ポスト・パンクのゴッドファーザー

78年にセックス・ピストルズを辞め、パブリック・イメージ・リミテッドとして独創的な音楽を作りはじめる前、ちょうどキャリアの転換期にいたジョン・ライドンは、あるドイツのバンドのヴォーカリストになりたいと電話をかけた(しかし、残念ながらそのバンドはすでに解散を決めたあとだった)。フォールのマーク・E・スミスは、そのバンドの音楽的語彙をそのまま援用した演奏をバックに〈I am Damo Suzuki!!!!!〉とひきつった声でわめき散らした。85年のことだ。また、〈パンク以降〉の7年間を入念な取材で描ききったサイモン・レイノルズの大著「ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984」は、実に11か所でそのバンドに言及している。

そのバンドとは――カンである。

フォールの85年作『This Nation’s Saving Grace』収録曲“I Am Damo Suzuki”

〈ロックでなければなんでもいい〉というのは、UKのポスト・パンク・バンド、ワイアーのコリン・ニューマンが言ったことだとされている(ただし、出典にあやふやなところがあるので、言葉がひとり歩きしている節がある)。その言葉に象徴されるように、70年代後半に始まったポスト・パンク・ムーヴメントは、ロック・バンドがロックの外の領域へと足を踏み入れ、〈ロックではないもの〉を目指した運動だった、と言うこともできるだろう。そんな時代にゴッドファーザーとなり、多くのアーティストたちが尊敬すべき先達として参照したのが、カンだった。

 

ロックの外からやってきて、ロックの外へと出ていったロック・バンド

60年代後半のドイツ・ケルンに現れたカンはまさに、〈ロックでなければなんでもいい〉バンドだった。イルミン・シュミットはジミ・ヘンドリックスから影響されたと語り、ホルガー・シューカイは初期のカンを〈パンク・バンド〉と呼ぶものの、なにせ結成メンバーであるシュミットとシューカイはカールハインツ・シュトックハウゼンの弟子筋であるし、ヤキ・リーベツァイトはフリー・ジャズのドラマーである。つまり、そもそも彼らはみんな、ロックの外からやってきた者たちだったのだ。

それに、結成当初のメンバーは、ギタリストのミヒャエル・カローリを除く3人が30代で――年齢で価値判断をするのはエイジズムの誹りを免れないものの――ロック・バンドを始めるには遅すぎたことも大きいかもしれない。シュミットはインタビューで「若いボーイズ・バンドではなかった」と認めており、その事実がカンというロック・バンドに独特の成熟した余裕と楽天性をもたらしている、というのはele-kingの編集長・野田努による指摘である。

カンはロックの外宇宙からやってきて、ロックという惑星の表面をそっと撫でて、そしてまた見知らぬ銀河系へと飛び去っていったバンドなのだ。

 

すべての扉は開かれている

シュミットとシューカイが日本の雅楽に強い関心を持っていたことは、よく知られている。あるいは、カンの最高傑作と呼ばれている『Future Days』(73年)を聴いてみるといい。まるで水面を優雅に漂っているような感覚をおぼえるタイトル・ソングでリーベツァイトが叩いているビートは、ほんのりとアフロ・キューバン風だ(その音像は〈トロピカル〉と形容してもいいくらいである)。また、いくつかのアルバムに収録されている〈E.F.S.(Ethnological Forgery Series=エセ民族学シリーズ〉では、冗談めかした民族音楽調の演奏の断片を聴くことができる。

73年作『Future Days』収録曲“Future Days”

〈ワールド・ミュージック〉というタームが使われるようになるずっと前から、彼らはアジアや中東、アフリカ、カリブ海や南米など、世界中の音楽に知的好奇心を向けていた。言うなれば、カンはケルンに構えた〈インナー・スペース・スタジオ〉で、音楽による、音楽の旅を常にしていたのだ。

カンがそういった志向性を持ったのは、よく指摘されるように、シュミットとシューカイがシュトックハウゼンのもとで西洋の芸術音楽に限界を見たこと、そしてリーベツァイトがフリー・ジャズの演奏を通してその〈不自由さ〉を痛感したことが大きいはず。だからこそ、彼らはある意味でとても冷徹に、あらゆる音楽を並列に見ている。“E.F.S. No. 36”でブルースを〈民族音楽〉として演奏したり、ディスコでさえみずからの音楽に取り入れたりしたのも、それゆえだろう。

76年作『Unlimited Edition』収録曲“E.F.S. No. 36”

カンにとっての〈ロックでなければなんでもいい〉とは、言い換えれば、〈すべての扉は開かれている(All Gates Open)〉という開放/解放感である。彼らの実質的なラスト・アルバム『Can』(79年)のオープニング・トラックがスマートに断言するように。あるいは、『Future Days』がスタジオのドアを開け放ったまま録音されたように。

 

Trafficによる大規模なリイシュー・プロジェクト

そんなカンのカタログが2000年代半ばにリマスターされ、CDとしてリイシューされた際、多くのリスナーやミュージシャンたちをインスパイアしたものだった(もちろん、当時高校生だった私もその一人だった)。それから10余年、ひさしぶりにカンの大規模なリイシュー・プロジェクトが日本盤のリリース元であるTrafficによって2020年7月から順次行われている。そして、11月にはついに全スタジオ・アルバムが出そろった(『Anthology』のみ2021年1月15日にリリースされる)。

今回はなんと、失敗作として葬り去られていた不遇のアルバム『Out Of Reach』(78年)も正式にディスコグラフィーに迎え入れられ、CD化された。また、2012年に発表されてファンを驚愕させた秘蔵音源集『The Lost Tapes』や、94年の2枚組ベスト・アルバム『Anthology』もシリーズに含まれており、なんとも掴みがたいカンというバンドの全体像を知るにはもってこいのラインナップになっている。

CAN 『Out Of Reach』 Spoon/Mute/Traffic(1978)

CAN 『Anthology』 Spoon/Mute/Traffic(1994)

とりわけ、3枚組の『The Lost Tapes』は重要な作品だ。というのも、カンはレコーダーを回しっぱなしにして録音したのちに編集する制作手法を取っていた。なので、未編集の録音や貴重なライブをこれでもかと収録した同作には、彼らのエッセンスが生のままで詰まっている。

2012年作『The Lost Tapes』収録曲“Dead Pigeon Suite”

CAN 『The Lost Tapes』 Spoon/Mute/Traffic(2012)

 

カンのリズム&グルーヴを再発見

カンといえば、マルコム・ムーニーが在籍していた『Monster Movie』(69年)や、ダモ鈴木がヴォーカリストだった『Tago Mago』(71年)、『Ege Bamyasi』(72年)、『Future Days』あたりが代表作として有名だろう。しかし、私が今回カンのカタログを聴き直して再発見したのは、ダモ鈴木が脱退したあとの『Soon Over Babaluma』(74年)や『Flow Motion』(76年)だった。緊張感と開放感がないまぜになったセッションを聴かせる前者も、レゲエ/ダブからの影響が強く表れたとびきり楽天的な後者も、とてもカンらしいレコードで、彼らの世界にどっぷり浸ることができる。

CAN 『Soon Over Babaluma』 Spoon/Mute/Traffic(1974)

CAN 『Flow Motion』 Spoon/Mute/Traffic(1976)

また、ジャマイカ人ベーシストのロスコー・ジーとガーナ人パーカッショニストのリーバップ・クワク・バーを突如新たなメンバーとして加えたことで評価が分かれている『Saw Delight』(77年)も、とてもいいアルバムだと思った。15分にわたってコズミックなグルーヴがうねる“Animal Waves”はいま聴いてもとにかく圧倒的で、その陶酔的な反復に身を委ねずにはいられない。

CAN 『Saw Delight』 Spoon/Mute/Traffic(1977)

77年作『Saw Delight』収録曲“Animal Waves”

これらのアルバムは一般的に後期の作品とされ、かえりみられる機会は少ない。過小評価されている、と言ってもいい。しかし、カンの作品であるということすら忘れ、虚心坦懐に耳を傾けてみると、なんと心地よいリズム&グルーヴかと驚かされた。いずれも、いま〈家聴き〉するのにぴったりだと思う。

 

「カン大全」に見るバンドの本質

さて。一連のリイシューにあわせてele-king booksから刊行されたのが、松山晋也の監修による「別冊ele-king カン大全――永遠の未来派」である。

松山晋也 『別冊ele-king カン大全――永遠の未来派』 ele-king books(2020)

同書には、シュミット、シューカイ、リーベツァイト、カローリという中核メンバー4人とダモ鈴木へのインタビューがアーカイヴされており(シュミットとシューカイは3本ずつ)、さらに多彩なコラムと、ソロ作品を含めた包括的なディスコグラフィーの解説などが収録されている。2018年に英国で伝記「All Gates Open: The Story Of Can」が上梓された(また、89年に「The Can Book」という本が刊行されているらしい)ものの、まるまる一冊、これほどまでにカンを深く掘り下げた日本語の書籍なんて、史上初めてじゃないだろうか。バンドのバイオグラフィーはもちろん、戦後ドイツという時代、現代音楽やフリー・ジャズといった音楽的な背景、そしてメンバーたちの思考など、カンを知るための一級の資料が集められており、カンから無限に広がっていく音楽宇宙の一端に触れることができる稀有な一冊である。

「カン大全」に収められたメンバーへのインタビューを読みすすめると、謎多きカンの音楽の秘密がすこしずつ解き明かされていく。

たとえば、シュミットはこう語っている。「ヤキはいつも、ものすごく注意深くドラムをチューニングしていた」。たしかにリーベツァイトのドラムの音色は独特だ。和声とグルーヴとは緊密な関係にあるのだ、と述べるシュミットの語りからは、カンというバンドの本質をあらわにしているように感じる。そう気づいてからカンのカタログを聴きかえすと、また発見がある。

同書で何度も言及されているように、カンのもっとも重要なコンセプトのひとつに〈スポンテニアティー(自発性、自然発生性)〉というものがある。スポンテイニアスな演奏とは直感に従っている反射的なものだと思いそうになるが、しかし「カン大全」を読めばわかるように、それは経験や知識、ミュージシャンシップに裏打ちされているからこそ湧き出ているものなのだ(もっとも、非ミュージシャンだったムーニーやダモ鈴木は、真にスポンテイニアスな感覚の持ち主だったのだろうが)。そういったことも新しい発見だった。

 

戦後ドイツの焦土から生まれたバンド

また、シュミットへのインタビューや著述家・明石政紀の論考「焦土からの再生〜クラウトロックを育んだ戦後ドイツの風景」で興味深かったのは、カンの音楽にもやはりナチス・ドイツが影を落としていることだった。

開放的で、どこまでも自由で、いたずらっぽい諧謔精神に満ちたカンの音楽の背景には、暗く重い、拭い去れない過去がある。「私たちはみな、破壊されて廃墟になった街で育った。しかも、自分たちの親世代がファシズムを信奉して文化を破壊したわけで。そこからは自分の中に否定しようのない不吉さやダークサイドのようなものが芽生えてくる」とシュミットは言う。

つまるところ、カンとは戦後ドイツの焦土から立ち上がったバンドなのだ。彼らが時折見せるダークで恐ろしげな表情はそういったところからきているのか、と合点がいった。

カンの70年のライブ映像。演奏しているのは70年作『Soundtracks』収録曲“Mother Sky”

だから、「カン大全」はカンをドイツのバンドとして歴史的、文化的に位置づけ、彼らのドイツ的(あるいは非ドイツ的)な相貌とはどんなものなのかを描くことに重きが置かれているように思う。カンについては、ムーニーやダモ鈴木にまつわる突飛なエピソード、あるいは上に書いたポスト・パンク・バンドへの影響ばかりが語られがちだ。しかし、同書はそんな伝説のバンドの実相をとても冷静に、深い位相で取り戻そうとしている(同じドイツのバンドとして、徹底的にコンセプチュアルなクラフトワークと比較してみると、より見えてくるものがあるだろう)。

 

カンの音楽に宿る未来の予感

石野卓球、Corneliusこと小山田圭吾、そして坂本慎太郎が今回のリイシューにコメントを寄せていることからわかるように、カンは日本の音楽家たちから愛されているバンドである。OGRE YOU ASSHOLEの近作などを聴けば、いまもこの国でカンが強い影響力を持っていることが伝わってくるだろう。

カンは近年の音楽シーンにおいても重要なバンドである。2000年代以降のインディー・ロックが立ち返ったのは、(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとともに)カンに代表される、いわゆる〈クラウトロック〉のサウンドだった。たとえば、アニマル・コレクティヴのあのオプティミスティックな音楽は、きっと『Future Days』の残響のなかで育まれているはず。インディー・ロック・バンドの大御所であるスプーンはバンド名をカンの曲名から取っている、というエピソードもある。また、ブラック・ミディ(black midi)とダモ鈴木との共演が示すとおり、現在盛り上がりを見せるロンドンのロック・シーンも、確実にカンの影響下にある。

カンのの72年のライブ映像。演奏しているのは72年作『Ege Bamyasi』収録曲“Spoon”

カンが残した作品群は、半世紀近い過去のものだ。そして、それらをいま改めて聴いてみればわかるとおり、その音楽は〈ロックではないなにか〉を常に内包していた。だからこそカンの音楽には、まだ見ぬ未来の日々の予感、その可能性が、未分化な状態のままで詰まっている。

彼らが奏でた、どろどろした、ぐにゃぐにゃした不定形のサウンドの底知れなさには、何度触れても驚かされる。これから先の〈Future Days〉を生きる未来の人々も、きっとカンの音楽に驚きつづけることだろう。

※このコラムは2020年12月10日発行の「intoxicate vol.149」に掲載された記事の拡大版です