Jホラー世代にドンズバな「呪怨:呪いの家」
Netflixオリジナル作品「呪怨:呪いの家」が話題だ。日本のNetflixオリジナル・シリーズとしては初のホラーであり、以前から配信を待ち望む声が多かった本作。7月3日に配信が始まるやいなや、口コミで、あたかも呪いの連鎖のように評判が広まっている(7月6日20:00現在、日本の総合トップ10で本作は「梨泰院クラス」を抜いて2位。1位は「愛の不時着」)。
1話約30分で全6話構成という手軽さ、視聴ハードルの低さ(にもかかわらず、めちゃくちゃ怖い)もあいまって、ビンジ・ウォッチするファンが続出。あの〈呪怨〉シリーズの最新作だから、という理由ももちろんありつつ、作品の素晴らしさや充実度を絶賛する声が多いのだ。
ところで、89年=平成元年生まれの私は、子どもの頃に90年代のJホラーや心霊/オカルト・ブームの洗礼を受けて育った。心霊写真や心霊スポットを取り上げるテレビ番組、「学校の怪談」のようなホラー映画やドラマ、それと母から聞かされる怪談話が大好きだった。それこそ友だちで集まって、部屋を真っ暗にして(ビデオ版か映画版かは忘れてしまったけれど)「呪怨」の上映会をやったこともある。当時は霊能力者に憧れていたし、他人から聞いた怪談と現実とを混同したとおぼしき体験をしたこともあった(それは、本当の心霊体験だったかもしれない)。その影響は、逃れられないほど深く人生に刻み込まれている。……まるで呪いのように。
〈呪怨〉シリーズの最新作であり、まったく新しい〈呪怨〉を見せてくれた「呪怨:呪いの家」は、そんな私にとってまさにドンズバな作品だった。というのも、80年代末〜90年代前半=昭和末期~平成初期という時代の負の側面、その重苦しさ、怪しさ、そして暗さを、見事に映し出した物語なのだ(そのコインの表と裏の関係としてあった躁的な明るさはほとんど描かれないので、余計に恐ろしい)。それに本作は、Jホラー的な演出を洗練させた映像表現に挑んだ作品でもある。
今回は、そんな「呪怨:呪いの家」のおもしろさについて(なるべくネタバレをせずに)語りたいと思う。
物語の背景にある平成のダーク・サイドと凶悪犯罪
まず「呪怨:呪いの家」のおもしろい点は、先にも少し触れたとおり、〈あの時代〉の暗さが散りばめられていること。88年に始まり、94年と95年、そして97年(まさにJホラーという表現が発展していった時代)を舞台とする本作では、テレビというメディアを介して当時の暴力的な事件の報道がさりげなく、しかし意味ありげに挿入される。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件と女子高生コンクリート詰め殺人事件(88~89年)、松本サリン事件(94年)と地下鉄サリン事件(95年)、神戸連続児童殺傷事件(97年)……。連続幼女誘拐殺人事件の被疑者である宮崎勤にいたっては、彼をモデルとしていることが明らかな〈Mくん〉というキャラクター(柄本時生のヤバい怪演!)すら登場する。
現実にあった事件の報道を登場人物たちが見聞きする演出は、本作の背景にある時代の鬱屈とした、暗澹たる閉塞感を強調する。
そもそも本作は、冒頭で〈呪怨〉シリーズを〈作品〉だと言ってしまう。創作のもとになった実在する家はより恐ろしい場所だったのだ、とシリーズを相対化したうえで、〈呪怨〉の物語を現実の世界に組み込んでしまう。これほど恐ろしい試みがあるだろうか。
本作にはさらに、80~90年代の数々の残虐な事件、未解決事件をほうふつとさせる要素がある。Twitterなどではそれを指摘する声がよく聞かれた。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件(82年)、名古屋妊婦切り裂き殺人事件(88年)、加茂前ゆきちゃん失踪事件(91年)、東電OL殺人事件(97年)、新潟少女監禁事件(90~2000年)……。これらの事件は直接言及されるわけではないものの、作中のフィクショナルな事件や暴力表現に翻案されている。
人間の心理と生理の恐ろしさを映し出す生々しい要素の挿入は、さまざまな暴力がその背後で繋がっており、呪いの連鎖として起こっているかのような印象を観ている者に植え付ける。
「呪怨:呪いの家」の脚本を書いているのは、「女優霊」(96年)や「リング」(98年)の脚本家である高橋洋と、その「リング」や〈呪怨〉シリーズの立役者であるプロデューサーの一瀬隆重だ。つまり、Jホラーにおける要人の2人が物語を作っている。
暴力や呪いの不条理な連鎖、という本作の特徴は、特に高橋らしいところだと思った。その連鎖が起こる場所を広げ、虚構のみならず現実にまで浸食させたことで、「呪怨:呪いの家」はきわめて恐ろしい作品になっている。