世間が春の装いに溢れはじめた、新学期初日の昼下がり。ここはT大学キャンパスの外れに佇むロック史研究会、通称〈ロッ研〉の部室であります。おや、見覚えのある2名が部室にやって来ましたよ。
【今月のレポート盤】
新馬場康夫「やあ! たまには顧問らしく顔を出してみたよ」
鮫洲 哲「バンバ先生! ご無沙汰っす!」
キャス・アンジン「お久しぶりね。元気だったかしら」
鮫洲「うわっ! どうしてお前が日本にいるんだよ!?」
新馬場「2人は知り合いなのか? 彼女は今期から編入留学してきたんだが……」
鮫洲「ジョン先輩の幼馴染みだかで、去年の夏に一度だけ部室に来たんすよ。てか、編入!?」
アンジン「そうよ。で、ロッ研に入りたいと思って、先生に相談したの」
鮫洲「入部すんのか!? ちょいとお茶でも飲んで落ち着こうじゃねえか」
アンジン「慌てているのはテツだけよ。まあ、せっかくだからお茶はいただくわ」
新馬場「何だかよくわからんが、とにかく彼女をよろしく頼むよ。それより鮫洲君、ずいぶんと素敵な音楽を聴いているね。この声はジェフ・バックリーかい?」
鮫洲「流石は先生! いま流れているのは彼の未発表音源集『You And I』っす」
アンジン「それは気になるわね。何しろ生前には『Grace』しかアルバムを遺していないもの」
鮫洲「お前も好きなのか? これはジェフがメジャー契約直後の93年にスタジオで録ったブツらしく、最近ようやくマスターテープが発見されたんだぜ」
新馬場「この曲ってスミスの“The Boy With The Thorn In His Side”じゃないか。意外だけど、個性的で素晴らしいカヴァーだね」
鮫洲「はい、最高っすよね! 2曲を除いて全部カヴァーなんですけど、ボブ・ディランやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ルイ・ジョーダンにレッド・ツェッペリンっつう幅広いアーティストを取り上げていて驚きだっつうの!」
アンジン「私の好きなジェヴェッタ・スティール“Calling You”まで歌っているなんて。どのカヴァーも彼のバックグラウンドが窺えるセレクトで、実に興味深いわ」
新馬場「それにしても、ジェフのファルセット・ヴォイスは唯一無二だよな~」
アンジン「この発掘音源は弾き語りだからこそ、歌声の繊細さとピュアネスがよりヴィヴィッドに伝わってくるわね」
鮫洲「俺はジェフの悲痛なのに美しいっつうか、影のある感じが好きなんだよ!」
新馬場「僕はリアルタイムで聴いた世代だけど、彼がデビューした94年頃はシーン全体が仄暗くてね」
アンジン「オルタナ/グランジが完全にメインストリーム化した頃ね。カート・コバーンが亡くなったのも94年だし」
新馬場「ナイン・インチ・ネイルズの『The Downward Spiral』や、ポーティスヘッドの『Dummy』がヒットした年でもあるね」
鮫洲「そりゃマジで暗い時代っすね……。で、まさかその3年後にジェフ自身が水死するとは」
アンジン「思えば、2000年代の終わりから現在に至るまでの音楽シーンも、ラナ・デル・レイやボン・イヴェール、ジェイムズ・ブレイクのような内省的で心の闇を感じさせるアーティストが活躍しているわよね」
新馬場「そういえばジェフがデビューした頃といまはちょっと似ている気もするな~」
アンジン「そのラナやアデルもジェフをフェイヴァリットに挙げていることを考えると、彼って十分にいまっぽいシンガーだと思うわ」
新馬場「うん、確かにこんな時代にこそ聴かれるべき人かもしれないね。さてと、そろそろ僕は研究室に戻るので、あとは鮫洲君に任せるよ。じゃあ!」
鮫洲「ええっ、ちょっと! おいおい、何だよこの空気は!!」
アンジン「部室に2人きり、まさに〈You And I〉ね」
鮫洲「……俺、お前のこと苦手かも」
アンジン「お前じゃなくてキャスよ。それに私、いまの状況はまんざらでもないわ」
鮫洲「誰か早く来て!」
まさか金髪美人のキャスが入部することになるとは思ってもいませんでしたが(え、皆さんは勘付いていた?)、これでまたロッ研も賑やかになりそうですね。 【つづく】