死のことを考えているほうが、ただならぬエネルギーが沸いてくるんです
――新作『Solo Piano III』は、過去2作とは違った趣がありますが、世武さんはどのように聴きましたか?
「私にとって『Solo Piano』のシリーズの3枚のアルバムの印象は、ほとんど変わりません。私にとってこの三部作は、時系列感がないというか、ピアノに立ち向かっているゴンザレスの姿勢はどれも同じだと感じているので、変わったという印象は受けませんでした。ただ、私自身が年齢を重ねたせいか、ゴンザレスも多少年を取ったなとは思いました」
――〈年を取った〉の意味を、もう少し詳しく説明してもらえますか?
「自分が好きなアーティストには、若い頃の勢いやヒット作品ではなく、ある程度年齢を重ねていく時間軸のほうに興味があります。だから現在のゴンザレスにはますます引きつけられるのですが、悪い意味じゃなくて、表現者としての現在のゴンザレスは、死に近づいていると感じました。といっても、ピアノの演奏が衰えてきたとかそういう意味ではなくて、現在のゴンザレスは生よりも死の方を強く意識しているんじゃないかと。
人によると思いますけど、私は死のことを考えているほうがただならぬエネルギーが自分のなかから沸いてくるタイプで。その結果、〈今日一日を大切に生きよう〉という自覚がより強く芽生えてくるんですけど、ゴンザレスにもそういうところがある気がします」

作曲とインプロヴィゼーションの境目を見極めることは難しいと思います
――『Solo Piano III』で特に気に入った曲はありましたか?
「強いて言うと、3曲目の“Prelude In C Sharp Major”でしょうか。ただ漠然と、この曲が好きなんですよね」
――ちなみに“Prelude In C Sharp Major”は、『Switched-On Bach』(68年)で有名なシンセサイザー奏者兼作曲家で、後に女性に性転換をしたことでも知られるウェンデイ・カルロスに捧げられた曲です。『Solo Piano III』に収録されている15曲は、ラップ・グループのミーゴスやルービック・キューブを考案した建築家のルビク・エルネー、ゴンザレス本人など15人の人物に捧げられています。
「そうなんですね! いま、初めて知りました」
――それと『Solo Piano III』の収録曲はどれもDメジャーで始まり、Cマイナーで終わる、とゴンザレス自身が明かしています。誰に捧げるかは曲が完成してから考えたそうですが、こうした遊び心のある仕掛けは、自分の作品の一部に深読みを誘うタイトルを付けていたサティに通じるところがあるとも言えます。
「そうですね。私も自分の曲のタイトルにはかなりこだわっているので、他のアーティストのタイトルへのこだわりについては、ある程度理解できます。そしていま、各曲が誰かに捧げられていることを知っておもしろいなと感じましたし、そのことを踏まえて改めて聴こうと思いました。
私自身は他のアーティストの作品のタイトル自体にはあまり興味がなかったりするんですけど(笑)。ゴンザレスは、どうなんでしょうね? 彼は、他のアーティストがやっていることをどの程度気にしているか、あるいはまったく気にしていないのか、興味があります」

――『Solo Piano III』のなかで、エチオピアの女性ピアニスト、エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゴブルーに捧げられた10曲目の“Cuctus Impromptu”だけは、インプロヴィゼーションで録音した曲だそうです。確かにこの曲は、次の音を探りながら弾いているような感じがします。世武さんは、どのように感じましたか?
「この曲だけがインプロヴィゼーションということは、いま初めて知りましたし、エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゴブルーのことも知りませんでした。ただ、何をもってインプロヴィゼーションとするのかということは重要なポイントで、作曲とインプロヴィゼーションの境目を見極めることは難しいと思います」