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目の前にあるものは変わらない。変わるのは受け手の見方

見汐「例えば、このアイスコーヒーを飲んで、〈こんな美味しいものを作れる人は、よっぽど豆のことを研究して作っているに違いない!〉と思ったとしましょう。でも、作っている人は、ただ作業的に作っているだけかもしれないですよね。そう言われた本人は〈なんか、すげえことを言われているけど、まあでもいっか! そう言われる理由なんてないのに〉と思っているかもしれない(笑)。その逆もあるかもね。なんの説明もなしに口にした時に受け取る感覚は、まずその人のものであって、その後に〈こういう豆です〉〈焙煎所は云々〉という情報が来る順番の方が、私はいい。

それに、飲んでいる方が受ける感覚って、その都度自分の状況や感情によって変わるでしょ。目の前にあるものは常に変わらない。変わるのはいつもこっちの見方だよなと。そう思うと、常に小さくぶれまくっています。

何が言いたいかといいますと、作った本人が本当に思っていることや真剣に考えていることそのものに他人はそんなに興味がないし、それを常に知りたいわけじゃない。目の前にある物や仕事そのものに、携わった人の全ては内包されていると思うし、それぞれの人間が培ってきた部分とか色眼鏡とか、その人が生きてきた中で生まれたセンスとかコンテキストとかによって他人も自分も評価されるんじゃないかと思うんです。……まあ、理屈じゃない部分で感じる物事の方が、出自のはっきりしない情報よりも大切、というか。これだけ理屈っぽく話していますけど(笑)。

私もマーライオンさんも、音楽っていうものを曲がりなりにもやっていて作品を出しているから、それを余計に顕著に感じる瞬間が多いだけだと思うんですけどね。それはありがたいことです。だから、ふらふらしていていいんだと思います。逆に、その方が素直に生きているんじゃないですか。

話を戻すと、マーライオンさんは、自分の理性が働かないような物事が自分に起こった時に、自分がどうなるかということを経験したってことなんじゃないですか」

マーライオン「なるほど。しっくりきました」

見汐「他人は、色々なことを言いますよ」

マーライオン「そうですね。僕は、色々なことを言われてきました」

見汐「私だって、未だに言われるよ。逆に言うと、今は〈そういうの、やめた方がいいよ〉ってちゃんと言ってくれる人が周りにいるってことなんですけどね。若い時は〈何、あいつ?〉とか〈なんなの、あの人?〉とか言われて、それをすっごく気にしていた時期ももちろんあった。けど、どうでもいいっちゃいいよね。

やっぱり、年を取ってくると、どうでもよくなってきます。マーライオンさんも、あと10年くらいすると、マジでそれどころじゃなくなってくると思う。ちょっと長く生きている身分を使って言わせてもらうと、〈20代の時に考えていたことなんて、今考えると、マジで鼻くそみたいだな〉っていうことは、本当にいっぱいあるから」

マーライオン「ははは(笑)」

見汐「真剣に悩み、考える時間を経ていたら、特にね。でも、その時は精一杯なのよ。自分が持っている器の問題で、それで一杯になってしまうくらいの器しか持っていなかったから。でも、技術とか、色々なことを学ぶじゃない。だから、上手に受け流したり、取捨選択したりできるようになってくる。

私も、身近な人の死は経験していますよ。本当に大切な人の死――病死や自死も含めて。でもね、私はマーライオンさんと真逆かもしれない。なぜなら、私は〈やっぱり、そっか〉って思っちゃうから。もちろん、混乱はしますよ。だけど、それで自分が取り乱すってことは、あんまりなかった。

それは、話が変わってしまうけど、死生観の話だと思う。私はね、どんな理由であれ、その人が亡くなる時は、この世のお勤めが終わった時なんだ、としか思わない。人にはその人のこの世における役目がある、そしてそれはその人が考えているものじゃないとも思っていて。役目が終わったら、どんな理由であれ、今世の生が終わるって思っている。事故死であれ、自死であれ、なんであれ。

だから、私、親族や友人が亡くなっても、号泣したり取り乱したりすることって、あんまりなかった。もし、自分が取り乱すことがあるとしたら、お母さんが死ぬ時かな。〈自分を産んでくれたお母さんがこの世から居なくなったら、どうなるだろう?〉っていうのは、そうなってみないとわからない」

マーライオン「なるほど。僕は、去年の出来事を深刻に受け止めちゃったんですよね」

見汐「それは、感受性が強くて、自分のこととしてたくさんのことを引き受けすぎる、っていうのがあるんじゃない? 他人のことでそれほど苦しむなんて、マーライオンさんは優しい人なんでしょうね。

でも、〈所詮は〉なんて言ったらよくないけど、所詮は他人事なんですよ。自分が〈交わった〉って思っている人でさえ、実際に交わった部分なんて、こうやって(指で円を二つ描いて)円がちょっと重なり合った部分以下かもしれない。もちろん、すごく小さな重なり方でも、表面的にはすごく面積がちっちゃくても、ものすごく深い重なり方をすることもありますよ。その物差しは、自分と相手にしかわからない」

 

他人といっても自分と同じ生き物

マーライオン「僕は今、答えが出た気がしています。去年、たぶん見汐さんが思っている以上に、僕は見汐さんの音楽を聴いていたんです。もう、心の拠り所にしていて」

見汐「本当に? どの曲が好きなんですか?」

マーライオン「“はなしをしよう”です」

見汐麻衣の2017年作『うそつきミシオ』収録曲“はなしをしよう”

見汐「〈♪楽しい~話をしよう~〉ですね。あれはいい曲だよね(笑)。嬉しい。

今まで自分が作品をリリースした時に、必ず何通かメールがくるんですよ。毎回送ってくれる人もいれば、〈今回初めて聴きました〉っていう人もいるんですけど。それがね、『うそつきミシオ』は、PVを作った2曲(“1979” “はなしをしよう”)について感想をくれた人が多かった。で、それがすごく嬉しかったの」

マーライオン「ぐっときますもん」

見汐「そういう人もいてくれるんだと思うとさ、やっぱり作ってよかったなって、単純に思うじゃない。他人といっても自分と同じ生き物、人間だからさ、きっと喜怒哀楽に関しては、そんなに大差ないわけよ。もちろん、細部は全然違うよ。でも、そうやって他人のことを突っつけるんだなって。そういう突っつかれている人がいるんだなと思うと、嬉しいですよね。

マーライオンさんの音楽で救われている人も、いるかもしれないですし。〈救われる〉って、私が一番嫌いな言葉なんだけど(笑)。音楽を聴いて、〈まあ、明日も頑張るか〉って思ってくれている人がいるかもしれないですよね」