クリスマスが大好きだった少女、マライア
前述の通り、マライアはクリスマスアルバムを出すというアイデアには消極的だった。「いまの私のキャリアからいえば早すぎる」。3作目のアルバム『Music Box』(93年)が大ヒットした直後の話だと考えれば、無理もないことだろう。だが歌手としてのシビアな判断を脇におけば、彼女自身はクリスマスが大好きだった。マライアにとってクリスマスは特に思い入れが強い季節だ。人々が喜びを分かち合い、明るいムードが街を包む。一年のうちで、もっとも希望を感じられる時間。それが彼女の考える〈クリスマス〉だった。
だが、マライアが子供時代に、それを体験できたことはなかった。アイルランド系の白人の母親とベネズエラ系の黒人の父親の間に生まれたマライアは、白人と黒人のミックス、バイレイシャルとして苦難に満ちた幼少期を過ごしたからだ。白人コミュニティーでは人種差別を受け、黒人コミュニティーでは自分が〈黒人らしく〉ないことに悩まされる――。これに両親の離婚や兄姉との不仲、経済苦も重なり、幼少期のマライアは〈どこにも属せない〉という、深刻な疎外の感覚に苦しんだ。
マライアのなかでクリスマスが特別な位置を占めるようになったのは、それが彼女にとって叶うことのない夢の象徴だったからなのだろう。おもちゃを買うことができず、かろうじて手に入った果物などをプレゼントとして包む母親の姿をみて、マライアは決意したそうだ。「私が大きくなったら、絶対に毎年〈完璧なクリスマス〉を過ごしてみせる」と。
そしていま歌手として有名になり、クリスマスについての曲を書くことになった彼女は思った。「私は、私が幸せだと感じられるような、クリスマスソングを書く必要がある」。決して幸せとはいえなかったクリスマスの思い出、それを糧にして曲を書く。マライアのなかで、進むべき方向性が見えてきていた。
クリスマスらしいものはなくてもいい、ほしいのはあなた
マライアは自宅で曲を書きはじめるにあたり、クリスマスについての映画をかけることにした。フランク・キャプラの名作「素晴らしき哉、人生!」(1946年)だ。イブの夜、すべてに見放され自殺を図った男が、人生に再び希望を見出すようになる様を描いた作品である。
また創作の糸口を見つけるため、子供時代から自分がクリスマスに望んできたものをリストにした。暖炉の上にかけられた靴下、きらびやかなオーナメント、大きなクリスマスツリー。このいかにもクリスマスソングといったモチーフを、ラブソングと組み合わせることを、ふとマライアは思いつく。曲の主題は「素晴らしき哉、人生!」と同様に、〈失った〉あとに見えてくる〈愛〉についてだ。
クリスマスらしいものがなかったとしても、ほしいのはただあなただけ。
マライアのなかで、すべてが有機的に結合してゆく。あらゆるものが失われたところから、希望を、愛を求めること。〈恋人たちのクリスマス〉の歌詞の世界観が、固まりつつあった。静かな部屋の中、ピアノの前に座り、メロディーと歌詞を紡ぎ出していく。クリスマスソングでもあり、ラブソングでもある、そんな曲が形作られる。マライアはその音源を小さなテープレコーダーに録音した。
わかりやすく親しみやすい、タイムレスなポップソング
ウォルターと曲を作るにあたって、マライアはまたもや自らの幼少期に着想を求めた。「私が子どものころに聴いていたかもしれない、そんな雰囲気の曲にしたかった」「50年代、60年代のイメージ」。彼女がそのため、ウォルターに伝えたのは次のようなことだった。フィル・スペクター的な、レトロなロックンロール風の、60年代調の曲。
フィル・スペクターは、60年代以降のポップミュージックに絶大な影響を与えたプロデューサー。これらのキーワードは、彼がプロデュースしたロネッツの“Be My Baby”(63年)のような、ロマンティックで親しみやすいサウンドを想起させるものだった。
ウォルターが、ロックンロール~ブギウギ調のピアノを演奏する。マライアがそのうえで、さまざまなアイデアを展開する。天才的なミュージシャン二人が、心ゆくまでお互いの発想をぶつけ合う。そのセッションは、わずか15分で終わりを迎えた。まるで最初から答えがわかっていたかのように、またたく間に曲は完成したのだ※。
ウォルターは後に、「あまりにもシンプルな曲で、やりすぎだと思った」と語っている。しかしマライアはこれでいい、と押し切った。何十年も愛されるクリスマスの名曲群と並べられるよう、わかりやすくどこまでも親しみやすい、タイムレスな雰囲気に仕上げること。それが彼女の狙いだったからだ。
マライアは出来上がった曲をレコーディングするにあたって、スタジオをクリスマス一色に飾りつけた。クリスマスツリー、色とりどりのオーナメント、暖かい光を放つクリスマスキャンドル。まるでパーティー会場だ。一歩スタジオから外に出れば真夏だとは信じられない。それはまるで、幼少期にどれだけ望んでも手に入らなかった、〈完璧なクリスマス〉の情景だった。こうして、世界的名曲が誕生したのだ。