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Kan Sano

聴けば聴くほど発見があるアルバム

――では、改めて新作『What We Call Life』の話をさせてください。一聴したときのご感想は、どのようなものでしたか?

「前半と後半でけっこう印象がちがいますね。前半はポップセンスが強く表れた聴きやすいテンポの曲が多くて、後半は変拍子の曲があるなど、よりディープなほうにいっている印象です。

細かいところまで作り込まれたアルバムで、聴けば聴くほどいろいろな感想が出てきそうなので、〈こういうアルバムだ〉と表現するのはすごく難しいです。リリースされてから今日の取材までに何回も聴いているんですけど、今後、時代やトレンドや自分自身が変わっていくなかで、評価や聴こえ方が変わっていくかもしれない作品だと思うんですよね。どの曲もサウンドは心地よくて、さらっと聴けるんですけど、でも情報量がすごく多くていろいろな要素が詰めこまれている。今後も聴きつづけたい作品だと思いました」

――どの曲がよかったですか?

「僕はノりやすい曲が好きなので、“Send My Love”や“Illusion”がすごく好みでした」

『What We Call Life』収録曲“Send My Love”

――前半の曲ですね。Kan Sanoさんが気になった、具体的なサウンドやポイントはありますか?

「“Illusion”は80年代のシンセポップっぽい感じがあるんですけど、最終的にはジョーダン・ラカイの世界になっていて、そのまとめ方がすごいなと思いました。

『What We Call Life』収録曲“Illusion”

僕自身の音楽もそうだと思うんですけど、ジャンル分けが難しい音楽で、いろいろな音楽の要素を取り入れている。でも、それって失敗すると、すごく中途半端なものになってしまいがちなんですね」

――たしかに、音楽って単純な足し算ではうまくブレンドされずに、不格好なものになりますもんね。

「ただ、ジョーダン・ラカイにそういう感じはまったくない。主張もあるし、強い個性もある。でも、その個性はつかみどころがないというか……。不思議な人ですよね」

 

パーソナルな表現と他者のアイデアのバランス

――今回は以前にも増してディープで内省的な作品で、激動の2020年で表面化した人々の二極化や分断がテーマのひとつになっているそうです。さらにセラピーや瞑想で自分自身を見つめ直したことも重要だったようで、インタビューでは、彼が抱える鳥恐怖症が予測不可能性への恐れによるものだったことが、セラピーを通してわかったと言っていましたね。

「予測不可能なものが苦手で、予定調和を好むと語っていましたね。

だからこそ音楽を作るときは他者のアイデアを取り入れるのが大事だと思っていて、ジョーダン・ラカイはそういう理由でバンドメンバーと録音したのかな、と思いました。たぶんジョーダン・ラカイは完璧主義者で、一人で完璧に作れる人だと思うんです。でも、バンドメンバーとやることによって自分の枠の外からアイデアを取り入れることができるので、最終的にこういう自由度の高い音楽になっているのかなって」

――Kan Sanoさんの音楽にも、そういうパーソナルな手触りと、他者の声や外に開かれた感覚の両方がありますよね。たとえば、昨年のアルバム『Susanna』は、お祖母様が3人立て続けに亡くなったパーソナルな出来事と、フィンランドの写真家スザンナ・マユリさんのことの2つがテーマになっていました。

「僕が詞を書いて歌うようになったのは他のミュージシャンに比べると遅かったので、シンガーソングライターとしての自分はまだ発展途上なんです。なので、詞を書くうえでは、やっぱり自分の周りで起こっていることと自分が感じていること、そういうもののなかからしか言葉を書けない。自分にとっての問題やリアルなこと、現在の状態が作品に表れるんですよね」

Kan Sanoの2020年作『Susanna』収録曲“Flavor”

――ジョーダン・ラカイのように、セラピーや瞑想で自分自身を見つめ直したことはありますか? セラピーや瞑想は、海外ではけっこうカジュアルですよね。

「キース・ジャレットとか映画監督のデヴィッド・リンチとか、僕が好きなアーティストはみんな瞑想をやっていて、インタビューでもその話をよくしていますね。

僕自身は、ヨガのイベントに呼ばれてピアノを弾いた経験はありますが、瞑想はしたことがないです。ただ、ピアノの即興演奏のライブに来てくれたお客さんから〈瞑想をしているみたいだった〉と言われたことはあります」

――即興演奏中は無心に近いのでしょうか? それとも、いろいろな考えが巡っているんですか?

「いろいろな考えが巡っていて、無心になるまでのプロセス、という感じでしょうか。ぽーんとコードを押さえたときに、それが〈CM7なのか、Am7なのか〉という思考は絶えずあるんですけど、どこかのタイミングでそれがふっとなくなって、音の流れにまかせてただ弾いているだけの瞬間があるんですね。その瞬間はめちゃくちゃ気持ちいいんですけど、それは30分の演奏のなかの数分間だけかもしれません。そのときの感覚は、もしかしたら瞑想に近いのかな」

Kan Sanoの2014年の即興演奏の動画