「資本主義リアリズム」の著者として知られるイギリスの評論家、故マーク・フィッシャーによる本書は、音楽、TVドラマ、映画、小説など文化的な側面と、資本主義がもたらした閉塞感漂う世相とを深い考察を基に関連づけ語られている。現代思想の知識が必要な箇所もあるが、ジャングルのセンセーショナルさについてや、トリッキー、ブリアル(本書ではベリアルと表記)の詳細な分析など、音楽にまつわる部分の的確かつ熱のこもった文章には引き込まれるし、貴重なブリアルのインタヴューも必読といえる。タイトルはラフィッジ・クルー=ゴールディーが93年に発表した楽曲“Ghost Of My Life”から取られている。

 


2018年に邦訳された「資本主義リアリズム」が話題となったイギリスの評論家、マーク・フィッシャー。商業主義が行き渡り、資本主義以外の政治・経済的な制度を想像することすらもできないような状態――それをフィッシャーは〈資本主義リアリズム〉と呼び、同書で克明に描写している。なかなかに気が滅入る話ではあるものの、彼は資本主義リアリズムの弱点やほつれも指摘する。例えば、蔓延しているメンタル・ヘルスの問題、環境破壊、それに行き過ぎた官僚主義など。が、うつ病を患っていた彼は、2017年にみずから命を絶ってしまった。なんとも希望がない……。

というわけで、正直に言って、「資本主義リアリズム」は読んでいて暗い気持ちにもなってしまう。それでも、ピクサー/ディズニー映画の「ウォーリー」など、卑近な例を用いたわかりやすい分析による同書はかなり読みやすくておもしろいし、息苦しい世界を生き抜くためのヒントも詰まっているはず(〈この世界、超生きやすいな~〉と感じている人は除く)。〈資本主義体制を打破せよ!〉なんていう時代錯誤のアジテーションでは決してない同書は、噛み砕いて言えば、〈もう少し別の世界も想像できるんじゃないか〉というメッセージが込められた、フィッシャー個人の視点からのエッセイだ。継続教育カレッジで講師を務めていた彼の、仕事に対する恨みつらみが垣間見える文章には親近感も感じられる。

そんなフィッシャーによる音楽論を中心とした評論集がこの「わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来」だ。髙橋優人による解説にもあるとおり、この本は「資本主義リアリズム」の文化論編と言っていい。ただ、内容はかなり骨太。本も厚いが、もしかしたら前著よりこちらのほうが濃密かもしれない。

「ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち」の書評でも触れたが、フィッシャーはオルタナ右翼に霊感を与えた思想家、ニック・ランドの元で学んだ経歴を持つ。そこでも書いたように、ランドの研究組織はエレクトロニック・ミュージックと密接な関係にあったわけだが、本書でフィッシャーはレイヴでの体験、そしてジャングル/ドラムンベースのサウンドの革新性を繰り返し強調する。そして、80年代のポスト・パンクや90年代のジャングルを経た21世紀の音楽からは、〈未来の衝撃〉が失われてしまったのだと。例えば、フィッシャーはアークティック・モンキーズの“I Bet You Look Good On The Dancefloor”(2005年)のミュージック・ビデオを観たときに、その音楽も映像も80年頃に作られたものだと勘違いしたとか(本当に?)。21世紀の音楽は懐古主義に支配されている。未来の音楽など想像もできない。文化は減速している。

そこでフィッシャーが持ち出すのがジャック・デリダの憑在論で、フィッシャーはこれをダブステップのブリアル(英語の発音に倣って〈ベリアル〉と表記されている)やジャングルのゴールディー、トリップ・ホップのトリッキー、エクスペリメンタル(と言えばいいのだろうか)のケアテイカーといった音楽家たちの作品に適用していく。

憑在論というのは時間に関する理論で、〈もはやないもの〉と〈いまだ起こっていないもの〉という2つの方向性を持つ潜在的なもの――すなわち〈亡霊〉の働きについての考えだ。この2つの方向性は、簡単に言ってしまえば、過去と未来ということになる。つまり、フィッシャーの言う〈憑在論的な音楽〉とは、過去と未来の亡霊に取り憑かれた音楽ということになる。

例えば、ブリアルの音楽はレコードを再生したときの〈チリチリ〉というノイズ(クラックル・ノイズ)に覆われていることが特徴だが、それはレコードという失われた物質へのメランコリー(鬱)と関係しているのだと。だから、本書の副題は〈うつ病、憑在論、失われた未来〉というわけなのだ。

そんな前提から出発する「わが人生の幽霊たち」(書名はラフィッジ・クルー=ゴールディーの曲名から)。前半のブリアル論とブリアルへの貴重なインタヴュー、ゴールディーの音楽から導かれるジャパンとトリッキーについての思索、ジョイ・ディヴィジョンのメランコリーについての文章、ケアテイカーへのインタヴューなどは目が覚めるような内容で、〈ああ、自分はこんなふうに書かれた音楽についての文章が読みたかった〉と感じる、発見だらけの内容だった。

さらに本書が論じる対象は音楽に留まらず、小説やTVドラマ、映画にまで及ぶ。映画ではケアテイカーのコンセプトに深く関係している「シャイニング」についてのテキストや(個人的には最高の映画だと思っている)「裏切りのサーカス」をこき下ろした文章もおもしろいが、後半に収録された「インセプション」の評論にうならされた。

クリストファー・ノーラン監督による「インセプション」は夢を扱ったSFアクションで、そこでCGによって描かれる夢はTVゲームのようだとフィッシャーは指摘する。企業の利益を巡って争われる舞台となった夢(そして、そこに関わる無意識)は、もはや広告と資本に侵されているのだ……。まさに資本主義リアリズム的な観点からの評論で、本書を読み終えた後に思わずNetflixで観直してしまった。

最後に、この「わが人生の幽霊たち」は訳注が充実していることを強調しておきたい。特に多数のミュージシャンの固有名詞に付けられたele-king編集長・野田努による解説がおもしろく、親切にも〈必聴盤はこれ〉というガイドまである。新たな視点から21世紀(そして過去)の音楽に改めて出会い直すための、ひとつのきっかけにもなる素晴らしい一冊だ。