押しも押されもせぬ人気シンガー、アデル。先月リリースされた約6年ぶりのニューアルバム『30』も大ヒットを記録している。グレッグ・カースティンやマックス・マーティン、インフローらを制作に迎えた同作は、本国イギリスでは当然のようにアルバムチャートの1位に登場。さらにアメリカでも、リリースから3日間で2021年における最高の売り上げ枚数を記録するなど、世界各国で不動の人気を示した。
では、なぜアデルの歌はここまで人々に支持されるのだろう? どうしてアデルの曲を聴いていると、胸が痛くなるのだろう? 今回は音楽ライター/カメラマンにして在英経験のある久保憲司が、彼女の魅力の背景に思いを巡らせた。 *Mikiki編集部
ロンドンの曇り空の下、途方に暮れていた少女
南ロンドンの路地を途方にくれながらトボトボと歩いていると、通りすがりのおばあちゃんから〈大丈夫かい? なんか困っていることがあるなら、相談センターにでも電話しようか〉と声をかけられた。そんな少女が世界一のシンガーになるとは、誰が思ったことだろう。
この歩いていて心配されたという経験は、彼女のファーストアルバム『19』(2008年)に収録された名曲“Hometown Glory”の一節になっています。
シンプルなコード進行に彼女ならではのメロディーと歌声。ヒップホップもR&Bも超越した彼女ならではの音楽です。似ているものがあるとしたら、それはフランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリデイ、エディット・ピアフ、ダスティ・スプリングフィールドらの楽曲。歴史を作ってきたシンガーたちの世界です。
この歌だけで何回泣けるかわかりません。僕も19歳くらいのときにロンドンに住んでいて、あの灰色の空の下で、彼女のように何回も途方に暮れてました。ロンドンってそんな街なんです。いや世界中の街がそうなんでしょう。
もちろん世の中はそんな寂しいことばかりじゃないんですけどね。ロンドンの寒い冬も午前中は本当に光が綺麗で、あのオレンジ色の光を見ているとそれだけで生きていける気になりました。
僕らはいつもアデルの歌を聴いてメソメソと泣く
世界一のシンガーになった彼女の歌は、“Hometown Glory”の頃から全然変わっていません。
サードアルバムにあたる前作『25』(2015年)の“Million Years Ago”で、〈私はただ楽しみたかっただけなのに、いまはこんなことになってしまって〉と過去を懐かしむ歌を歌っています。もちろんこちらも名曲。聴いているだけで涙ボロボロです。彼女は億万長者になっているのだから、〈何だよ、この野郎。何不自由ないくせに〉と思われても仕方がないのですが、彼女の歌にはそう思わせてしまうスキがまったくない。そこがレディー・ガガ、マドンナ、ビヨンセと違うところなんだと思います。
いや、ビヨンセは違うか。『25』がグラミー賞を獲ったとき、アデルが〈私はもらえない、ビヨンセの『Lemonade』がとるべきだった〉と言ってたように、たしかにビヨンセはすべての黒人女性の想いを背負い、それを芸術の域にまで持っていった天才です。が、アデルにはそんなビヨンセのヘヴィーさを超えるものがあるように思います。アデルはすべての女性の想いを背負っているんじゃないかと思うのです。男の僕までも涙していますから、全人類の救済を背負った歌姫なのかもしれません。
アデルもそうですが、なんで僕らは満たされないんでしょうね。有名な経済学者によると僕らの生活って18世紀の王様より裕福だそうです。それくらい僕らの生活はリッチになったのに、なぜ僕らはいつもアデルの歌を聴いてメソメソと泣いてしまうのか。
ライブ映像作品『Live At The Royal Albert Hall』(2011年)を観てくださいよ。会場にいる全女性が号泣しているのが手にとるようにわかります。ある人は昔のことを思い出し、ある人はいまの辛いことを考えながら泣いています。それを支えてくれるのは、肝っ玉母さんのような姉御アデル。とにかくすごいライブです。