英ロンドンに住むシンガーソングライター/マルチプレイヤー、ジョーダン・ラカイ。彼の新作『What We Call Life』はとてもパーソナルな作品だが、それと同時に聴き手を快く迎え入れる開放感や抱擁感に満ちている。とはいえ、ソウルやジャズ、ヒップホップ、ダンスミュージックのエレメントが織り成すその稀有な音楽世界は、一言では言い表しがたく、安易な分析を拒否しているかのような頑固さすら感じる瞬間もある。
そんなジョーダン・ラカイの音楽とその魅力をなんとか言語化できないかと、今回は彼との共通点を感じるミュージシャンにインタビューをした。語り手になってもらったのは、Kan Sano。きっかけは、ジョーダン・ラカイらUKの気鋭ミュージシャンたちがブルーノートのレガシーを再解釈した『Blue Note Re:imagined』(2020年)だ。同作についてジャズ評論家の村井康司と行った対談で、Kan Sanoはジョーダン・ラカイについて「注目しているミュージシャン」と語っていた(ちなみに、ジョーダン・ラカイとKan Sanoは、『Blue Note Re:imagined』でドナルド・バードの曲を取り上げた点も共通している)。
Kan Sanoはジョーダン・ラカイの音楽に対して、どんな思いを抱いているのだろうか? プレイヤーとして、シンガーソングライターとして、プロデューサーとして、リスナーとして、さまざまな観点から語ってもらった。
多彩な要素を自然にブレンドするポップセンスに秀でた音楽家
――Kan Sanoさんがジョーダン・ラカイのことを知ったきっかけは?
「前作『Origin』(2019年)が出たタイミングですね。Spotifyでディグっているときに見つけたか、知り合いのミュージシャンがInstagramのストーリーでシェアしたのを見たのか、そんなきっかけだったと思います」
――当時、聴いたときの印象を覚えていますか?
「ネオソウル系のアーティストはいまアメリカでもヨーロッパでもたくさん出てきていますけど、そのなかでもジョーダン・ラカイの音楽にはヨーロッパのジャズのにおいをすごく感じました。クラブミュージックの要素もあるし、あまり他にいないタイプだなと。
派手さはないけどすごく細かく丁寧に作られていて、一回聴いただけではつかみどころがない感じがする。今回のアルバムも、そういう印象を受けました」
――ご自身の音楽性、あるいは好みに近いものも感じましたか?
「僕、パット・メセニー・グループを10代の頃からめっちゃ聴いていて、大好きなんです。なので、メセニー・グループっぽいサウンドがひっかかったところはありました。特にパット・メセニー・グループの初期の感じ――『Offramp』(82年)とか、80年代前半の作品は、80s的なシンセ感がありつつ、あくまでも生のジャズバンドが主体になっているんです。ジョーダン・ラカイの作品は、ドラムの音色とかがそれに近い気がするんですよね。サウンドの色彩感が似ているというか、使っている絵の具が近いというか。
あと、僕との共通点があるとすれば、いろいろな音楽を聴いていて、けっこうオタクなんだろうなと(笑)」
――インタビューでは、「マーヴィン・ゲイもスティーヴィー・ワンダーも聴くけど、フローティング・ポインツやジョン・ホプキンス、フランク・ザッパやピンク・フロイドも聴く」と言っていますね。
「たしかに、いろいろなジャンルの音楽が混ざって聴こえるんですけど、たとえば〈スティーヴィー・ワンダーのポップなメロディーとフローティング・ポインツのコズミックなシンセをミックスしたらおもしろい音楽ができるんじゃないか〉というような考え方では作っていないんだろうなと思います。彼のなかにあるものが全部、すごく自然に出てきているので。ブレンドのされ方が本当に自然なので、音楽をジャンルで分けて考えてはいないんでしょうね。
どの曲も聴きやすい長さでまとめられていて、ディープな世界に入っていくこともあるんですけど、でもそこにボーカルが乗ると聴きやすくなる。シンガーソングライターとしてのメロディーセンス、ポップセンスがすごいなと思いました。
新作の前半はファルセットで歌っている曲が多いので、ジェイムズ・ブレイクに近い印象もありましたね」
――Kan Sanoさんの作家性にも繋がるお話ですね。いろいろな音楽の要素が混然一体となっているのですが、歌が乗ることでポップになっている。
「自分の音楽って客観的に聴けないので比べるのは難しいんですけど、そうかもしれないですね。この尺感やポップセンスにはすごく共感します。
メロディーを切り取るとシンガーソングライターっぽいんですけど、トラックを聴くとディープなことをやっていて、器用というか、マルチな才能を持っていますよね。歌もめちゃくちゃうまいと思います。
それに、英詞のことはよくわからないのですが、前作からの変化は、サウンドよりも歌詞の変化が大きいんだろうなと思いました。歌詞の変化の影響なのか、サウンドもよりディープになった印象です」
ジョーダン・ラカイの圧倒的なプロデュース力
――今回のレコーディングは、ウェールズの田舎へ行って、バンドでおこなったそうです。ただ、ジョーダン・ラカイはプロデューサーとしてその素材にがっつり手を加えているはずで、生々しい感じは薄いというか、どこか宅録的な音像ですよね。
「インタビューを読むかぎり、録音の時点では、全体像はそんなに見えてなさそうなんです。とりあえず録音して、あとから編集している。バンドでセッションすると長くなるので、それを大幅にぎゅっとコンパクトにまとめて、細かい編集と再構築をしているんでしょうね。その編集能力、構築力がめちゃくちゃすごいなと、びっくりします。メンバーのキャラクターやアイデアがたくさん取り込まれているはずなんですけど、最終的にジョーダン・ラカイの音楽になっているのはプロデュース力や構成力があるからこそで、ただのシンガーではないんですよね」
――Kan Sanoさんは多くの楽器を操って、ご自身でボーカルも担当し、プログラミングしたり編集したりするスタイルですよね。
「そうですね。僕は、最初から全部自分で作って完結するタイプです。だから、バンドメンバーとセッションして作っていくやり方も、一度はやってみたいですね」
――Kan Sanoさんがジョーダン・ラカイの音楽を聴いて思い浮かべるアーティストは、パット・メセニー・グループの他にいますか?
「フローティング・ポインツは僕もすごく好きで影響を受けているので、同じにおいを感じます。コードがどんどん動いていくよりも、シンセのフレーズやリフがミニマルに展開して少しずつ変化していくところや、ちょっとポリリズムっぽいところが特にそうですね。
ただ、ディープで気持ちいいシンセの世界に行きすぎず、最終的に強いフックのあるボーカルのメロディーが現れてポップミュージックになっている点が、やっぱりすごく共感するところです。彼は、〈ポップミュージックを作っている〉という意識を持っていると思うんですね」
――ところで、『Blue Note Re:imagined』の参加アーティストが象徴する、ロンドンを中心としたUKジャズのシーンについてはどう感じていますか?
「新しいアーティストによる新しい音楽がどんどん生まれてきているので、僕もロンドンは行ってみたいですね。以前、音楽評論家の柳樂(光隆)さんがロンドンに行って、記事を書いていましたよね。それを読んで、僕も実際に行ってセッションをしてみたいなと思ったんです。
イギリスってアメリカのブラックミュージックから影響を受けつつ適度に距離を置いていて、かつ自分たちのカルチャーがあるから独特で、おもしろいと思います」
――その意味では、『Blue Note Re:imagined』のデラックス版と日本盤にKan Sanoさんが唯一日本のミュージシャンとして参加していたのは、納得のいくことだなと感じました。
「僕もアメリカの音楽から影響を受けていますが、アメリカ音楽からの距離感については、イギリスやドイツなどヨーロッパのミュージシャンたちの感覚に親近感をおぼえるんです。特に、僕は2000年代のクラブジャズやクロスオーバー、ブロークンビーツから影響を受けていますし」