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〈呪いの家〉こそが主役

「呪怨:呪いの家」はまた、〈呪怨〉シリーズにおいても画期的な作品である。というのも本作は、タイトルに掲げているとおりに〈呪いの家〉こそが主役だからだ。

作劇においても、観客の受容においても、これまで〈呪怨〉の恐ろしさは佐伯伽椰子と俊雄というキャラクターのモンスター性に収斂されていた。次第にアイコン化していった〈伽椰子と俊雄=呪怨〉という公式によって、ある側面では縮小されてしまったかもしれない〈呪怨〉の恐ろしさ。本作はそれを改めて土地性や場所性に宿らせることで、増幅させる。つまり、なによりもあの家こそが恐ろしい、と「呪怨:呪いの家」は語り直しているのだ。

伽椰子と俊雄というモンスターによってJホラーに新風を巻き起こした〈呪怨〉の新作でありながら、その元凶である家の恐ろしさに焦点を絞り、家を媒介にして呪いが拡散される。あるいは、その土地や場所に足を踏み入れた者が媒介となって呪いを振りまく。

決して途切れることのない、時を超えた因果の恐ろしい連なりを生み出す呪いの家――「呪怨:呪いの家」の恐怖表現の大元には、そのような前提がある。だからこそ「呪怨:呪いの家」は〈家〉という原点に立ち返った作品であり、なおかつ〈反・呪怨〉であり、〈シン・呪怨〉になっている。

 

新鋭監督・三宅唱の新作として

脚本を高橋洋と一瀬隆重というヴェテランが担当しているのに対して、監督は映画「Playback」(2012年)や「きみの鳥はうたえる」(2018年)で知られる新鋭の三宅唱だ。ホラーは未経験である三宅に〈呪怨〉の新作を任せる、というある種の冒険と実験もNetflixオリジナルらしい(三宅を推薦したのは高橋であるとか)。

三宅らしい若い俳優たちへの演出による、演技のリアリズムは随所で感じられる。なかでも、長村航希の演技がよかった。また照明や色調へのこだわりが映像に出ており、特に青色の表現は傑出している。「きみの鳥はうたえる」でも見られた三宅の〈青〉は本作を暗く覆っており、北野武の〈キタノブルー〉に倣って、〈ミヤケブルー〉と呼びたいほど。

「呪怨:呪いの家」オフィシャル・クリップ映像

さらにカメラワークや音響、蓜島邦明による最小限の効果音的な音楽の見事さを指摘する声も多い。音について言えば、声が小さく聴こえるがゆえに恐ろしい、あっちで鳴っていた音がこっちから聴こえたから恐ろしい、といった演出がたしかに何か所かであり、テレビのスピーカーで聴いていても音響デザインの巧みさを感じた。

ちなみにエンド・クレジットで使われているのは、アイヌの伝承歌〈ウポポ〉を歌うヴォーカル・グループのMAREWREW(マレウレウ)による“sonkayno”だ。トンコリ奏者のOKIとの共演やOKIのプロデュースで知られるMAREWREW。“sonkayo”は、彼女たちの2016年のアルバム『cikapuni』に収録されている。

MAREWREWの2016年作『cikapuni』収録曲“sonkayo”

怨嗟と暴力にまみれた本編とは対照的に、澄みわたった湖(北海道の屈斜路湖だろうか?)の映像をバックに無邪気でプリミティヴな〈遊び唄〉が歌われるエンディングは印象的で、なおかつどこか空恐ろしい。音楽についてのたしかなセンスを持った三宅らしい選択だと思う。

※〈この曲は遊び唄です。親子ネズミが罠の中にある沢山のお菓子を引っかからないように取る遊びで、お正月とかみんなが集まった時によく行っていました〉と解説されている

 

ラストの真相はめちゃくちゃ恐ろしい

なお、本作のラストについては〈投げっぱなし〉〈シーズン2ありき〉といった感想を散見する。しかし考えれば考えるほどに、あの結末部分はよく出来ていて、それゆえにめちゃくちゃ恐ろしいと思う。あの家が世にも恐ろしい歪んだ空間であるからこそのラストであって、それを読み解けないと、「呪怨:呪いの家」の本当の恐ろしさをまだ味わっていない、ということになる。

よってラストの意味がわからなかった方は、もう一度観返してみることをおすすめする。その意味に気づけたとき、プロットの見事さと本作の底知れない恐ろしさに戦慄するはずだ。

「映画秘宝」2020年8月号の「呪怨:呪いの家」特集における高橋洋へのインタビューを読むと、シーズン2を制作するかどうかは未定だそうだ。しかしもし続編を作るのであれば、オリジナル・ビデオ版「呪怨」(2000年)の前年、撮影クルーが「呪怨」を撮りはじめる99年までを描くことになるだろう、と語っている。

なので、シーズン2は〈呪怨〉のオリジンをさらに突っ込んで語ったものなるのだろう……おそらく。この恐ろしい呪いの続きをぜひとも観たい、というのがいちファンとしての切なる願いだ。