ボーダーレス室内オペラ川端康成生誕120周年記念作品
「サイレンス」日本初演を記念して

 川端康成の短編「無言」を原作に用い、フランスを代表する映画音楽作曲家アレクサンドル・デスプラが、公私にわたるパートナーでもあるソルレイ(ドミニク・ルモニエ)と共に作り上げたオペラ「サイレンス」。1月25日の神奈川県立音楽堂での上演には、デスプラの14年来の友人であり、彼の音楽を高く評価している作曲家・久石譲も駆けつけた。終演後の興奮も冷めやらぬまま、デスプラ、ソルレイ、久石が熱く語り合った鼎談をお届けする。

 

久石譲「なぜ今回、川端の『無言』をオペラにしようと思ったのですか?」

アレクサンドル・デスプラ「ある芸術家が自己の表現手段を失った時、その芸術家はどのように生きていくのか、というテーマに惹かれました。そして何より、原作のタイトルである『無言』すなわち『サイレンス』が、一種の音楽であると考えたからです」

ソルレイ「沈黙がなければ、音楽も成り立ちませんからね。物語に登場する娘の富子は、もしかしたら幽霊なのかもしれません。その幽霊が最後、タクシーという現実の世界の中に現れるんです」

デスプラ「その幽霊が本物なのか、それとも単なる幻想なのか、川端自身は明言していません。すべては読者の想像力に委ねられています。そこが、川端の素晴らしい点でもありますね」

久石「一般的に言って、オペラというものはあまり多くの内容を伝達出来ない芸術なので、モーツァルトの時代から、出来るだけ単純な物語をオペラ化する場合がほとんどですね。ところが今回、オペラとしては非常に難解な題材を選んだと思うんです。ある種、哲学的な内容を持ったドラマですし、物語が一人称で語られている。そういう題材をオペラ化しようと決めた時、苦労した点はどこでしょう?」

デスプラ「実は作曲の初期段階では、若い三田の視点で物語を進めていくというアイディアもあったのですが、そうすると川端の原作からどんどん離れていってしまう。そこでソルレイと相談した結果、物語の中に語り手を導入しようと決めました。そうすれば、舞台で起こっている状況を、一歩距離を置いた客観的な立場で説明することが出来ると考えたからです。そして、原作と同じ言葉、同じ時系列、同じドラマツルギーを踏襲することで、川端の心境、その世界観をピュアな形で伝えようと考えました」

久石「僕が聴く限りでは、デスプラさんはフランスの正統的なクラシック音楽を継承している作曲家だと思うんですが、今回のオペラではフランス的な要素と日本的な要素がとても良い感じで融合していると感じました」

デスプラ「ありがとうございます。作曲家としては、単に日本の民謡を引用するような安易なエキゾティシズムに陥らないよう、気をつけたつもりです」

久石「つまり、日本的な要素をわざとらしく強調しなかったのが、逆に良かったと思います」

デスプラ「もちろんです。もっとも、オペラの中では日本的な音階や旋法を使用しましたし、3本のフルートを用いた楽器編成も、日本の笛の奏法を意識したりはしましたが」

久石「でも、ドビュッシーなんかも五音音階は使っているから。わざとらしい日本の感じは受けなかったし、とてもナチュラルな感じでデスプラさん自身の音楽として感じられましたよ。ソルレイさんの演出では、どこが一番気をつけた点ですか?」

ソルレイ「デスプラと共同で執筆した台本作成です。執筆作業に入る前に川端作品や評伝を読み漁り、その後、日本の伝統的な舞台についても学びました。その過程で初めて知ったのは、川端の祖父が盲目同然だったという事実です。つまり、幼少期の川端は祖父の〈鏡〉のような存在だったんです」

久石「なんでもご存知なんですね」

ソルレイ「ええ(笑)。野球との関わりや、映画との関わりも調べましたよ。川端は自然を愛し、若さを愛していました。ですから、彼の文学表現には、自然と若さの美に対する賛美が溢れています。その一方で、彼は死を忌み嫌い、死を追い払おうと努めていました。そこで今回は、2つの世界で舞台を構成することにしました。ひとつは(舞台上に並んだアンサンブル・ルシリンの)音楽家の世界。色とりどりの衣装をまとった音楽家たちは、自然を象徴しています。もうひとつは、白で統一された老作家の邸宅の世界。白はサイレンス、つまり沈黙を象徴しています。その2つの世界の狭間で、黒の衣装に身を包んだ登場人物たちが物語を演じていくのです」

久石「黒が死を象徴しているわけですね」

ソルレイ「その通りです。その2つの世界に向き合うのは、ある意味で鏡を見るのと同じことなんです。内面の鏡ですね」

久石「川端作品を視覚的に置き換える時に、演出で一番気をつけた点はどこですか?」

ソルレイ「老作家を描いたビデオ映像です。その映像に、私自身の物語もオーバーラップさせました。例えば、映像の中で映る老作家の左手は、実は私が事故で負傷した左手なんです

※ソルレイは事故の後遺症でヴァイオリニストとしてのキャリアを断念せざるを得なくなった

久石「老作家の顔に森のような映像がオーバーラップすると、人間の業(ごう)のようなものを感じたんです。あの映像がとても素晴らしいと思いました」

ソルレイ「あれは私の脳の断面なんです。事故で入院した時のMRIの断面写真です」

久石「なるほど」

デスプラ「老作家の眼のクローズアップは、パリ在住の日本人画家・黒田アキさんの眼を撮影しました」

久石「とても素晴らしい表情でしたね」

ソルレイ「ええ。黒田さんは快く撮影を引き受けて下さったのですが、やはり画家の眼は特別な力を持っていますからね」

デスプラ「今回のビデオ撮影のために(『エディット・ピアフ 愛の讃歌』などを手掛けた)カメラマンの永田鉄男さんを久石さんに紹介していただいて、本当に感謝しています

※久石と同郷に生まれた永田は、小学校時代からの久石の親友

久石「特に今回のオペラでは、声楽パートが完璧に書かれていると思いました。これからも、こういった純音楽の作品をどんどん書いていってほしいです」

デスプラ「ありがとうございます。実は今まで、声楽のために書いたことがほとんどなかったんです」

久石「本当?」

デスプラ「器楽の作曲のほうが好きなんです。ですから、歌詞にメロディを載せて作曲するという作業が、今回は特に大変でした」

久石「最新盤のフルートのための作品集も聴かせていただきましたが、とても素晴らしかったですよ。協奏交響曲《ペレアスとメリザンド》は、もともと映画のために書いた曲なんですか?」

デスプラ「いえ、最初から純音楽として作曲しました。私の初めての演奏会用作品です」

久石「デスプラさんはもともとフルート吹きだから、フルートの作曲はお手の物でしょう?」

デスプラ「いえいえ、とても苦労しました。エマニュエル・パユのおかげで、ようやく形になったという感じです」

久石「この作品集を聴いていると、ドビュッシーやラヴェルのようなフランス音楽の伝統をしっかり受け継ぎながら、21世紀のコンテンポラリーな音楽を生み出している現代の作曲家という側面をすごく感じるので、どんどんこういう作品を書いていって欲しいと思います。それに『真珠の耳飾りの少女』とか、デスプラさんはもともとメロディメイカーとして優れた才能を持っている作曲家ですからね」

デスプラ「久石さんもですよ(笑)」

取材協力:オカムラ&カンパニー/ワンダーシティ/神奈川県立音楽堂

 


Alexandre Desplat(アレクサンドル・デスプラ)
音楽・台本・指揮/フランス/パリ出身。映画音楽の作曲家としてヨーロッパのアート作品からハリウッド大作まで幅広く手がけ、グラミー賞、ゴールデングローブ賞で音楽賞を多数受賞している。2005年、「真夜中のピアニスト」でベルリン国際映画祭銀熊賞とセザール賞を受賞した。また、2006年の「クィーン」、2008年の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、2010年の「英国王のスピーチ」でアカデミー賞にノミネートされている。2014年の「グランド・ブダペスト・ホテル」でアカデミー賞を初受賞。「シェイプ・オブ・ウォーター」はゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、アカデミー賞作曲賞を受賞。

 


Solrey(ソルレイ)
台本・演出/アレクサンドル・デスプラの公私ともにパートナーであるソルレイ(ドミニク・ルモニエ)は、デスプラ作品の演奏を多く手がけるトラフィック・クインテットのヴァイオリニストであり、CD録音なども多く手がけた。デスプラと常に創作活動を共にし、その音楽性に共感するアーティストである。現在はオペラや室内楽などにおいて、演出、ステージデザインやアートディレクションなど活動の領域を広げ、多岐に渡って活動している。

 


久石譲(Joe Hisaishi)
作曲家・指揮者・ピアニスト。国立音楽大学作曲科卒業。在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として出発。映画「風の谷のナウシカ」以降、宮崎駿監督の全作品の音楽を担当。その他「HANA-BI」「おくりびと」「悪人」「かぐや姫の物語」など国内外の映画音楽を多数手掛け、日本アカデミー賞最優秀音楽賞や紫綬褒章受章を含む数々の賞を受賞。ピアノソロやオーケストラなど様々な演奏活動のほか、近年は指揮者として、また〈MUSIC FUTURE〉や〈Future Orchestra Classics〉を主宰するなど、活動の場は多岐にわたる。

 


©林喜代種

ボーダーレス室内オペラ
川端康成生誕120周年記念作品「サイレンス」

発作によって言葉を発することが出来なくなった老作家・大宮明房。彼を師と仰ぐ若い作家・三田(ロマン・ボクレー)が見舞いに訪れるが、大宮は無言を貫き続ける。彼を介護する一人娘の富子(ジュディット・ファー)が三田の話相手となるが、その会話の内容から、三田は大宮父娘の尋常ならざる親子関係を察知する。大宮邸を後にした三田は、帰りのタクシーの中で若い女の幽霊に遭遇。タクシーの運転手(語り役のロラン・ストケール[コメディフランセーズ])は「幽霊に話しかけず、無言のままでいましょう」と三田に忠告する……。オペラ化に際しては、原作の台詞や地の文をほぼそのまま台本に採り入れ、歌唱パートのない老作家・大宮と幽霊の存在をビデオ映像によって表現。上演では、アンサンブル・ルシリン(弦楽器3[ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各1]、フルート3、クラリネット3、打楽器1)と2人の歌手を、デスプラが舞台上手裏からモニター越しに指揮した。

 


久石譲 Dream Songs:The Essential Joe Hisaishi Decca/ユニバーサル(2020)

日本のみならず、世界を股にかけた音楽活動を繰り広げている久石譲。その代表作28曲をDECCA GOLDが全世界同日リリースする『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』の発売が決定した。宮崎駿監督作「風の谷のナウシカ」、北野武監督作「あの夏、いちばん静かな海。」、高畑勲監督作「かぐや姫の物語」など、久石を語る上で欠かせない重要なテーマ曲を網羅し、アビーロード・スタジオで全曲新規リマスタリングを敢行した究極のベスト・アルバムだ。