重なっていくストーリーの果て、描いた願いがリンクする――かつて福岡のバンド・シーンを賑わせた伝説の4人組が13年ぶりに奇跡の再始動!

 井上マサハル(ヴォーカル)、松隈ケンタ(ギター)、北島ノリヒロ(ベース)、轟タカシ(ドラムス)から成る4人組、Buzz72+(バズセブンツー)。地元・福岡での実績を引っ提げて鳴り物入りで上京し、2005年にメジャー・デビューするも、2007年末に井上が脱退して以降は無期限活動休止となった〈知る人ぞ知るバンド〉だが、そこから松隈がBiSやBiSHらのサウンド・プロデューサーとして成功を収めたことは言わずもがな。時は流れ、映画「ボヘミアン・ラプソディ」に感銘を受けた松隈が井上と和解したのをきっかけに、13年ぶりに再始動して新作『13』を完成。松隈と井上に往時の思い出から未来までを語ってもらった。

 

〈敵などいない〉という気持ち

――まず、2007年末で活動休止になる際、最後はどういう別れ方だったんでしょう。

松隈「いい質問ですね(笑)。もう記憶がほぼないっていうのはあるけど」

――ハルさんが脱退を告げたのは?

井上「夏ぐらいでしたね。確かBAYSISかどこかのライヴの後で……もともと悩んでたんですけど、たぶんノリ(北島)にその日のステージの立ち居振る舞いをダメ出しされた時に自分の中でブチッと切れて、それが最後のきっかけだった気がします」

松隈「それは初めて聞いたわ。わりと俺は普段からグチグチ言ってたけど、時々ノリも言って、よう喧嘩してた記憶はあるね」

井上「機材車で来てたんだけど、その日は車に戻らずに時間潰して帰ったのかな」

松隈「それで年末にツアーを切ろうとしよったのをキャンセルした気がする。ただ、北九州のスペースワールドっていう遊園地のカウントダウンが決まってたので、そこがラストになりましたね。で、前日の12月30日に福岡のDRUM Be-1で解散ライヴをやって。あと、スペースワールドの後にBe-1のオールナイトにも出とるんよ」

井上「出た出た。それが本当の終わりか」

松隈「なんで、最後の2日間は忙しかった(笑)。ワンマンの次の日にみんな無言でスペースワールドまで行ってカウントダウンして、無言で帰ってきて。で、朝方にBe-1でライヴして」

井上「打ち上げもなかったんじゃない?」

松隈「ない。で、そこから13年間会わず」

井上「まあ、途中でちょこっと会ったりとかはありましたけど」

松隈「渋谷の道とか、共通の知人のライヴ会場ですれ違ったり(笑)」

――気まずさはありましたか。

松隈「〈どうも、元気?〉って。気まずいというより他人行儀な感じですかね」

井上「普通に挨拶して……まあ、逆に言うと、ツンケンしてたほうがまだ距離が近かった。でも、それもない他人みたいな」

――それは何とも言えないですね。

松隈「〈解散〉だとまた違ったんでしょうけど、ハルは脱退を決断して違う方向を見てたので。僕も衝撃でしたけど、振り返らないようにしてたっていうのはあって。それが13年も空いた原因かもわかんないですね」

――新ヴォーカルでBuzzを継続する考えはなかったんですか?

松隈「もちろん良いヴォーカルがいたら入れたいなっていうのは、脱退が決まった瞬間からずっとありました。俺が歌ってもいいんじゃないかとか考えましたけど、そこに対して他の2人はあんまり乗り気じゃなかったかな。実際、俺も〈まあ、ハルを上回る奴はいないだろうな〉って思ってたから、必死には探してなかったっすね」

――〈いないだろうな〉っていうのは?

松隈「そりゃもう、福岡で最強の男性ヴォーカルだと思ってましたし、ハルを超える男は観たことがないというか。歌が上手いと言われるし、実際に上手いと思いますけど、それよりも度胸というか、勝負強いんですよね。例えば当時〈a-nation〉のオープニング・アクトに出させてもらったんですけど、アウェイな場なのに、〈俺たち花道走ろうぜ〉とか言って。動じないというか、そういう変態性があるんですよ(笑)」

井上「あれは楽しかった。〈敵などいない〉みたいな気持ちになれた瞬間でした。あんな大きい会場で、長い花道を走って……」

松隈「膝からスライディングして、〈俺たち、歌う核弾頭ことテポドンです、よろしく!〉とか言って、会場中がシーンとなったよね(笑)」

井上「ちょうどそのニュースがあって……めちゃくちゃ怒られたね。ただ、怒られる瞬間まで〈めちゃくちゃ良いライヴしたから絶対に褒められるぞ!〉って思ってた(笑)」

松隈「絵に描いたような調子乗りなんですよ。で、落ちる時は落ちるっていう。そこは俺と真逆でホントにピュアなんで」

――フロントマン気質というか、繊細かつ調子乗りで(笑)。

松隈「そうそう。意味わかんないっす(笑)。当時そこをうまく引き出してあげられなかったのは反省としてありますけどね」

――では、さらに遡りますが、そもそも最初の出会いはどういうものだったんですか?

松隈「2000年、20年前か」

井上「そうだね、お互い別のバンドをやってまして。当時の福岡ってジャンル的に多少違っても対バンするのが当たり前だったので、僕がけっこうハード・ロック的な感じのLAS VEGASってのをやってて、松隈がJ-Pop寄りのロックみたいな感じで」

松隈「ドラムの轟君と俺がBuzzの原型になるGRANDSLAMをやってて、ちょうどベースとヴォーカルが脱退するって時に、よく対バンしてたハルを誘ったのかな。まあ、ハルは放浪癖があって、いろんな人と仲良くなるんですね。なんで、ウチの打ち上げにもガンガン来てたりとか」

井上「そう、行ってた(笑)。普通に対バン関係なくライヴ観に行ったりとか」

松隈「で、〈一緒に弾き語りやろうよ〉って、俺がギター弾いて西鉄久留米とかで歌いよったもんね。最初は〈掛け持ちでいいから、ウチでも歌ってよ〉っていう感じで、しばらく両方やってたんですよ。で、ノリも自分のバンドが解散するとかで誘ったんかな? それで4人が集まった感じです」

井上「そう。2001年にノリと俺が入って、2002年にBuzz72+に改名したんですよ」

――バンド名の由来は?

松隈「あの、当時の人ならわかるんですけど、数字つけたら売れるっていうジンクスがあって。GO!GO!7188とか175Rとか」

井上「ブリンク182とかね」

松隈「だから〈数字は必須だろ〉って(笑)。〈バズ〉はハルが言い出したんかな」

井上「そう、〈Buzz○○にしたい〉って」

松隈「それで数字を1から数えてったんよね。スタジオで店員とか他のバンドの奴とかも巻き込んで何か盛り上がって」

2人「Buzz1、Buzz2……」

――けっこう数えたんですね(笑)。

松隈「Buzz3……しっくりこない。そしたら72までいった時に全員が手を挙げたんですよ。轟君も〈俺の体重や〉って言い出して、彼の体重が72kg強だったんで、Buzz72+になりました(笑)」

井上「それで誰かが〈セブンツーって読んだら?〉って言ったんですよ」

――その頃のハルさんから松隈さんはどう見えてましたか?

井上「僕の勝手な感覚なんですけど、当時の福岡っていったらゴリゴリのハードなバンドだったりV系が多いなかで、松隈はポップ志向というか、ライヴハウス界隈では異端なイメージでした。いま思えばそれが主流なんですけど。で、お客さんも含めてGRANDSLAMは凄く楽しそうだったんですよ。さっき〈放浪癖がある〉って言われましたけど、楽しいから観に行きたくなるような、不思議な魅力がありましたね。だから〈何かおもしろいことやろうぜ〉みたいに僕から近付いてったイメージがあります」

――逆に、当時のハルさんは?

松隈「もう声も良いし、シンプルに僕が観たなかで最強に歌が上手いヴォーカリスト。ただ、僕があんまりヴォーカリストっていうものに憧れとか理想の歌い方とかがなくて。言い方は悪いですけど、ヴォーカルもメロディーを奏でる楽器だと思っているので、僕の作る曲を活かせる楽器という意味でハルの声が理想的だったんですよね」

井上「いま思うと、松隈は総合的なところで音楽を捉えていて、僕はどうしてもヴォーカリストとして自分を見るので、そこに違いがあったと思います」

松隈「うん、そこが埋めれんかったんよね」

井上「当時の自分は理解できていなかったし、どっかで抵抗してた」

松隈「ハルの中でのヴォーカリスト像があって、そこが後から出てきた歪みの原因かなとは思いますね」

 

エネルギーがなくなっていって

――やがて曲が事務所やレーベルの目に留まって、上京されます。今回の『13』でも再録される楽曲が世に出ていくこととなり、まずメジャー・デビュー・シングルだったのが“屋上の空”(2005年)ですね。曲の背景などは前に『WACK & SCRAMBLES WORKS』リリース時にも伺った通りですが(2017年12月号に掲載)。

松隈「はい。Buzzにしちゃ珍しいミッドテンポの曲でしたけど、ライヴで披露したり、デモテープを送った時に、もう引っ掛かりが明らかに違ったんですよ。プロデューサーのCHOKKAKUさんや後に拾われる事務所の方たちからもavexさんからも好評だったので、当然の如く“屋上の空”で決まりました。まあ、後出しですけど、本当は3枚目に持ってきたいと思ってたんですよね」

井上「言ってた。Buzzの王道的な激しめのロックをボンと出して、次にまた違うテイストの出して、最後にトドメとばかりに良いバラードを……って言ってた気がする」

松隈「そう、煮えてからじゃないと、〈いきなりは無理じゃない?〉って思ってました。ただ、当時は意見できるアレもないし、出してもらえるだけでありがたかったんで」

――でも思い通りの結果は出ず。

松隈「ビックリするほど売れなかった。いまだから言えますけど、福岡で感じてた手応えと違いすぎて、〈ダメなんだ〉とも思わなかった。例えば福岡のライヴハウスではELLEGARDENと同じぐらい動員があったので、自分らが東京に来たら同じランクになるもんだと何の疑いもなく思ってたんですよ(笑)」

井上「あと、福岡では自分たちだけでやってたので、〈これおもしろくない?〉っていう思い付きがそのまま形にできたんです。イヴェントを企画したり、すぐ動けたのに、リリース日に予定が何もなかったりして。松隈は周りの人に感情露わにそれを伝えてたのに、俺は〈何でだろうねえ〉ぐらいの感じでした」

松隈「〈リリースするのにチラシ作ってくんねえ〉とか言って、むちゃくちゃ大喧嘩しよったもんね(笑)」

井上「そう考えると俺は甘かった。メジャー・デビュー=ゴールみたいになってた」

松隈「でもそれは逆よ。いまは裏方に回るけんわかるけど、そんなうるさい奴いたら大人がやる気なくすのは当然で(笑)。でも我々はあくせくやってきた田舎者なんで、〈こんなんで大丈夫?〉って不安になってしまって」

――ただ、リリース自体は順調で、2006年1月には次のシングル“太陽賛歌”が出ていて。このあたりの曲はいちばん松隈さんっぽい感じがします。

松隈「そうっすね。U2とザ・フーを足した感じで考えて作ってて、やっぱこの頃のほうが俺の好みがいっぱい入ってますね」

――この“太陽賛歌”とか“光の射す方へ”のようなライヴ映えする曲がBuzzらしさの核という感じで。

松隈「はい、“太陽賛歌”は1曲目とか最後にやる、ライヴの鉄板曲で。やっぱライヴには自信があったし、福岡で対バンとかやってる時は、前のバンドを観た人が誰も帰らなかったんですよ。だからライヴをやればやるだけ客が増えるってシステムになっとったもんね?」

井上「うん。曲の良さだけじゃない何かを超えた勢いみたいなのがあって。それが何なのか?って訊かれたら、僕もいまだにわかってはおらんのですけど」

松隈「東京でいろいろ揉まれて、その良さがなくなってきちゃって」

井上「挫折というか、どんどん〈ああ、俺ダメなんだ〉って勝手に思い込んでいった」

――そういう上京後の状況の変化と、バンド内の軋轢は繋がってたんですか?

松隈「いま考えると比例してました。そしてハルの声がだんだん出なくなり」

井上「東京に来て僕がいちばん変わったんですけど、自分の中から出るエネルギーがなくなっていって。自分がちょっと一線退いてバンド界隈を見て思ったんですけど、やっぱりそういう悲壮感みたいなのって、刺さらないんですよね。〈こんな思いしてる俺はつらい……けど、歌う〉みたいな、そこに酔ってたのかな」

松隈「スタジオなんか狂気だったね。もう、空気悪すぎて」

井上「松隈は松隈で頭ん中のイメージを必死で僕に伝えようとして、僕は僕でそれがわかんないから、松隈にノーって言われ続けて、結局は被害妄想になるし、どんどんバグっていきましたね」

松隈「まあ、やっぱり4人だけでやってれば違ったんですよ。別に俺メジャー行ってからも、曲作りとかディレクションのスタンスは変わっていないと思うので。ただ、僕らは周りの方々に恵まれてて、プロデューサーのCHOKKAKUさんも、スタッフさんもみんな良くしようと思っていろいろ意見をくださるんですけど、僕がワーワー言ってハルが凹んでレコーディングが飛んだらマズイじゃないですか? なので〈ハル、大丈夫だよ、ケンタの言うことは気にしなくていいよ〉っていう声も増えてって。ここでお互い正解がわかんなくなって、さらにバグったと思うんですよね。別にハルの声が潰れたらマズイのは俺もわかってるし、声がガラッとしたとしても俺はそれがカッコイイと思ってたし。だから、ハルから〈いや、松隈の言う通りも試してみたいんですよ〉って一言あれば僕は救われたんですけど、〈ああ、そっちに行っちゃうんだな〉って悲しくなって」

井上「うん、やっぱ楽なほうに逃げ込んだ記憶はあるし、そこにモヤモヤは残ってた。いま歌うと物凄いわかるんですけど、Buzzの曲っていうのは総合的な楽曲っていうか、声も楽器としてハメていくような曲で。それは『13』のレコーディングで松隈とディスカッションしながら改めて感じたんですけど、ディレクションの理解を深めながら、それを再現する能力もついた自分が歌うと、やっぱり手応えがあった。昔はレコーディングが嫌で仕方なかったけど、今回は楽しかったんですよね。だから、凄く思いが詰まった一枚になりました。その意味で、最初は新曲を作る案もあったんですけど、松隈が〈昔の曲だけで一枚作ろう〉って言ったのは良かったなって思います」

松隈「もっと売れてたバンドなら過去の曲をやって喜ぶ人も多いと思うけど(笑)、我々はホントに自己満に近い感じで考えてます。リハビリじゃないですけど、メジャーまで行って俺たちがバグってしまった原因を紐解いていったら、良くも悪くも人がいるからそうなったわけで、じゃあ4人だけでやろうと。そこで〈4人だけで過去の曲を演奏してみたらどうなるんだろう〉となりましたね。なんで、WACKの(渡辺)淳之介が手伝ってくれたり、タワレコさんに流通をお願いしてますけど、音楽の部分は4人だけにこだわりました。シンセも入ってなければ、ループもサンプルも使わず。コーラスも全部メンバーの声ですし」

井上「とても良かったね。おもしろいのは、やっぱ感覚的にも無駄を省こうっていうことで、中間イントロとか縮めたり。〈ここはいらん〉とか言って(笑)」

松隈「〈何だ、この変なギター・ソロ、カットしちまえ〉とか(笑)。過去の自分たちをプロデュースしてるイメージでしたね」

――当時そうあるべきだった方法で改めて作ってみたっていうことですね。

松隈「はい。メジャーの曲もインディー時代の気持ちで作り直した感じですね」

 

すべての原点

――収録曲の中には、中川翔子さんに提供した“フライングヒューマノイド”(2010年)もあります。前にお話した際は〈Buzzの最後の曲〉って表現されてました。

松隈「そうです。なくなりそうなバンドへの個人的な気持ちを〈10年先はどうなってるんだろう?〉って書いたので、それがたまたま中川さんにもハマって歌詞もそのまま使っていただいたんですけど。思い入れが非常にあって、やっぱBuzzで聴いてみたかったので」

井上「当時も一応録ってはいて」

松隈「まあ、正式には出してないんですけど、ちょっと録ったり、ライヴでやってみたりとかはしてましたね」

――過去のどのヴァージョンも良いんですけど、ここにあるのがハマる曲だなって。

松隈「ああ、嬉しいです」

井上「ありがたいです、うん」

――それともうひとつ、新曲という位置付けになるのがリード曲“Beret city”です。

松隈「これも似たような感じで、当時バンドでアイデアを練ったまま眠ってた曲と言いますか。もともと僕が書いてた歌詞を、ハルが今回の復活劇を踏まえて書き換えた形ですね」

井上「基本的に好きなワードとかはそのまま使いました。松隈と川崎で再会して話した時に、〈無敵だったよね、あの時は〉っていう感覚に凄く共感を持ってくれて。だから、元の〈辛くても乗り越えていくぜ〉っていう歌詞を〈もう無敵だぜ、俺ら4人が集まれば怖いものなどないぜ〉っていうテイストに作り替えたので、例えば〈想い描いた未来で 明日を塗り替えていくんだ〉だったり、そういうくだりは書き換えた部分です」

松隈「その気持ちをネジ込んでくれっていうとこで作った曲ですね。やっぱりこういう再結成ってあまりないじゃないですか? 大物が大々的に復活するのでもなく、もっと無名のバンドが身内の前で久々にやりますとかでもなく、この程度のバンドにしちゃド派手にやってるし。13年ぶりにありえない未来がここに作品として出てきたもんで、それを聴いてもらいたいっていう純粋な気持ちですね」

井上「不思議ですよ。まず松隈の成功があるじゃないですか。で、みんなそれぞれ仕事してるじゃないですか。バンドやるってなったら、本当なら〈売れるぞ〉ってなるか〈やれる範囲で細々とやるぞ〉ってなるところが、〈売れんでいいけんカッコイイものを作ろう〉っていう」

松隈「そうそう、売れんでいい(笑)」

井上「みんなできる限りのことをやるんですけど、それでも自然体というか、慌ててないというか、バグってない」

松隈「そうそう。それを四十の男たちが真面目に音出すっていうのはかなり貴重なロックなんじゃないかなと思って、誰にも真似できないんで、そこは突き通したいですね。それで売れたらもっといいけど(笑)」

――それはそうです(笑)。では、最後の質問で……昔のお二人にとってはBuzzが自分のすべてだったと思うのですが、だとしたら、現在の自分にとってBuzz72+とはどういうものですか?

井上「そうですね……音楽ってずっとやり続けれるものだし、なくならないとも思う。で、いま40歳になって、まだまだこれからですけど、やっぱり時間の限りみたいなものを知った時に、豊かな人生のほうが良いじゃないですか? そのなかでBuzz72+っていうのは、もう自分の人生を何十倍にも豊かにしてくれるものだなと。それが昔は漠然としていたんですけど、いまは〈自分の人生でBuzzをあと何回できるかな?〉っていうところで楽しかったり、〈Buzzで何ができるかな?〉って考えるのが楽しかったり、すでにもうレコーディングとかMVとか、一緒に飲んだりすることが確実に人生を豊かにしてくれてて。そういう存在だなって、いまは明確に見えてきましたね」

――松隈さんは?

松隈「う~ん、いまグサッとこの質問をされて考えたんですけど、俺は逆かもわかんなくて、当時は明らかにBuzzが自分のすべてだと思ってたんですよ。でも、逆に当時のほうが〈これで食っていきたい〉とか〈モテたい〉とか邪念だらけだったわけです。いまのほうがBuzzっていうものが〈あ、これが僕なんだな〉っていう感じがしてますね。やっぱすべての原点じゃないですか? Buzzをやってて、この曲があったから現在がある。“屋上の空”も“フライングヒューマノイド”も含め、しょこたんとかWACKとか、人生を変えてくれたものの中にBuzzが必ずいたんですよ。〈あ、おったわ、コイツら〉って思って」

井上「うんうん(笑)」

松隈「淳之介ってそういうストーリーを意図的に置いていくんですけど、俺は別に図ってないのよ。でも、気付けばやっぱりBuzzが原点で、そこから派生したことをいろいろやってるだけなので、いまのほうが逆にカッコつけてないっていうか、〈それを売らなきゃ〉とかいう無理がないので、いま物凄く自然体としてBuzzを感じれてる。〈俺はBuzz72+のギタリストなんだな〉っていうところがしっくりきました、はい。Buzzが僕ですね」

井上「そうだね、周りをガラッと取り払ってピュアなものが見えてきたっていう」

――さっき〈リハビリ〉だと仰ったので、本調子があると思っておいていいんですよね。

松隈「そうですね、新曲とか次回作も必ず作りたいなと思っていますし。あとはライヴですね。年内には目標でやりたいなと思って。まあ、やっぱりオッサンなんで定期的にツアーとかまではできないっすけど、一発限りじゃなくて、ずっと続くバンドにはしていきたいなと思ってますね。もう〈誰か死ぬまではやってこう〉みたいな話はしてるんで(笑)」

 

空白期から『13』に辿り着くまでの道程で生まれたさまざまなストーリー

 メジャー契約を失ったBuzz72+が活動休止した後も、メンバー各人はそれぞれの形で音楽活動を続けていった。脱退した井上マサハルは2008年にデイジーを結成し、北島ノリヒロは大塚愛のバック・バンドなどで活動する傍ら、2009年には小林光一(超飛行少年)らとパンク・バンドのSAY MY NAME.を結成して前線に復帰。轟タカシも複数のバンドでドラマーとして活躍した。一方の松隈ケンタは中川翔子に提供した“フライングヒューマノイド”(2010年)のヒットを受け、BiSのサウンド・プロデューサーとして躍進。初期BiSの音源では“レリビ”や“primal.”“Hide out cut”など多くの名曲で轟がドラムを叩き、なかでも“Give me your love 全部”と“PPCC”は北島も交えたBuzz72+名義のバンド・アレンジで録音されている。

 SAY MY NAME.には2011年より轟が合流し、翌年に初のフル・アルバム『JUST OK!!!』(アートワークも轟が担当)を発表。その後は活動休止となるも、小林光一が超飛行少年を再始動した際には北島がベースのサポートを務めている。また、轟は福岡時代から交流のあったヒューマンロストの『book4』(2013年)で演奏していたが、その最新作『book5』(2020年)にコーラスで参加しているのが井上で、彼はそのヒューマンロストの鈴木磨とのBridgEでも活動中だ。なお、2017年の企画盤『WACK & SCRAMBLES WORKS』では当時のBiS/BiSH/GANG PARADEメンバーが“フライングヒューマノイド”をカヴァーしたほか、アイナ・ジ・エンド(BiSH)がヴォーカルを務めたBuzz72+名義の“屋上の空”では松隈と北島と轟が揃って演奏していた。

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