説明不要のスターにして正真正銘の天才、スライ・ストーン。音楽シーンに革命を起こし、理想に押し潰されて長い余生を送りながら影響力を発揮し続ける偉人の歩みを、ドキュメンタリー公開を機に再確認してみよう!
現代においてスライ・ストーンが話題にされるとき、まず挙がるのは音楽界に及ぼした影響の大きさだ。最近アレック・パラオが編纂したカヴァー集『Everybody Is A Star: The Sly Stone Songbook』を聴いてもそれはわかるし、サンプリング例も無数にある。が、より大きな視点で見ると、60年代後半以降のポップ・ミュージックの構造そのものを形作ったのがスライだったとも言える。
ファンクのイノヴェーターとしてはジェイムズ・ブラウン(JB)と並ぶ存在。だが、異なる部分もある。例えば、バンドを厳しく統率したJBに対して、スライは自身が総帥となるファミリー・ストーンのメンバーには自由に演奏させた。68年のヒット“Everyday People”で〈Different strokes for different folks〉と歌ったように、人種や性別を超えた世界/共同体を望んだスライの音楽は圧倒的に自由で開かれていた。ジョージ・クリントンがPファンクで謳った〈ワン・ネイション〉にもスライの精神が宿る。そのクリントンがスライの曲をノーマン・ホイットフィールドに教えたことでサイケデリック・ソウルが生まれ、モータウンに新しい風を吹かせた。スライがクラヴィネットを用いてファンクを作ったことにスティーヴィー・ワンダーも刺激を受けただろう。マイルス・デイヴィスらによるジャズのファンク化にも影響を与えた。それはプリンスとその一派の音楽にも波及し、ディアンジェロなどに受け継がれていく。
60年代後半にスライ&ザ・ファミリー・ストーンとして結実するその音楽性は、スライの幅広い音楽体験がベースになっている。43年にテキサス州デントンで生まれ、サンフランシスコ/ベイエリアのヴァレーホで育ったスライ・ストーンことシルヴェスター・スチュワート。父は助祭、母が伝道者という教会一家で、後にファミリー・ストーンに加入する弟フレディや妹ローズ、リトル・シスターを組む妹ヴェットたちと育った。50年代初期には兄妹で組んだスチュワート・フォー名義のゴスペルのシングルもリリース。つまり原点はゴスペルだ。ギターやベースなども習得したが、鍵盤をメインの楽器としたのも教会出身者らしい。ファミリー・ストーンの“Family Affair”(71年)で演奏したビリー・プレストンやボビー・ウーマックとも互いの作品で共演し合うほどの仲となるが、それもゴスペルが繋いだ縁だと言える。ファミリー・ストーン69年のヒット“I Want To Take You Higher”に代表される高揚感を煽るファンクにも、熱狂的な黒人教会で育ったというバックグラウンドが透けて見える。
一方で、高校時代には白人メンバーを中心とした男女混成のコーラス・グループ、ヴィスケインズでドゥーワップ路線の曲を歌っていた。大学では音楽理論を学び、ジャズや民俗音楽などに触れ、ロックやポップスも流すラジオDJとして活躍。そんな越境感覚が買われ、64年からは地元のレーベルであるオータムでプロデューサー/ソングライターとしてボビー・フリーマンやボー・ブラメルズなどを手掛けている。当時流行のスイム・ダンスに感化された自身のシングルも出した。そうしたなか、スライは女性トランペッターのシンシア・ロビンソンらとストーナーズを結成。同時期には弟フレディ(ギター)が率いたストーン・ソウルズにも関与した。そのふたつのグループに、ジェリー・マルティーニ(サックス)、グレッグ・エリコ(ドラム)、ラリー・グラハム(ベース)を加えて誕生したのがスライ&ザ・ファミリー・ストーンである。