まともがわからない
(2014年、坂本慎太郎『まともがわからない』収録)
“何かが違う”と同じ世界で歌われている感じがする。
わたしも近年〈まともがわからない〉と思うことが多い。坂本慎太郎が〈まともがわからない〉なら、わたしだってわかるわけがないと居直る。
〈まともがわからない〉と言って、次に出たアルバムの『ナマで踊ろう』(2014年)でありえないくらい直接的な歌詞になっているのが心情的にわかるような気もする。
ザ・コミュニケーション
(2005年、ゆらゆら帝国『Sweet Spot』収録)
エッチである。次の曲の“ロボットでした”とセットである感じ。坂本慎太郎は四六時中、凹凸のことを考えて曲に使える比喩を探しているのかもしれない。
『Sweet Spot』の全体を通してがっちりバンド・サウンドなんだけど、ささくれているわけでもなく、曲は執拗にミニマルかつ前作の『ゆらゆら帝国のしびれ』(2003年)ほど飛び道具的な曲がない率直な感じが好きです。
グレープフルーツちょうだい
(96年、ゆらゆら帝国『アーユーラ?(Are You Ra?)』収録)
エッチである。ラップというわけでもなくボソボソ喋っているけど、語っている風でもない。なんだか電車でひとりごとを言っている人と遭遇したときのような緊張感もある。激しくギターを弾いているのに、こんなにテンション低く歌えるところもすごい。
ベスト盤のが有名だけど、CAPTAIN TRIP RECORDSから出ているライブ盤(マジで客が七人くらいしかいなさそう)のめちゃくちゃシャウトしているヴァージョンもかっこいいのでそっちも聴いてほしい。
男は不安定
(2001年、『ゆらゆら帝国III』収録)
エッチである。〈ファンタスティック〉と〈不安でスティック〉で韻を踏む怠惰さが好き。〈別に仲間なんて/一人か二人いればたくさんだ〉、坂本慎太郎の歌詞に出てくる人間はだいたい三人だ。
語り部分で一人称〈俺〉が巨大なメスに食われそうになるが、ここはカマキリの交尾の様子のことなんじゃないかと思っている。
無い!!
(2003年、『ゆらゆら帝国のしびれ』収録)
読まれることを意識して書かれた歌詞だと思う。ライブ盤の『な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い』(2003年)では、終盤に向けて緊張感が高まっていき〈最終回の再放送は/無い!!〉の叫びとギターがワーってなる部分、ディストーションというのだろうか?が重なって上昇して雲みたいに伸びていっている気がする。
ここを聴くたびライブに一度しか行ったことがないことが悔しくなる。年上の友達が〈2008年くらいに野音のライブに行ったら最高だった〉とかいうたびに、切ない。一度行ったライブも緊張してしまってあんまり覚えていないのだ。
むかしは曲全体の無機質な雰囲気と〈最終回の再放送は無い!!〉が死刑宣告のように聴こえるのが怖くてあまり好きではなかったが、坂本慎太郎も宇宙の始まりや永遠の時間の流れのことを考えて不安になったことがあるんだなぁと思う。
いいチョイスだと思う。中学生や高校生のときにショックを受けた時の感覚に近いと思う。全体を通して、いちばん好きなのは“はて人間は?”の〈幾度目のバースデイ?/キャンドル控えめに2本〉だ。
PROFILE: 奥野紗世子
1992年生まれ。小説家。
「逃げ水は街の血潮」で第124回文學界新人賞受賞。近作に「復讐する相手がいない」(「文學界」2020年5月号)。
Twitter:@HumanTofu
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