八木皓平が分析する〈実験性〉
イヴ・トゥモアは実験音楽の未来を切り拓く

90年代半ばごろからエクスペリメンタル・ミュージックの中核を担ってきた電子音響~エレクトロニカは、ラップトップの民主化をはじめとしたさまざまなテクノロジーの発展により進歩を遂げてきたが、ゼロ年代の終盤以降はかつての勢いを失いつつあるように思えてならない。ノイズやアンビエント/ドローンはひとつのパターンとして消費されるようになってしまった。

音楽における〈実験性〉を再考すべき時が来ている。それは、ここ数年ぼく自身がずっと感じてきたことで、その感覚は今年になってより一層確信に近いものになった。だからぼくは本稿で、今年屈指の傑作であるイヴ・トゥモア『Safe In The Hands Of Love』を通して、エクスペリメンタル・ミュージックの所在を考えるための試論を書こうと思う。

エクスペリメンタル・ミュージックはノイズやアンビエント/ドローンといった要素それ自体に存在するわけではない。そのことに気付いたエクスペリメンタル・ミュージックの音楽家たちがここ数年、ヴォ―カリズムを開拓していったことは注目に値する。ぼくが〈変声音楽の時代〉と呼ぶ音楽シーンの現状は、その傾向を包括するものだ。エクスペリメンタル・ミュージックの先鋭性を保ちながらヴォーカルを取り入れ、スムースなものにすることなくエンターテインメントとして響かせること。彼らはこの〈エンターテインメント〉というハードルに、真の〈実験性〉を見出しはじめている。

2018年は、先鋭的な電子音楽を作り続けてきた音楽家が、自身の音楽にヴォーカリゼーションを取り入れることで斬新な作品をリリースしてきた年だ。たとえばワンオートリックス・ポイント・ネヴァー『Age Of』、ソフィー『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』、渋谷慶一郎『Scary Beauty』、ロウティック『Power』、アムネジア・スキャナー『Another Life』等がそれにあたる。

ソフィーの2018年作『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』収録曲“It's Okay To Cry”

もちろん歴史を遡っていけば先鋭的な電子音楽家がヴォ―カリゼーションを導入した音楽作品をいくつも見つけられるが、その質と量、ヴァリエーションにおいて2018年は抜きん出ていると感じる。そして、イヴ・トゥモアの新作『Safe In The Hands Of Love』もその流れに位置しているのだ。

キャリアを通してイヴ・トゥモアの多彩なサウンドの中心を形成する大きな要素として挙げられるのは、何とも奇妙な音色の連続性だ。どんな音色/テクスチャーやビートが扱われようと、リヴァーブをはじめとした様々な音響処理を媒介に、バラバラに思える各音色が繋がりを持っている。ビートやヴォーカルが際立ち、サウンドがクリアになったようにも思える『Safe In The Hands Of Love』にもそれは当てはまる。収録曲“Noid”の冒頭を聴くと、初めは〈けっこう分離感があるじゃないか〉と思うかもしれないが、2分を越えた後に現れるヴォーカルを聴いてもらえれば、そのヴォーカルが冒頭よりもはるかにバック・トラックの深くへと沈み、トラックとの連続性を持っていることがわかるだろう。

“Lifetime”や“Recognizing The Enemy”をはじめ、いくつかの楽曲ではヴォーカルが平面的/拡散的に広がっていくようなミックスになっていることから、ヴォーカルとトラックが分離せず、相互に貫入しあうようなサウンド・デザインになっていることがわかる。これは電子音響~エレクトロニカ以降のサウンドで歌モノを作ろうとしたときに、トラックとヴォーカルが完全に分離したカラオケ的サウンドに陥ることの真逆を行くものだ。それがイヴ・トゥモアの鋭利でアグレッシヴなサウンドとマッチするように形作られていることは特筆すべき点だろう。それが極めて高度な達成を見せているのが、終盤の2曲であり、“All The Love We Have Now”~“Let The Lioness In You Flow Freely”、この流れを聴くだけでも本作の素晴らしさが伝わると思う。

チルウェイヴ~ポスト・ダブステップ~インディーR&Bにおけるヴォーカルを形容する際に、頻繁に〈ゴーストリー〉というワードが使用される。本作もどこかその流れに位置するようなヴォーカリズムが散見されるが、そのゴースト=ヴォーカルは、いったい何に憑いているだろう。その問いに対し、イヴ・トゥモアは明確に、〈それはバック・トラックである〉と宣言しているようだ。確固たるメロディーを持ちながらトラックに同化し、かつ存在感を見せるゴースト=ヴォーカルはある種の詩的な情緒表現を退け、あくまで唯物的な在り方でぼくらに新たな快楽への扉を開けてくれる。その扉の先には新しいエクスペリメンタル・ミュージックが待っているように思える。