紆余曲折を経てリリースされた新作

カニエ・ウェストが本日8月29日、〈紆余曲折〉という言葉では表しきれないほどの長く曲がりくねった道のりを経て、ついにニュー・アルバム『Donda』をリリースした。

実は、本稿は、もともと2020年7月に書いていたニュース記事の原稿だ。リリースと同時に〈『Donda』が発表された〉と報じるために用意していたのだが、結局2020年内に『Donda』はリリースされなかったので、アルバムと同様にこの原稿もお蔵入りになった。

しかし、そんなことすら忘れかけていた頃、2021年に入ってようやくリリースされる兆しが見えてきた。そういうわけで、ここでは、1年前に書いていた内容にここ数か月間に起こったあれやこれや――本当にいろいろなことがあった――を付け加えて、『Donda』がリリースされるまでのあらましを、なるべくタイムラインに沿ったテキストでお届けしよう。

 

『Jesus Is King』リリース以降のカニエ

カニエ・ウェストの10作目となるスタジオ・アルバム『Donda』は、もともと2020年7月24日にリリースされる予定だった(アルバム・タイトルは『Donda: With Child』とも)。その後28日にリリースが遅れることをTwitterで発表したが、そのツイートは削除。同日、ついに『Donda』が届けられると思われていたが……結局リリースされることはなかった(延期や有言不実行は、彼によくあることとはいえ)。

『Donda』は、世俗音楽から離れてキリスト教やゴスペルをテーマにしたアルバム『Jesus Is King』(2019年)以来、1年10か月ぶりの新作だ。『Jesus Is King』については下記のレビューに詳しく書いたので、そちらを参照してもらうとして、ここでは同作発表以降のカニエの、主に音楽活動について振り返ってみる。

2019年作『Jesus Is King』収録曲“Follow God”

映画「Jesus Is King」トレイラー

2019年10月25日、カニエは『Jesus Is King』を発表するとともに、同名のコンサート・フィルムを上映した。そして、その後ヴァネッサ・ビークロフト(Vanessa Beecroft)との2作のオペラ「Nebuchadnezzar」「Mary」を上演したり、クリスマスにサンデー・サーヴィス・クワイア(Sunday Service Choir)としてのアルバム『Jesus Is Born』をリリースしたりと、精力的に活動していた(ドクター・ドレーとの新作『Jesus Is King Part II』も制作中らしいが、その話はどうなったのだろうか?)。

 

“Wash Us In The Blood”と“Nah Nah Nah”を立て続けにリリース

2020年に入ってからは、6月30日にトラヴィス・スコットをフィーチャーしたシングル“Wash Us In The Blood”をリリース。また、7月13日に“Donda”のスニペットをTwitterで発表した。前者はアルバム『God’s Country』(のちに『Donda』に改題)からのシングルとされており、後者は『Donda』の表題曲で、2007年に亡くなった母ドンダの誕生日に合わせたものだった。その“Donda”では、KRS・ワン“Sound Of Da Police”(93年)のリリックをドンダが朗読している(後にスニペットは削除された)。

2020年のシングル“Wash Us In The Blood (Feat. Travis Scott)”

10月にはシングル“Nah Nah Nah”を、11月にはダベイビー(DaBaby)と2チェインズをフィーチャーした同曲のリミックスを発表した。ただ、この2曲は2021年8月7日、突如ストリーミング・サービスなどから消え、聴くことができなくなった。一節には、現在強く批判されている、ダベイビーのLGBTQ+コミュニティーへの差別発言が原因なのではないかと考えられているが、いまのところこれについての説明はない(ダベイビーについては後でまた触れる)。

ちなみに、“Wash Us In The Blood”も“Nah Nah Nah”も卑語が使用されていないラップ・ナンバーだ。“Nah Nah Nah”のリミックス・ヴァージョンもダベイビーや2チェインズの卑語はミュートやスクラッチなどでマスキングされており、エクスプリシット・ヴァージョンはリリースされていない。このあたりにも現在のカニエのクリスチャニティーが表れている、と言える。

 

大統領選をめぐって

音楽活動ではないものの、これについてはどうしても触れなければならないだろう。2020年11月、アメリカ大統領選挙に立候補していたカニエは、6万票以上を集めたが落選した(ただ、2024年の大統領選出馬への意欲を見せている)。

いっぽう選挙前に行われた「フォーブス」によるインタビューでは、陰謀論的な反ワクチンの態度を明らかにし、人工中絶反対論的な発言をしたことで、かなりの非難を浴びた(これらの発言は、2018年のドナルド・トランプへの支持表明や〈奴隷制は「選択」だったように聞こえる〉という発言に匹敵する議論を呼んだ)。これについて妻のキム・カーダシアンは、Instagramストーリーでカニエのメンタル・ヘルスについての声明を発表、彼の双極性障害への理解を求めた(なお、キムは2021年2月に離婚を申請し、現在親権や養育権についての協議が進んでいるようだ)。

その後、2020年のクリスマスには、サンデー・サーヴィス(Sunday Service)としてEP『Emmanuel』をひっそりと発表した。

 

2021年、『Donda』リリース以前のカニエ・ワークス

2021年の動向については、少し詳しく見ていこう。

カニエは、5月にリリースされたDMX『Exodus』の“Prayer”にプロデューサーとして、7月にリリースされたポップ・スモーク(Pop Smoke)『Faith』の“Tell The Vision”でラッパーとしてフィーチャーされるとともにプロデューサーとして参加したことで話題を呼んだ(DMXは2021年4月に逝去、ポップも2020年2月に銃撃事件で命を落としており、いずれもポスチュマス=没後の作品である)。

DMXの2021年作『Exodus』収録曲“Prayer”

ポップ・スモークの2021年作『Faith』収録曲“Tell The Vision (Feat. Kanye West & Pusha T)”

また、ファッション・デザイナーとしては、2020年にパートナーシップを締結したGapとのコラボレーションがついに始動、熱望されていたコラボ・ライン〈YEEZY GAP〉が話題になっている。

 

メルセデス・ベンツ・スタジアムでの1度目のリスニング・パーティー

さて。音沙汰のなかった『Donda』については、急転直下の展開が待っていた。7月22日20時にアトランタのメルセデス・ベンツ・スタジアムでアルバムのリスニング・パーティーが開催され、その模様がApple Musicで配信されることが、19日に突如アナウンスされたのだ。

また、21日には陸上競技選手のシャカリ・リチャードソンが出演したビーツのCMがNBAファイナルで発表、『Donda』の収録曲“No Child Left Behind”が使用されており、大きく注目された(なお、シャカリは東京オリンピックにアメリカ代表として陸上女子100メートルに出場する予定だったが、ドーピング検査でマリファナの陽性反応が出たため、オリンピックの出場資格が剥奪された選手だ)。

〈Beats Studio Buds〉のCM。『Donda』収録曲“No Child Left Behind”が使用されている

22日、リスニング・パーティーは予定よりも1時間50分ほど遅れてスタートし、約50分で終了。カニエは「AKIRA」の金田を思わせる真っ赤なYEEZY GAPのラウンド・ジャケットに身を包み、フル・フェイスのマスクを着け、スタジアムの真ん中にたたずんでパーティーを楽しんでいた。

また、不仲説がささやかれていたジェイ・Zとのひさびさの共演曲が披露されるなど、アルバムの内容は多くのファンを驚かせた。

リスニング・パーティーが終わった23日、ついに『Donda』がリリースされるのかと思いきや……結局アルバムはリリースされなかった。その後、「REVOLT」のパーソナリティーであるジャスティン・ラボイ(Justin Laboy)からリリースが8月6日に延期されることが発表された(いっぽうカニエは、『Donda』を8月5日にリリースすることをInstagramで示唆した)。

なお、リスニング・パーティーのライブストリーミングは、330万人の視聴者が観たことによって、史上最多の視聴者数記録を打ち立てた。

 

『Donda』を〈仕上げる〉24時間配信とリスニング・パーティー第2弾

お披露目の直前まで会場でレコーディングなどの作業を続けていたというカニエだが、リスニング・パーティーの終了後、なんとメルセデス・ベンツ・スタジアムのロッカー・ルームに住み込んで(!)制作を続けていることがわかった。

8月1日に発表されたのは、5日20時から開催されるリスニング・パーティーの第2弾。

さらに、パーティーの開催までには、Apple Musicでライブストリーム・イベントが行われた。そこでは、リリースまでのカウントダウンをする時計を背景にロッカー・ルームで制作を続け、『Donda』を〈仕上げる〉カニエたちの様子が無音で24時間にわたって配信された(カニエがベッドで眠っている様子まで放送された)。そのライブストリーミングでは、プロデューサーのマイク・ディーン(Mike Dean)の他、チャンス・ザ・ラッパー、ヴィック・メンサ(Vic Mensa)、リル・ヨッティ(Lil Yachty)、ファヴィオ・フォーリン(Fivio Foreign)、スティーヴ・レイシー(Steve Lacy)ら、複数のラッパーやミュージシャンの姿が確認されている。

また、5日にはビーツのCMがさらに発表され、こちらにはカニエとドクター・ドレーのコラボレーション・ソング“Glory”が使用されている。

〈Beats Studio Buds〉のCM。ドクター・ドレーとのコラボレーション・ソング“Glory”が使用されている

 

2度目のリスニング・パーティーで天に昇る

2度目のリスニング・パーティーは、米東部標準時8月5日22時過ぎにスタート。バレンシアガのデムナ・ヴァザリアがクリエイティヴ・ディレクターとして関わったこのパーティーで、アルバム・タイトルがプリントされた防弾ベストなど真っ黒い衣装に身を包んだカニエはスタジアムの真ん中にベッドを置き、その周囲を同じく黒い衣装をまとったパフォーマーたちが取り囲んでいた。1回目の開催から2週間、数段厚みを増したアルバムとヴィジュアル・パフォーマンスを披露し、終演とともにカニエはワイアーに吊られて〈昇天〉するパフォーマンスを見せ、パーティーは約80分で終了した。

このリスニング・パーティーの配信の視聴数は540万人。前回をさらに上回り、またもApple Music史上最多の視聴者数を記録した。

しかし、リリース日である8月6日を迎えても、『Donda』はリリースされなかった。むしろ、『Donda』がリリースされるまでの道のりは、その後さらに混迷を極めた(この頃から、iTunes Storeの予約ページのリリース日がどんどん先延ばしにされる、ということが見られるようになる)。

いっぽう8月6日には、シカゴのデュオ、アブストラクト・マインドステイト(Abstract Mindstate)のカムバック作『Dreams Still Inspire』がリリースされた。同作はカニエの新たなレーベル〈YZY SND〉から発表されたもので、カニエは全曲をプロデュースしている。

アブストラクト・マインドステイトの2021年作『Dreams Still Inspire』収録曲“A Wise Tale”。カニエ・ウェストがプロデュース

8月8日、トラックリストが明らかになっていなかったApple Music/iTunes Storeのプリ・オーダー・ページの2曲目に、ウィークエンドとリル・ベイビーがフィーチャーされた“Hurricane”が明記された。その後、ロシアのYandexと日本のLINE MUSICという2つのストリーミング・サービスで一時的に“Hurricane”の配信が始まったが、どうやらこれはサービス側のミスだったようだ。このことから、“Hurricane”が先行シングルとしてリリースされるのではないかという予想が広がった(結局、これもリリースされることはなかった)。

そして、この頃からTwitterなどでは2度のリスニング・パーティーの意味合いをファンが分析しはじめ、ダンテの「神曲」になぞらえて、1度目は赤く染まった〈地獄〉、2度目は黒く染まった〈煉獄〉に相当するのではないか、という考えが共有されはじめた。さらに、今後3度目が開催され、それは煉獄で罪を清められた後の白い〈天国〉になるのではないか、とも……。

 

幼少期の家=教会を建てた3度目のリスニング・パーティー

8月19日、翌週26日21時から3度目のリスニング・パーティーを開催することをアナウンス。会場は、カニエの故郷であるシカゴにあるスタジアム、ソルジャー・フィールドだ。

『Donda』の話題からは外れるが、8月21日にリリースされたトリッピー・レッドのアルバム『Trip At Knight (Complete Edition)』の収録曲で、ドレイクが客演した“Betrayal”がにわかに注目を集めた。ドレイクのヴァースにはカニエとプシャ・Tを攻撃していると読めるラインがあり、カニエはこれを受けてInstagramで対決姿勢を見せる。2018年来のビーフが再燃したと考えられるいっぽうで、新作『Certified Lover Boy』のリリースを控えるドレイクとカニエによるプロモーションなのではないかと見るファンも少なくなかった。

トリッピー・レッドの2021年作『Trip At Knight (Complete Edition)』収録曲“Betrayal (Feat. Drake)”

8月25日、カニエはフル・ネームを〈イェ(Ye)〉に改名する嘆願書をカリフォルニア州に提出した、と報じられる。翌26日、ロンドンの企業〈Kano〉との共同開発で『Donda』のステム・プレイヤーを200ドルで販売。これは、ステム・データ(ヴォーカルやドラムなど、パート別にまとめたオーディオ・データのこと)が収録された製品で、『Donda』の楽曲をユーザーがカスタマイズして楽しめる、というものだ(ということは、アルバムはすでに完成している……?)。

同日、3回目のリスニング・パーティーが開催。Apple Musicでの配信は米東部標準時23時過ぎにスタートした。

ソルジャー・フィールドのリスニング・パーティーでは、スタジアムの中央にカニエが子どもの頃に母と住んでいた家のレプリカに建てられた。この建物には十字架が取りつけられており、教会に模したものに見える。

パーティーには、前述したダベイビーと、性的暴行で複数の女性から告発されているマリリン・マンソンが出演。これは、カニエによるキャンセル・カルチャーに対するなんらかの態度表明なのではないか、と考えられているが……。

パーティーの最終盤、カニエは家のなかで炎に包まれ、炎をまとったまま屋外に出て消火される。

そして、バレンシアガのウェディング・ドレスを着たキム・カーダシアンがカニエと対面し、90分ほどでリスニング・パーティーは幕を下ろした。

8月27日、『Donda』のマスターがストリーミング・サービスなどに〈届けられた〉ことが明らかにされ、リリースが近いのではないか、という推測がファンの間で広がる。

 

『Donda』、ついにリリース

そして8月29日、予告もなく『Donda』はリリースされた。ただし、現在24曲目の“Jail pt 2”は聴けない状態になっている。この日カニエがInstagramで明らかにしたように、どうやらダベイビーのヴァースについてトラブルがあるようだ。それが解決し、最後のピースである“Jail pt 2”がアルバムに加えられたときに、ようやく〈『Donda』はリリースされた〉と言えるのかもしれない……。

*2021年8月30日追記
その後、“Jail pt 2”はストリーミング・サービスなどで聴けるようになった。ただ、そのいっぽうで、カニエはユニバーサル・ミュージックがアルバムを無許可でリリースし、さらに“Jail pt 2”を外したのだ、とInstagramで主張している。なお、“Jail pt 2”にはダベイビーの他にマリリン・マンソンも参加している。

『Donda』収録曲“Jail pt 2”

 

以上が、『Donda』がリリースされるまでの道のりだ。まさかこんなに長い原稿になるとは思っていなかったし、この1か月間はまんまとカニエにはめられ、振り回されていた、と言っていい。

なにもかもが型破りな過程を経て、ようやくリリースされたカニエ・ウェストの新作『Donda』。彼はここでどんなことをラップし、どんなサウンドを生み出しているのだろうか。おびただしい数のアーティストたちによる客演や貢献、未知のサウンド、母への思慕、罪と赦し、クリスチャニティー……。3度にわたるリスニング・パーティーですでに披露されていたとはいえ、聴くのがちょっと不安でもある作品だが、ぜひ本作を聴いて、自分自身の耳で確かめてほしい。

 


RELEASE INFORMATION

リリース日:2021年8月29日
配信リンク:https://kanyewest.lnk.to/DONDA

TRACKLIST
1. Donda Chant
2. Jail
3. God Breathed
4. Off The Grid
5. Hurricane
6. Praise God
7. Jonah
8. Ok Ok
9. Junya
10. Believe What I Say
11. 24
12. Remote Control
13. Moon
14. Heaven And Hell
15. Donda
16. Keep My Spirit Alive
17. Jesus Lord
18. New Again
19. Tell The Vision
20. Lord I Need You
21. Pure Souls
22. Come To Life
23. No Child Left Behind
24. Jail pt 2
25. Ok Ok pt 2
25. Junya pt 2
27. Jesus Lord pt 2