
反復と押し殺された熱
――今回のカン再発プロジェクトに坂本さんが寄せたコメントでは、カンにスライの『暴動』とヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『White Light / White Heat』(68年)的なものを見ておられます。スライ的な部分はいままでうかがったなかにあると思いますが、ヴェルヴェッツっぽさはどこだと思いますか。イルミン・シュミットはNYでヴェルヴェッツのライブを観たそうですが。
「反復の感じと、全体の熱いんだけど押し殺したような感じですね。録音物からうけとる感じです。反復なんだけど暴力的で野蛮な感じ。とくに『Delay 1968』にはそれがありますよね」
――『Flow Motion』(76年)が典型ですが、カンにはディスコっぽい展開もありますよね。ソロになって以降の坂本さんの音楽性に通じる気がします。
「いまだったら後期のほうがしっくりくるのかもしれないです」
――具体的に参照されたことは?
「ソロになった時点では、もう自分の興味が広がっちゃっているからなにか一個、たとえばカンみたいなのをやっていこうというような考え方はもうしなくなっていました。聴いてきた音楽が増えると、〈カンみたいに〉というような目標をもつことはなくなりますよね」
――音楽をつくるとき、特定の参照項がなくなったと。
「なくはないですけど、いっても誰も気がつかない(笑)。〈この曲みたいなのをつくろう〉としたのが似てないとかね。自分のなかでは似ているんですけどね。雰囲気とか空気感とか質感で、この曲みたいに、というのはあるんだけどね」
ドラムの音の密室的なエア感
――録音のおもしろさもカンの特徴だと思います。坂本さんも『ゆらゆら帝国III』(2001年)ぐらいから録音の実験にふみこんでいきましたが、録音の面でカンに惹かれる点があれば教えてください。
「やっぱりドラムの録り方ですね、僕は。ドラムのエア感が密室っぽい感じがしたんですけど、ちょっと前に聴き直したら、意外と密室でもなかった(笑)」
――密室というのは音の反響があまりない、いわゆる〈デッドな音〉ということですか?
「そうそう、すごいデッドな気がしていたんですけど、そうでもないかなと思ったりした(笑)」
――『Live In Brighton 1975』なんかはライブですから当然ですが、デッドな感じは――。
「ないですよね。あと(『Live In Brighton 1975』は)思ったよりロックっぽかったですね。ロックセッションみたいな印象でしたね」
――カンの音楽に対して私たちの頭のなかには反復的で酩酊的なイメージがありますが、アルバムは最終的にシューカイの編集を経てできあがっていましたからね。
「ホルガー・シューカイの編集がすごかったんだなというのは、あとで知るんですけど、バンドをはじめたころはそこまで意識がいっていなかったので、ホルガー・シューカイがなにをやっているのかよくわかっていなかった(笑)。延々セッションしていいところをきりとっているわけですもんね」
――マイルス・デイヴィスにおけるテオ・マセロと同じですよね。ホルガーの役割についてはどのようにして理解されたんですか。
「のちのち雑誌かなんかで読んで知りました」
――私なども、もちろん雑誌で知識を仕入れたクチですが、日本においてジャーマンロックは独特の言説コミュニティーがあって、ミュージシャンの奇矯なエピソードなどもまことしやかに流布していましたよね。
「アモン・デュールの逸話とかね。僕も20代のころは、ジャーマンロックといえば、ぶっとび競争みたいなイメージを持ってました(笑)」
――90年代末以降、それらのバンドの来日公演がつづきましたが、妄想がふくらんでいたぶん、ちゃんと演奏するのを観て面食らった憶えがあります。
「意外だったのは、みんな年をとっていたことですよ。『Delay 1968』は原始的でプリミティブな音楽に聴こえますけど、そのまえにちゃんと音楽教育を受けたひとたちがロックをやるぞ、といってやったのがこれだったというのもあとから知りました。ほかとちがう感じもそこからくるのかなと思いましたけどね」