彼の音楽が時間を超越しているように、彼のサクソフォンにもどこか超然としたところがある。彼はサクソフォンでフレーズを奏でるだけではなく、叫び声やうなり声、わめき声のような音も出すが、それをフリー・ジャズのような音楽スタイルで捉えようとすると、たちまちその輝きを失ってしまう。彼の出すそういった音は、音楽とは違った次元から聞こえてくるような印象を与えるのだ。「ぼくがときどきそういう音を使うのは、音楽家はいつも同じ人間でいる必要はなくて、俳優のような発想が必要だという考え方から来ているんだ。だからぼくは、この曲では怪獣の役を演じようとか、ここでは殺人者になろうとか、そういったことを考えて演奏しているわけさ。サクソフォンにしても、いつもサクソフォンである必要はない。チューバとチェロとバスーンがいっしょに鳴っているような音でもいいんだ。ギル・エヴァンスも、本来ならピッコロがやるはずのパートにベース、ベースがやるはずのパートにピッコロを割り当てたりしていたよ。」――彼が挙げた例からもわかるように、ここで彼が意味する俳優とは、能役者に近いものだろう。能役者は、漁師や若武者、帝、遊女、老女、鳥獣、妖怪、怨霊、神など、性別や身分、年齢、現世と来世、空想の世界と、およそ人知の及ぶもののすべてを演じ分ける。ショーターもまた、それに匹敵するほど多彩な役割を演じているのである。「楽器というのは、常に美しいサウンドを探りながら演奏するものなんだ。人生を反映させるためだよ。人生にはいろいろな局面があるからね。でも、今は宇宙を表現する時代だ。何10億光年も彼方の、次元を超えた可能性を追い求めて、異星人と出会い、人間と人間、国家と国家の対話を深めていく必要がある。」

 上の発言にも見られるように、彼はしばしば、話題を社会情勢や世界情勢に向けた。彼はこう続ける。「ただし、その対話はより次元の高い生き方に基づくものじゃなきゃならない。イラクとアメリカとの対話がうまくいかなくなったのは、その対話が次元の低い生き方に基づくものになってしまったからだよ。アメリカの大統領は、生き方の次元を高くする必要がある。そのためには、世界の声を聞くことだよ。ぼくの音楽も、世界の声を聞くための探求なんだ。英知というものは、世界中のごく普通の人たちから生まれてくるものだからね。そういう人たちには、お金は無いけれど英知がある。ぼくは、音楽を作ることで世界中の英知を探求しようとしているんだ。同じことを、演技することでやっている人もいるだろうし、文章を書くことでやっている人もいるだろうけれどね。」

 世界中の英知を探ろうとしているショーターは、今また多作期に入っているように見える。昨年の『フットプリンツ・ライヴ!』に引き続き、今年の3月に『アレグリア』を発表するのも待たずに、彼はすでに次のアルバムに取りかかっているという。しかも今度は、大作になる可能性も秘めている。「もしかしたら2枚組になるか、2枚に分けて発表するかもしれない。音楽の色彩感としては『アレグリア』の延長線上にあると言えるだろうけれど、今度はもっと幅広い色彩感を持たせるつもりだよ。ピッコロとか、いろいろな楽器の音を使ってね――ベートーヴェンやリムスキー=コルサコフ、武満徹といった作曲家たちは、自分自身を消し去ることで、他のいろんな人間の姿が見えてくるような作品を書いていた。偉大な小説家も同じで、たくさんの人々について書くことによって、作家自身はその姿を完全に隠している。優れた小説というのは、男や女、子供たち、ときには動物たち、そして、それらを取り巻く環境を全部ひっくるめた世界を描いたものなんだ。ひとりの男とひとりの女に焦点を当てただけ、みたいな作品は、生命の本質に目を向けたものとは言えないね。」

 と、こんな調子で、ショーターの話はいろいろなところに跳ぶのだが、それは彼の感覚が、この世のあらゆるものに対して開かれていることを示している。逆に言えば、彼はあらゆる世界に身を置く、まさに遍在する(ユビキタスな)アーティストなのである。