30周年を記念して、スカートの澤部渡と佐藤優介(カメラ=万年筆)が発起人となり制作されたトリビュート・アルバム『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』(2013年)から5年。耳鼻咽喉科を前身として、現在は直枝政広(ヴォーカル/ギター)と大田譲(ベース)の2人で活動するカーネーションが、結成35周年を迎えた。
2~4月にはスカート、吉田ヨウヘイgroup、台風クラブという若手実力派とのツーマンライヴ・シリーズを大盛況のうちに終え、今後も2018年6月20日(水)にベスト盤『The Very Best of CARNATION “LONG TIME TRAVELLER”』、6月30日(土)には日比谷野音での記念公演〈35年目のカーネーション「SUNSET MONSTERS」〉を控えるなか、Mikikiでは〈カーネーション結成35周年特集〉として、彼らが常にフレッシュで、類い稀なバンドであり続ける理由に、改めて迫りたいと思う。
ここでは音楽ライターの渡辺裕也が35年の雄大な歩みを辿りつつ、そのサウンドの独創性について思い入れたっぷりにつづっている。 *Mikiki編集部
カーネーションが今年で結成35周年を迎えた。ということは、おなじく83年生まれの筆者も今年で35歳。そんな自分が意識的にポップ・ミュージックを聴き始めたのは90年代半ばのことで、いま思えばカーネーションもその頃に出会ったバンドのひとつだった。
そのきっかけはよく覚えている。NHK-FMのラジオ番組でよく流れていた“It’s a Beautiful Day”が気になり、アルバム『a Beautiful Day』(95年)を購入。その1曲目“Happy Time”で、直枝さんは軽やかにこう歌っていた。〈いつでもロックに夢中/やっぱりこの気持も無駄にしたくないから〉。ところが、この曲の小気味よく16分をきざむギター・カッティングと、印象的なオルガンの音色、そして底抜けに明るい女性コーラスは、当時の僕が抱えていたロックの無骨なイメージとは別物で、とにかく他のロック・バンドとは何かが違うように感じた。
ただ、そのカーネーションに近いものを感じとれるバンドがひとつだけあった。それが、期せずしてカーネーションとほぼ同じ頃に聴き始めたプライマル・スクリーム。要はこの2バンドを通じて、僕はファンクとゴスペルに出会ったのだ。もちろん、それが黒人音楽の影響下にあるものだと理解したのはもう少し後のことだし、それこそ“It’s a Beautiful Day”のAメロがアレサ・フランクリンの“I Can’t Wait Until See My Baby’s Face”(64年)にそっくりだと気づくのも、それから随分後のことなんだけど、何にせよ、僕が黒人音楽に興味を持つとっかかりになったのは、プライマルとカーネーションだった。
ということで、僕がリアルタイムで聴いてきたアルバムは6枚目の『a Beautiful Day』以降。つまり、政風会(直枝さんと鈴木博文さんのユニット)とのスプリット盤としてリリースされた『DUCK BOAT』(86年)から、バンドの転機作となった『Edo River』(94年)に至るまでの作品はすべて後追い。彼らがムーンライダーズの弟分で、〈和製XTC〉と呼ばれていた所以も、初期のディスコグラフィーを辿るなかで徐々に理解していった感じだ。
その音楽的な変遷はやはり刺激的だった。たとえば『天国と地獄』(92年)。アルバムのオープニングを飾るブレイクビーツはさながらヒップホップのようだったし、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの“In Time”(73年)からサンプリングした“ハリケーン”のイントロは、ファンク・バンド化していく『Edo River』の見事な伏線だった。ファズ・ノイズが吹き荒ぶような島倉千代子“愛のさざなみ”のカヴァーまでもが収録されているという、その混沌ぶりにもとにかく痺れた。