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怖いものがなくなった“AIの逃避行”

堀込高樹は次のアルバム『愛をあるだけ、すべて』(2018年)で模索し始める。

〈まだローンは残ってるし〉とか〈永遠はもう半ばを過ぎたみたい〉、〈コテンパンに言い負かして/溜飲を下げて後で落ち込む〉など、五十歳を前にして、なんとなく内省的かつ、自己言及的に聞こえるフレーズをいままでになく登場させる堀込高樹。

なんとなく弱気な感じ。心配である。

しかし“AIの逃避行”の歌詞には光明を見る。〈いつから君は女になったの/どうして君は男でいるの/愛は自由で形のないモノ/今、静かに革命が起きているの〉なんて内容を淡々と簡潔に書ける人はいないし、それに“悪夢を見るチーズ”では〈ヤバみ〉とか言い出しているのだ。〈文学的〉〈知的〉〈ニヒル〉と散々言われ続けた男から怖いものがなくなった。

またグルーヴに関することは何もわからないわたしにもわかる変化が訪れた。めちゃくちゃ曲調がダンサブルなのだ。

“AIの逃避行”と“悪夢を見るチーズ”は千ヶ崎学さんのベースがものすごくフィーチャーされている。いままで、めちゃくちゃ上手なベースが鳴っているのはわかっていても、ベースがこんなに主役な曲ってKIRINJIにあまりなかったような気がする。

『愛をあるだけ、すべて』の楽曲にはエバーグリーン男である堀込高樹の踊らせるための音楽への挑戦と志を感じられる。

 

KIRINJIの終わりと新たな始まりを示す“「あの娘は誰?」とか言わせたい”

そしてリリースされたのが『cherish』(2019年)である。このアルバムはキリンジ〜KIRINJIのキャリアを通していちばん良い作品だとわたしは思っている。

Almond Eyes”では〈身体中の血が集まってきている〉と歌い、〈最近の堀込高樹の歌詞はあまり性的なことを言わない〉と寂しく思っていた往年のファンも安心させる一面もある。

“「あの娘は誰?」とか言わせたい”の歌詞は“AIの逃避行”の発展型だ。〈インスタ〉とか〈タワマン〉といった言葉を堀込高樹が使うこと自体が批評であるという自覚すら感じる。

とはいえ“「あの娘は誰?」とか言わせたい”という曲がいかにすごいかは『cherish』のリリース時に散々書いたので、そちらの記事を参照してください。

このベスト盤で“「あの娘は誰?」とか言わせたい”は最後の曲となっている。堀込高樹を中心とした流動的なユニットとしてのKIRINJIへの布石、そしてバンド編成としてのKIRINJIの終わりを示す楽曲なのではないだろうか。

 

陰気だけどグルーヴィな曲ばっかでしょ?

キリンジから堀込泰行が脱退、KIRINJIとしてバンドに、そして堀込高樹を中心とした新しい形へ。〈キリンジ 解散〉とかでググってる寂しい人にもキリンジが、〈バンドKIRINJI〉として進化したこと、そして今度の堀込高樹がとんでもないとわかってもらえるベスト盤なのではないだろうか。

このアルバムは〈発起した堀込高樹〉〈盤石な堀込高樹〉〈苦悩し模索する堀込高樹〉〈光を見、さらなる展望を志す堀込高樹〉と、はからずも起承転結のように構成されている。

堀込高樹がビルボードライブ東京でのライブで「陰気だけどグルーヴィな曲ばっかでしょ?」と言っていたことをふと思い出した。陰気だけどグルーヴィっていいですね。わたしも陰気だけどグルーヴィな小説を書きたい。

 


PROFILE: 奥野紗世子
1992年生まれ。小説家。
「逃げ水は街の血潮」で第124回文學界新人賞受賞。近作に「復讐する相手がいない」(「文學界」2020年5月号)、「サブスティチュート・コンパニオン」(「文藝 2020年冬季号」)。
Twitter:@HumanTofu
note:https://note.com/souvenir_