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インタビュー

LITTLE CREATURES 30年史(前編) イカ天キングとしてデビュー、スタジオでの実験へと突き進んだ90~2000年代

LITTLE CREATURES『30』

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1991年

1991~1992年
デビューと同時に散り散りに、激動の英国シーンから影響を受けて

――とはいえ、メンバー2人が海外だと国内での活動は相当難しいですよね。

青柳「当時は、通信手段が電話やファックス、手紙の時代。今みたいにネットで繋がって、ファイルを送り合う、みたいなことが一切できませんでしたからね」

鈴木「だから、レコーディングも夏休みとか冬休みとか、長い休みの間にやってました」

栗原「91年のファースト・フル・アルバム『VISITA』までは、留学前に作った曲がほぼ全部だったよね」

91年作『VISITA』収録曲“NEED YOUR LOVE”

栗原「92年の『NO VOTE NO VOICE』から青柳がカセットでデモ・テープを送ってきて、〈こんな感じでリズムを叩いてね〉って、口でリズムを歌ったものが入っていて、それも断片のみ(笑)」

1992年

――『NO VOTE NO VOICE』は、UKのギター・バンドやアイリッシュ音楽、そこにアシッド・ジャズ、ラテンやアフロの要素が入ってくるじゃないですか。そういった要素は青柳さんがイギリスで出会ったもの?

青柳「そうですね。僕は大学のあったリーズという街からロンドンに通って、ブラジル人のコミュニティーとか、ナイジェリアの黒人たちが音楽をやっているクラブとか、そういうところを色々と回っていくなかで受けた刺激をバンドに反映させていたと思います。

アシッド・ジャズって、レア・グルーヴから始まって、踊れるジャズのレコードを探していた流れが、だんだんとラテンやアフロに向かっていったので、その影響も大きかった」

――さらに『NO VOTE NO VOICE』というアルバム・タイトルは、イギリス総選挙の標語から取ったもので、音楽と政治の関係性が希薄だった当時の日本の音楽シーンを考えると明らかに異質ですよね。ただ、LITTLE CREATURESは、メッセージ性の強いバンドというわけではありませんでした。

青柳「今もそうなんですけど、政治だろうが何だろうが線引きしたり、切り分けたりせず、〈いい〉と思ったら取り入れるし、〈いい〉と思った音楽はやってみるというスタンスなんですよ。だから、意識的にメッセージを打ち出そうというポリティカルなバンドとも違って、やりたい音楽にポリティカルなメッセージが自然と含まれているような、しかも、押しつけたりせず、自分の考えていることを比喩的に表現してみたり、そういうことが普通にやりたかったんですよ」

92年作『NO VOTE NO VOICE』収録曲“MURKY WATERS”

鈴木「僕らは、ロバート・ワイアットやスタイル・カウンシルなど、80年代のイギリスのバンドやアーティストがそういうことを普通に歌ったり、行動を起こしたりしていたのをずっと見ていたので、その影響もあるんだと思います」

栗原「青柳の歌詞は、95年のミニ・アルバム『WEATHER BOUND』の時もそうだし、今回の新しいアルバムもそうだけど、時々、強い言葉が出てきたり、皮肉めいた表現があったりするんですよね」

 

1996年

1993~1996年
渋谷系でもなくJ-Popでもなく

――一方で、青柳さん、正人さんが留学中で不在だった東京はいわゆる渋谷系の時代。LITTLE CREATURESは小山田さんの後輩にあたるバンドなのに、渋谷系としては取り上げられなかったとか?

栗原「当時も今もそう(笑)」

鈴木「取り上げられているバンドはみんな知り合い、友達だったんですけどね」

栗原「どこにも入れてもらえなかったですね(笑)」

青柳「意識的に、そういうシーンに出向くこともなかったですし、自分たちはただ自分たちの音楽をやっているだけ」

鈴木「あんまり横の繋がりがなかったね」

――疎外感は感じていました?

栗原「全くなかったです(笑)」

――そして、どこにも属さぬままに30年。

青柳「さすがに知り合い、友人は増えましたけど、そのまま来てしまいましたね(笑)」

――90年代中期、後期のLITTLE CREATURESは、〈Brilliant Colors〉や〈Sign Off〉といったクラブ・イベントを定期的に行いながら、自覚的にラテンやアフロだったり、世界各地の音楽を取り入れていた印象があります。

青柳「そうですね。当時はそういったCDやレコードがセレクト・ショップのワールド・ミュージック・コーナーとか、身近なとこで手に入りやすくなった時代。だから、ジャズの古いレコードを買うように、ブラジル音楽を買ったり、より深く掘ったりするようになった」

栗原「でも、作品のリリース・ペースは2年ごとだったじゃない? 振り返ると、よく生きていたというか、どうやって暮らしてたんだろうって思うよね(笑)」

鈴木「マネージメントから出ていた給料と、あと、やっぱり、東京が地元だったことも大きかったんだなって。地方から〈一山当ててやる〉みたいな感じで出てきてたら、もっと全然ハングリーだっただろうね。林立夫さんと現場が一緒になったときによく話すんだけど、〈俺たち東京の人間は、地方の人たちと比べると全然呑気だよね〉って(笑)」

――LITTLE CREATURESは、自他共に認める〈30年間ヒット曲がないまま活動してきたバンド〉ですもんね。

青柳「何の自慢だよっていうね(笑)。でも、J-Pop、J-Rockと歌謡曲的なものが入り乱れている今の時代と違って、当時、チャートに入っていたような音楽は別のジャンルという感覚が強かったですからね」