで活動されていたそうですね」
中潟「ええ。僕はイエスやピンク・フロイドなど、プログレを聴いて育った世代なので。70年代のミュージック・シーンは非常に混沌としていておもしろかった。当時、僕は中高生だったので直接的に大きな影響を受けました」
hally「プログレではさまざまな楽器が使われますが、なかでもシンセに心を奪われたんですか?」
中潟「ピアノをやっていて、冨田勲先生の音楽が小さい頃から大好きだったんです。冨田先生がシンセサイザーにいち早く注目していたので〈シンセサイザーという楽器はすごいんだ〉と思って。
時をおなじくしてプログレ・バンドがこぞってシンセをロックに取り入れるようになったので、〈じゃあシンセ買わなきゃ!〉と(笑)。親をだまくらかしてお金を出してもらって、ほぼ国産1号機と言えるmini KORG 700Sを高校3年のときに購入しました。KORGがまだ京王技研と呼ばれていた時代です。福島県で最初に700Sを買ったのは僕だったはずで、〈シンセのモニターになりませんか?〉というハガキが届いたこともありました(笑)」
Quarta 330「当時、シンセは新しいことをはじめるためのキー・アイテム的な存在だったわけですね」
中潟「ええ。〈シンセがなきゃ、はじまらない〉みたいな感じでしたね。その後はPolysixやDELTA、MS-20を使っていた時期があって、〈KORG一択〉になりましたね(笑)。ナムコに入社してからプロフェット5を……」
Quarta 330「いきなり値段が上がりましたね(笑)※」
中潟「もともとプロフェット5の音に憧れがあったんです。どうせ会社の機材申請で買ってもらうなら高いほうがいいだろうと(笑)。後には200万円を超えるEmulator IIも購入しますが」

hally「初期のゲーム音楽作曲家には、中潟さんのようにプログレからやって来た方も少なからずいらっしゃいます」
中潟「スクウェア・エニックスにいた菊田裕樹※くんとかもそうだね」
hally「プログレやシンセが好きだったミュージシャンの血をゲーム音楽は色濃く受け継いでいるんですよね。僕らの8ビット直撃世代はそういったゲーム音楽を知らずに吸収して〈ここにしかない音がある〉と目覚めた。そこから今度は、ゲームボーイなどを楽器として用いるQuarta 330くんのような新しい世代のアーティストに繋がっていく。世代を超えた連鎖のなかで、おもしろい音楽が生まれ続けています」
中潟「なるほど。8ビット、16ビットでしかできない音やビート感っていうのは確かにあるんですよね」
ゲームボーイには楽器として魅力がある
中潟「Quarta 330さんがチップチューンを作るようになったきっかけをお聞きしたいのですが、もともと8ビットの音楽が好きだったんですか?」
Quarta 330「ゲームは兄に奪われていて(笑)、兄がやっているのを後ろから見ていることが多かったんです。音楽制作に関しては、ノートPCなんて買えなかったので、音楽の制作環境を外に持ち出そうと思っても出来なかった。
そんなとき、当時入り浸っていたシンセサイザー関連のBBSの管理人だったChesterfieldさんやその周辺の人に〈ゲームボーイで音楽を作れる〉と教わったんです。その後、おなじBBSで当時から仲の良かったSaitone※さんが大学入学祝いとして〈LSDj(Little Sound Dj)〉という音楽を作ることに特化したスウェーデン製のソフトをプレゼントしてくれました」
hally「いまで言う〈インディー・ソフト〉ですね。ゲームボーイで音楽を作れるソフトが、ちょうど出はじめた時期に、日本でいち早く触ったうちの1人がQuarta 330くんでした」
中潟「それは何年ごろ?」
Quarta 330「2003年ごろですね」
中潟「ゲームボーイの画面のなかで音楽を作っていくの?」
Quarta 330「そうです」
hally「〈LSDj〉は画面がすごく合理的に作られているんです。最初はみんな、たどたどしい作り方だったんですけど、あっというまにプロ顔負けの曲を作る人が登場して、ゲームボーイの音楽は一気に賑やかになりました」
中潟「あの小さい液晶画面のなかでシーケンスも組めるの?」
hally「かなり細かいものが組めます。Quarta 330くんの世代のアーティストはファミコンやゲームボーイが出している音そのものが好きで、ゲームの思い出はそこまで音楽に影響していないんです」

Quarta 330「もちろん思い出はありますが……」
hally「それはそれとして、音楽は別物。だから、チップチューンのアーティストは〈ゲーム音楽だったらアウトだろう〉と思うような音を出すんです(笑)。例えば、Quarta 330くんはいち早く〈チップチューンでは低音がどこまで出せるか〉ということにトライしていました」
中潟「でも、ゲームボーイで低音を出すってなかなか難しいよね」
Quarta 330「そうですね。でも、ゲームボーイの最低音はC0――周波数で言うとだいたい33Hzなので、クラブでも再生できないような超低音が出せるんです。低音といえば、昔のゲーム音楽はベースラインがすごく高くて、歌うような動きをしますよね」
中潟「ゲーム機のスピーカーで聴こえるようにしないといけないから、そうなっちゃうんだよね。そういう制約を取っ払って、ちゃんとしたオーディオ・システムで流すことが前提であれば、もっとおもしろいことがいっぱいできそうですよね」
Quarta 330「こういう感じの音楽です(Quarta 330の曲をかける)」
中潟「なるほど。完全にゲームボーイを楽器として使っているんだね! 素晴らしい!!」
Quarta 330「ええ。ゲームボーイにしか出せないような音量や音程の変化の仕方があるので、楽器として魅力があると思っています」
ゲーム音楽は輪廻転生していくもの
hally「ゲーム音楽の作曲家は映像をすごく大事にしながら音楽を作っていますよね」
中潟「そうだね。ゲーム音楽って音楽として一本立ちするようなものではなく演出としてあるものなので、目立ちすぎちゃいけない。〈ゲームのシチュエーションをプレイヤーにいかに伝えるか〉がメイン。だから、音楽を作るうえで気を遣う部分はすごく多いんです。
僕が曲を作るうえで大事にしていた部分は、ファミコンの頃は〈いかに印象に残るフレーズやメロディーを作るか〉、アーケードの頃は〈いかに騒音のなかで通る音を作るか〉ということです。そういった命題がありつつ、ゲームの世界観も大事にしなければいけない。さまざまなしがらみのなかで音楽を作っていくことが当たり前でした」

hally「そうやって作られた音楽を、新しい世代がゲームや映像から切り離してしまった(笑)。ある意味、失礼な行為ではあるのですが。でも、音楽の聴き方が変われば、新しい価値観も生まれてくるのかなと。ゲーム音楽はそうやって輪廻転生していくものなのだと思わされます。環境が変われば、いくらでも再生して生まれ変わっていけるんですよね」
中潟「そうですよね。Quarta 330さんは今後、どういう音楽をやっていこうと思っているんですか?」
Quarta 330「チップチューンは〈この音源を使って、どれだけみんなを驚かせられるのか〉というスポーツっぽいところがありますからね。既存の音楽ジャンルを踏襲するスタイルを採ると、ちょっとダブルスタンダード的かもしれません。でも、チップチューンの一番の魅力は、その音色にあるんですよね」
hally「Quarta 330くんのいまの音楽は、チップの音とそうじゃない音をバランス良く取り混ぜているので、それはひとつの解答なのかなと思います」
Quarta 330「ありがとうございます。ここ最近はチップの音とそれ以外の音の比率が逆転して、クラブ・ミュージックにゲーム音楽の要素が足されている感じですね」
中潟「ゲーム機からの音源にはこだわらない?」
Quarta 330「こだわらなくなってきました。チップチューンを前提として作りはじめると、他の要素が入ってくるときに〈これは違うかもしれない〉と感じてしまうんです。(チップチューンとしての)純度が薄まる怖さがあって。ここ最近は、ようやく他の要素も入れられるようになってきました」
hally「チップチューンというカテゴリーがしっかりと成熟してしまったので、そこからはみ出すのが難しくなってきている感があります。そんななか、アーティストが試行錯誤している」
Quarta 330「最近のチップチューンは、〈音楽的にはリミットまで来たんじゃないか〉と感じてしまうほど成熟しているように感じます。それをどう見せるかという、これまでとは違う方向へ進化をしている。たとえば、単純にライヴ・パフォーマンスとしての見せ方にこだわるようになったり、より劇場型的な方向性に行ってみたり。完全にクラブ・ミュージックとしてシリアスな方向に行く人もいます」
hally「ゲームとは別の映像中心の世界に行く人もいますね」
Quarta 330「また〈映像のための音楽〉に戻っていくのかもしれませんね」
正直、ファミコンの音の作り方を忘れていたんです(笑)
hally「『Diggin In The Carts』がリリースされるタイミングで中潟さんも『NEO平安京エイリアン』というファミコンのソフトを出すというのはおもしろいですよね」
中潟「偶然だよね。正直に言って、ファミコンの音の作り方を忘れていたんですよ(笑)。でも、やりはじめると〈ああ、そうだった!〉と思い出して楽しめました」
Quarta 330「『NEO平安京エイリアン』の音楽はどうやって作ったんですか?」
中潟「MML※1ベースです。MIDI変換で一発でうまくいくというわけではないので、シミュレーターを使ったりもしています。
あとは弟子の塩田信之※2くんが手伝ってくれて(笑)。彼は『ブライファイター』を作っていた頃に新人として入社して、僕がファミコンの音の作りかたを教えてあげたんです。でも、今じゃもう、塩田くんのほうが(音楽制作では)数段上。逆に僕が塩田くんに教えてもらうという(笑)」
※2 作曲家。代表作に「サマーカーニバル'92 烈火」や「オリビアのミステリー」など
hally「実は、塩田さんをチップチューンの世界に引きずり込んだのは僕なんです(笑)。もともと塩田さんの大ファンで、東京に出て来たとき真っ先に塩田さんに〈お会いできませんか?〉と連絡をしたくらいだったんです。それと前後して〈チップチューンおもしろいですよ、やりませんか?〉と言っていたら、本当にやってくださった。そこからこうやって中潟さんにまで繋がるとは夢にも思いませんでしたけどね(笑)」
中潟「それはびっくりだなあ。今回、『NEO平安京エイリアン BGM ReMIX』という『NEO平安京エイリアン』の音楽のリミックスCDも作ったんです。塩田くんは8ビットで来るのかと思ったら、意外にもクラシック・アレンジ。他にもナムコで一緒だった川田くん、細江くん、それからTECHNOuchiくん、ヨナオケイシくん、WING☆くん、BUNくん、杉山和彦くん、それと『女神転生』シリーズの増子津可燦くんといった友達に参加してもらいました。みんなおもしろい曲を作ってくれて、非常にヴァラエティー豊かな作品集になりました」
常に新しい音楽を作っていた冨田勲先生に習うところは大きいですね
hally「今回の『Diggin In The Carts』で興味深いのは、ゲーム音楽の音楽だけに焦点があるということなんですね。〈古今東西のエレクトロニック・ミュージックを知っている人が、昔のゲーム音楽を聴いたときにおもしろく聴こえるもの〉という視点で編んでいる。
中潟さんがプロジェクトの一部として作っていた音楽が単体として取り出され、こうやってコンパイルされるというのは想像だにしなかったことなのではないかと(笑)」
中潟「ええ。まさかこういった聴かれ方をするとは思ってもみませんでした。ゲームの基板から出ている音自体に着目して、それがチップチューンという形で発展し、Quarta 330さんのようなミュージシャンがそれをさらに広げていったことは新鮮な驚きがあります。
自分自身でもチップチューンの音を聴きながら、今後自分の音楽性のなかでどのようにこうした要素を取り入れるべきか、模索しているところでもあります」
Quarta 330「音楽家としてまだまだ伸びしろがあるわけですね!」

中潟「いやいや(笑)。好奇心ですね。AQUA POLISでもまた活動をしているのですが、それとは別にQuarta 330さんやhallyさんたちのようなチップチューン的な方向性のものも、いずれチャレンジしてみたいですね」
hally「そうですね。僕らは大先輩と一緒にできる貴重な機会が与えられるということで(笑)。本当にこんな時代が来るなんて、思ってもいなかったです。中潟さんはご自身の会社を経営されているからこそ下の世代が気になるというのもあるのかなと思います」
中潟「常に好奇心があるんです。尊敬する冨田勲先生も、亡くなる直前の作品で初音ミクを起用されていました。いつの時代でも最先端を意識して、新しい音楽を作っていた冨田先生に習うところは大きいですね。
しかし、こうやってゲーム音楽が脈々と受け継がれていき、世代を超えてこんなところまで来たんだなと改めて思いました。僕がこの業界に入って、もう30数年ですから、歳も取るわけだよね(笑)」
hally「いやいや(笑)。シンセにしろゲーム音楽にしろ、どんどんリアルに、グレードが上がっていく流れに見えて、気が付いたらもう一度チープな音に帰ってきている。そういったなかで、それぞれ世代が違うのに繋がっていくものがあるというのは、すごくおもしろい。『Diggin In The Carts』はそういう流れの果てにあるものだなあと感じますね」
中潟「そうだね。時代が一回転し、温故知新の中から新たなものが再生していく、そんな現場に立っているんだね、いまの僕たちは」