スライ・ストーンが死去した。

スライ・ストーンが亡くなったことは、彼およびスライ&ザ・ファミリー・ストーンのInstagramやFacebookなどのSNSアカウントで発表された。死因は、COPD(慢性閉塞性肺疾患)やその他の基礎疾患との長期に及ぶ闘病によるもの。82歳だった。

スライ・ストーンことシルヴェスター・スチュアートは1943年、米テキサス州デントン生まれの音楽家。スライが生まれたあとに家族でカリフォルニア州ヴァレーホに移住し、兄弟たちとともにゴスペルを教会で歌っていた。1956年にはザ・スチュアート・フォー名義でシングルをリリースしている。

スライは幼い頃から音楽の天才として知られ、キーボードやギター、ベース、ドラムの演奏を習得。高校時代はドゥーワップグループのザ・ヴィスケインズなど複数のバンドで活動し、シングルもリリース、ダニー・スチュアート名義でソロ曲も発表した。その後、ソラノ音楽大学で音楽を学んだ。

1960年代半ばにはサンフランシスコのラジオ局KSOLでディスクジョッキーとして働き、オータム・レコードのプロデューサーとして白人バンドを中心にプロデュースをおこなった。

1966年に自身のバンド、スライ&ザ・ストーナーズやフレディ&ザ・ストーン・ソウルズを合流させ、ラリー・グラハムを加えてスライ&ザ・ファミリー・ストーンを結成。翌1967年、デビューアルバム『A Whole New Thing』を発表し、同作は話題にならなかったものの、同年のシングル“Dance To The Music”がヒットした。

1969年、4thアルバム『Stand!』がさらに成功を収め、シングル“Everyday People”がナンバーワンヒットを記録。さらに“Hot Fun In The Summertime”“Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)”“Everybody Is a Star”といったヒット曲を連発し、ウッドストックにも出演を果たす。またスライは、自身のレーベルであるストーン・フラワーも設立している。

成功に伴ってバンド内には軋轢が生じ、メンバーのドラッグへの依存が悪化したこともあり、1969年以降スライ&ザ・ファミリー・ストーンは活動ペースが低下。そんな中スライは、『暴動』の邦題で知られる『There’s A Riot Goin’ On』を、多重録音を駆使して制作。同作とシングル“Family Affair”がヒットした。しかしグラハムとの関係悪化によって彼を1972年に解雇し、バンドは『Fresh』(1973年)と『Small Talk』(1974年)の2作をリリース。ライブの回数も減り、遅刻や中止、メンバーの欠席が増えていくなど、バンドは崩壊の一途を辿り、1975年には解散状態に陥る。

その後、スライはソロアーティストとして活動を始め、『High On You』(1975年)などのアルバムを発表。1976年にはザ・ファミリー・ストーンのメンバーを入れ替え、アルバム『Heard Ya Missed Me, Well I’m Back』をリリースした。しかし売上が減少するなど、キャリアは低迷していった。

1983年にはコカイン所持の罪で逮捕され、音楽活動はますます散発的になっていく。1993年にはロックの殿堂入りの式典に出席したが、以降2006年まで彼は公の場に姿を現さなかった。

2005年、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのトリビュートアルバム『Different Strokes By Different Folks』が発表され、翌2006年のグラミー賞授賞式ではトリビュートパフォーマンスも実施、スライは1987年以来初のライブを披露した。この頃から再びコンサートに出演するようになったが、遅刻や途中でステージを降りるなどの行為を繰り返した。2009年にはドキュメンタリー映画「Coming Back For More」が公開され、深刻な財政難に陥ったスライの窮状が伝えられた。

そして2011年、29年ぶりのアルバム『I’m Back! Family & Friends』を発表。2023年には自伝「Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)」を出版した。2025年にはクエストラヴ監督のドキュメンタリー映画「Sly Lives! (AKA The Burden Of Black Genius)」が公開され、サウンドトラックもリリースされた。

ザ・ファミリー・ストーンの人種の壁を越えたバンドとしての在り方、一人多重録音の多用、ドラムマシーンの使用、自主レーベルの設立など、スライはあらゆる点で先駆者であり、音楽の革新者だった。また、リリシストとしても彼は群を抜いた才能を持っていたし、今も歌い継がれる数々、聴き継がれる名盤の名曲を残してきた。1980年代以降、ドラッグ禍や隠遁、財政難、奇行による悪評などによって決して現役感のある音楽家ではなかったとはいえ、ソウル/ファンク/R&B、ヒップホップ、ダンスミュージック、ロック、ポップなどジャンルを超えた影響力は計り知れないもので、それは現在に至るまで持続している。偉大な音楽家の死に接して、一つの時代が終わったという感覚を覚える。RIPスライ・ストーン。