美しい歌声とともに伝わってくる、50年代~60年代のアメリカの記憶

VARIOUS ARTISTS 『Beautiful Jazz Vocal... Gracefully<タワーレコード限定>』 Not Now Music(2022)

 ニューヨークのため息とも呼ばれた歌声が、街の鼓動というか、都会そのものが奏でているようなリズムに溶け込んでいく。家に帰ったらあなたがいるって素敵だわ、と歌うヘレン・メリルはもちろん、クリフォード・ブラウンのトランペットも絶品だ。1955年、二人とも20代半ばだが、翌年クリフォードは、25才で急逝する。交通事故だった。『ビューティフル・ジャズ・ヴォーカル…グレイスフリー』は、この“ユード・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ”で始まる。ウィズ・コンボと付けられた粋なディスク1、ウィズ・オーケストラ、ビッグ・バンドの優雅で華麗なディスク2、各20曲の計40曲、50年代から60年代にかけての女性のジャズ・ヴォーカルで構成されている。クリス・コナー、エラ・フィッツジェラルド、ニーナ・シモン、ペギー・リー、アニタ・オデイ、ジュリー・ロンドン、サラ・ヴォーンetc。

 “アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー”でのビリー・ホリデーは貫禄だし、“ユー・フォー・ミー”でのブロッサム・ダイアリーにはチャーミングという言葉以外思い浮かばない。ベヴァリー・ケニーの清らかな歌声も悪くない。ダンサー希望だったが、足をくじいて歌手に、アメリカの恋人と呼ばれるまでになったのは、ジョニ・ジェイムスだ。彼女が歌うのは、“オン・ア・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ”、ボートで中国まで一緒に行きたいわ、あなたと二人きり、時間はたっぷりあるし、というような歌だ。村上春樹の初の短編集(「中国行きのスロウ・ボート」)が思い出されるが、こうやって聴いていると、この歌に限らず、この頃の歌には、作者や演者がいちいち説明しなくともちゃんと物語があることを気づかせてくれる。歌い手も、聴き手も、歌を巡ってそこから思い思いの物語を作ることができるのだと。そして、時間と共にそれらの物語をぼくらは勝手に積み上げ、人生を豊かに、いやそうとばかりではないかもしれないけれど、少なくとも生きていく上でなにかしらを学んでいく。そんなことを漠然と考えながら、嫌なことばかり続く世の中で、穏やかで幸せなひとときをいただいた気がする。

 


INFORMATION
参加アーティスト

Helen Merrill/Chris Connor/Ella Fitzgerald/Nina Simone/Sarah Vaughan/Julie London/Thelma Gracen/Ernestine Anderson/Toni Harper/Pat O'Day/Blossom Dearie/Peggy Lee/Morgana King/Annie Ross/Rita Reys/Beverly Kelly/Carmen McRae/Dinah Shore/Milli Vernon/Anita O'Day/Shirley Bassey/Billie Holiday/Dinah Washington/Julie Andrews/Joanie Sommers/Ann Richards/Lena Horne/Anna Maria Alberghetti/Polly Bergen/Rosemary Clooney/Joni James/June Christy/Beverly Kenney/Sue Raney/Sunny Gale/Doris Day