2020年にデビュー30周年を迎えたLITTLE CREATURES。2021年1月には8作目のアルバム『30』をリリースした。その記念すべき30周年作が、〈RECORD STORE DAY〉の6月12日(土)に完全限定生産のアナログ盤としてリリースされる。
これを機に今回Mikikiは、前後編の2記事でLITTLE CREATURESの30年を振り返る。音楽ライターの小野田雄を聞き手に、青柳拓次(ヴォーカル/ギター)、鈴木正人(ベース)、栗原務(ドラムス)の3人が、『30』に至るまでの道のりについてたっぷりと語った。 *Mikiki編集部
1987~1990年
独特の環境で育まれたサウンドでイカ天キングに
――LITTLE CREATURESが世に知られるきっかけは、90年にバンドのオーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」への出演がきっかけでした。当時、巷はバンド・ブームの真っ只中で、ビート・パンクが流行っていた時代でしたよね。
栗原務「そうですね。でも、当時、和光高校に通っていた僕らの周りでビート・パンクや日本の音楽を聴いている人は少なかった。
ロックといったら、ザ・フーとか、イギリスのパブ・ロックとか、そういう感じのものが好きだったし、ジョー・ジャクソンのファースト(79年作『Look Sharp!』)、セカンド(79年作『I’m The Man』)とか、パンク/ニューウェイヴ周辺の音楽を聴いていた気がします」
――中学から和光に進学した青柳さんと栗原さんに対して、公立中出身の正人さんは高校から和光に入学されたんですよね?
鈴木正人「そうそう。高校に入ったら、例えば、ミスフィッツとか、普通の中高生が知らない音楽をみんな聴いていて。そういう音楽は先輩から受け継がれてきたものなのかな?」
──先輩であるCorneliusの小山田圭吾さんをはじめ、ミュージシャンを多数輩出している学校なんですもんね。
青柳拓次「そう。マニアックなバンドを知っている先輩たちが学祭や学外でバンドをやってて、そういうところから新しいバンドを知ったり、僕の場合は兄の影響も大きかった」
――しかも、初期のクリーチャーズはハウスマーティンズのようなイギリスの音楽がベースでしたよね。
青柳「そうですね。バンドとしての方向性はイギリス寄りでした。もちろん、アメリカの音楽も聴いていたんですけど、イギリスの音楽はギター・バンドにアイリッシュの要素やダブの要素が混ざっているのが当たり前だったじゃないですか。だから、僕たちの音楽も色んな要素を混ぜたいという意識があったかもしれない」
──〈イカ天〉をきっかけに色んなレコード会社から声がかかったと思うんですけど、90年当時、英語詞で歌うバンドがデビューするのは稀でしたし、LITTLE CREATURESが英語詞で歌っていたことに対して、あれこれ注文がついたんじゃないですか?
栗原「〈まずは日本語詞にして〉って、それはもう毎回言われましたね(笑)。しかも、その時点で青柳はイギリス、正人はアメリカへの留学が決まっていたので、留学の時期をズラすのも契約の条件でした。でも、当時、僕らはまだ10代だったから、〈うるさいな、このおっさんたち〉みたいな感じ(笑)。
そして、〈英語詞でいいし、留学もしなさい〉って言ってくれた唯一のレコード会社が契約することになったミディですよ」