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高橋幸宏とカシオのクリエイティヴな関係性

――幸宏さんは、かねてからカシオの電子楽器を愛用しています。スティックが置けるようにデザインした特別仕様のCZ-5000、エレクトロニック・ドラムの音源として使用していたコスモシンセサイザー、幸宏さんがサンプルを提供したリズムマシンRZ-1など、特に80年代は関わりが深かったそうですね。

「CZ-1のCMソング“Providence”(86年)を作って自分も出演したり、音色について色々相談させていただいたり。工場まで行って話をしてきたこともありました。カシオさんとの思い出で、最も記憶に残っているのは85年のツアー(〈YUKIHIRO TAKAHASHI JAPAN TOUR 1985〉)ですね。ツアーの一環で武道館でイベントがあったんだけど、冨田勲さんと千住真理子さんがゲストで出てくれて、バンドはギターがカルロス・アロマーで、ドラムがスティーヴ・ジャンセン、ベースがロドニー・ドラマーという海外勢。カルロスは、デヴィッド・ボウイのツアーで弾いていたのがあまりにもカッコ良かったので、〈来てくれない?〉って頼んだら来てくれたんです。立花ハジメがヤンチャに走り回っていたのはいつも通りでしたね(笑)。

その時のコンサートで、カシオさんにオリジナルのドラムパッドを作ってもらったんですけど、面白いエピソードが一つあって。スティーヴとダブルドラムを演奏するときに、ドラムがセッティングされているステージが本来は自動で回転するはずだったのですが、途中で止まってしまって客席に後ろを向いたまま叩いたことがあって(笑)。ドラムって、後ろから見られることは滅多にないじゃないですか。非常に無防備で戸惑ったことを覚えています。それも含めて、楽しい思い出ですね」

〈音の部屋〉に展示されているコスモシンセサイザー
 

――工場まで行ったとおっしゃっていましたが、誰も聴いたことのないような新しい音色は、どんなところからインスパイアされ作っていたのですか?

「とにかく、ひたすらツマミをいじっていましたね。アナログ・シンセだから数値では打ち込めないんですよ。例えばある楽器のたった2つのオシレーターを使ったとしても組み合わせは無限にある。それを延々とやっていると、突然いい音が生まれるんです。それを慌ててメモリーすることの繰り返し。放っておけば3時間でも4時間でもやっていました。逆に言えば、ずっと触っていれば必ず面白い音に出会えたんです」

――デジタルは0と1の組み合わせですが、アナログは0と1の間にも……。

「そう、無数に音がある。例えばヘリコプターの音なんて、どこかで録音してくればいいのに、わざわざシンセで作ることに夢中になってた。例えば『音楽殺人』(80年の高橋のソロ作)の最後の曲“THE CORE OF EDEN”は、ヘリコプターが飛んでくる音から始まるんですけど、これは僕が『地獄の黙示録』を観て衝撃を受けたからこそ生まれたアイデア(笑)。マニュピレーターの松武(秀樹)さんと一緒に、3時間くらいかけて音を作っていましたね(笑)。うまくいくと、もう嬉しくて……そんなことばっかりやってたな(笑)。レコード会社の人にしてはたまったもんじゃなかったと思うけど、〈こういう音を、シンセで作ることに意味があるんです〉って、ずっと力説してました」

高橋幸宏 音楽殺人 SEVEN SEAS(1980)