SEEDAのクラシック・アルバムにインスパイアされた映画「花と雨」
音楽を通じてアイデンティティーを探求する青年のストーリー
ヒップホップ/ラップを題材にした映画ということで大雑把に思い出してみれば、カルチャーそのものを紹介する役割も果たした「ワイルド・スタイル」(82年)や「ビート・ストリート」(84年)といった古典は前提として、多くの人が思い浮かべるのはエミネムが主演を務めた彼の半自伝的な作品「8 Mile」(2002年)だろう。近年ではNWAの伝記映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」(2015年)や2パックの伝記映画「オール・アイズ・オン・ミー」(2017年)などが大きな話題になったものだし、日本産では評価の高い「SR サイタマノラッパー」シリーズ(2009年~)をはじめ、田我流が主演した「サウダーヂ」(2011年)、マンガを原作とするラップ・ミュージカル的な「TOKYO TRIBE」(2014年)、直近ではANARCHYが初監督した青春映画「WALKING MAN」(2019年)も記憶に新しいところだ。ただ、この「花と雨」はそれらのいずれとも違う雰囲気を備えている。
タイトルが示す通り、本作はラッパーのSEEDAが2016年末に発表したアルバム『花と雨』に着想を得た作品である。彼のキャリアにおいても極めてパーソナルな表題曲をはじめ、そのアルバム自体にSEEDA自身の思春期~青年期を振り返ったような側面があるため、そのまま伝記的な作品と捉えることも可能ではあるが、位置付けとしては〈SEEDAの伝記映画〉というより、あくまでも〈『花と雨』の映画化〉というニュアンスになっている。つまり、彼がどんなキャリアを歩んできたかのストーリーを語ること以上に、まだ何者でもない彼がその局面ごとに何を考えていたのか、それがどのように楽曲に落とし込まれたのか、という感情/心情の部分を映像化したような作品になっているのだ。
笠松将が演じる主人公の吉田(≒SEEDA)は、ロンドンで幼少期を過ごし、父母と姉に囲まれて帰国子女として東京の学校に通う高校生。周囲の空気に馴染めないままもどかしい日々を送るなか、聴き親しんでいたヒップホップを通じて仲間となる面々と出会い、自分を表現できる場所を見つけていく。大学に進んでからも唯一の理解者である姉との約束を胸にラッパーとして精進していく一方、その過程で彼が手を染めたのは危険なドラッグ・ディールだった。やがてCDデビューに漕ぎ着けるも思うような成功には至らず、現実の壁にぶち当たった吉田は、仲間や周囲との軋轢の中でもどかしい思いを抱えながら、後ろ暗いストリートに軸足を移していくことに。そんななか不安定な稼業にもトラブルが重なり、仲間の逮捕、そして自身の逮捕の果てに待ち受けていたのは、最愛の姉との別れだった……そんなドン底から吉田がもう一度立ち上がろうとするまでの物語が描かれている。
スキルに自信を持ちながらも周囲からは認められず、〈もっと日本語でラップしろ〉という声に反発しながら、やがて〈伝えること〉に開眼していく流れは、実際にSEEDAがアーティストとして経験した成長のプロセスでもある。いまでこそ不世出のラッパーとして認知を得ているものの、現実のSEEDAはまさに『花と雨』によってようやくシーンの確たる支持を掴み取ったわけで、それ以前、つまりこの映画「花と雨」に登場する〈彼〉はまだ何者でもない一人の若者だ。特殊能力を持つ天才ラッパーとして描かれているわけでもなければ、ハスラー生活が派手に描写されているわけでもないから(もっとも、SEEDAの詞世界において、そもそもハスラー稼業は決して華やかに賛美されてはいない)、一口に〈ヒップホップ映画〉と括った際にイメージされるような爆発的なパフォーマンスやクライム・サスペンス的な盛り上がりが用意されているわけではない。ただ周囲に認められたくて空回りする若者としての苛立ちや焦り、諦めと、裏稼業に付きまとう不安や猜疑心などが淡々と入り交じってスクリーンに鬱屈とした色合いを映し出している。
もっとも象徴的なのは、因縁の相手とMCバトルで対峙するシーンの表現だろうか。相手の達者なラップを受けて吉田のターンになった瞬間、場面は切り替わってしまうのだ。「8 Mile」終盤のカタルシスを思えば対照的な演出だが、これは受け手の不満足を経由して吉田の消化不良な気分を共有する采配のようでもあり、そうした寡黙な演出は作中の随所に窺える。監督の土屋貴史は、数多くのTVCMやMVなどを手掛ける傍ら、さまざまなアーティストとコラボレーションしてきた映像作家で、長編商業映画としてはこれがデビュー作。また、吉田を演じる笠松将は、2017年の「デメキン」をはじめ、2018年の「このまちで暮らせば」「響-HIBIKI-」「さかな」、2019年の「デイアンドナイト」などの映画やTVドラマに出演した経歴はあるものの主演はこれが初めて。両者の対象への深い理解が、そのまま作品の深みに繋がっているのは言うまでもないだろう。
なお、“DAYDREAMING”を想起させるロンドン時代のシーンのようにリリック内の描写を映像化したような場面も多いため、以前からSEEDAの曲に親しんできたリスナーなら不思議な感慨を覚えるはずだが、本作はSEEDAやヒップホップについて特段の予備知識などを要するものではない。もちろん記憶の積み重ねがある人のほうがより深く味わえるはずだが、不器用な青春を送る若者が葛藤しながら道を見定めていく物語は、純粋にジャンル映画を越えた普遍的なものとして楽しむべき作品だろう。 *出嶌孝次
2020年1月17日にLPでリイシューされるSEEDAの2006年作『花と雨』(CONCRETE GREEN)
「花と雨」
【出演】笠松将、大西礼芳、岡本智礼、中村織央、光根恭平、花沢将人、MAX、サンディー海、木村圭作、紗羅マリー、西原誠吾、飯田基祐、つみきみほ、松尾貴史、高岡蒼佑
【監督】土屋貴史 【原案】SEEDA、吉田理美
【脚本】堀江貴大、土屋貴史
【音楽プロデューサー】SEEDA、CALUMECS
【製作】藤田晋、中祖眞一郎
【エグゼクティブプロデューサー】藤田晋、SEEDA
【プロデューサー】松竹奈央、平賀大介
【制作プロダクション】P.I.C.S.
【配給】ファントム・フィルム
■2020年1月17日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
©2019「花と雨」製作委員会