エスペランサ・スポルディングは完璧なジャズ・ミュージシャンだ。『Chamber Music Society』(2010年)では室内楽に取り組み、洗練を極めた作/編曲で世界中を驚かせてみたかと思えば、2012年の次作『Radio Music Society』ではポップなグルーヴを披露してヒット・チャートにも名を連ねた。その2作の合間にはブルーノ・マーズやジャネール・モネイらの作品で美声を響かせているほか、近年もビリー・チャイルズによるローラ・ニーロのオマージュ作『Map To The Treasure: Reimagining Laura Nyro』(2014年)でウェイン・ショーターと共に神秘的な世界を描き、コリーヌ・ベイリー・レイが先頃リリースした最新作『The Heart Speaks In Whispers』でも唯一無二の存在感を発揮している。

しかし彼女は、ジョー・ロヴァーノやトム・ハレルといった現代ジャズの重鎮に起用されるほどのテクニックを併せ持ちながら、これまで自身の作品ではベース・プレイヤーとしての天才ぶりを積極的にアピールしてこなかった。そんなエスペランサが、自身の別人格であるエミリーを名乗って作り上げた最新作『Emily’s D+Evolution』では、ジャコ・パストリアスやスタンリー・クラーク、マーカス・ミラー以降は空位だったベース・ヒーローの座に名乗りを上げるかのような、暴力的なまでのベース・プレイにまず圧倒されるはずだ。彼女がこのプロジェクトで用意したのは、ドラマーのカリーム・リギンス&ジャスティン・タイソン、ギタリストのマシュー・スティーヴンスと自身のベースを主軸とした、エレクトリックでファンキーなブラック・ロックだった。スタジオ・ライヴでの一発録りを元に作り上げたという本作は、ジミ・ヘンドリックスやプリンス、ディアンジェロの延長線上にある、新しいギター・トリオ・ミュージックと呼べるかもしれない。5月30日(月)に大阪・梅田CLUB QUATTRO、5月31日(火)に東京・Zepp DiverCityで来日公演を行う彼女に電話インタヴューを敢行した。

ESPERANZA SPALDING 『Emily’s D+Evolution』 Concord/ユニバーサル(2016)

 

私はエミリーに仕えて、このプロジェクトに従事している

――『Emily’s D+Evolution』について、過去にNPRのインタヴューで〈これはジャズ・アルバムではないですよね?(It‘’s not really a jazz record.)〉と訊かれて、〈その通り(I agree.)〉と答えていたのが印象的でした。

「それについては、いまでも〈I agree.〉よ。まったくその通りだと思う」

――確かに一般的なイメージのジャズとは違いますが、〈ジャズ・ミュージシャンにしか作ることができない、何か新しい音楽〉をめざしているように映りました。〈Emily’s D+Evolution〉というプロジェクトを表現するために、どのようなサウンドを作ろうと考えたのかを改めて教えてください。

「サウンドのヴィジョンはもともと明確だったわ。もちろん、どんなサウンドでも何かしらインスパイアされてから発するものだけど、このプロジェクトは立ち上げた最初の頃にとても強烈なインスピレーションに襲われたの。それで、エミリーの世界観を表現するソニック・ピクチャー(音の絵)がすぐに浮かんできたから、どういう音になるか、どんな演奏をするべきかというのは最初からわかっていた。このアルバムの制作というのは、そのインスピレーションに生命を吹き込むような作業だったの」

――制作中にはどんなことを意識していましたか?

「(レコーディングした音が)どんな感じに聴こえるかよりも、その音がエミリーの望んでいる方向に向かっているか、という点ね。〈プロデューサー〉という言葉はあまり好きじゃないけど(笑)、ミュージシャンとして、あるいは作曲家やシンガーとして、私の仕事はキャラクターが望んでいる音を世に送り出すことだった。そして、作業におけるすべてのプロセスにおいて、エミリーに求められているサウンドを奏でるのに必要なものを投入したわ」

――エミリーとの対話が本当に大きいんですね。

「そうなの!  私はエミリーに仕えていて、何をどうすればいいのかは彼女が教えてくれる。自分の中に眠っている部分と対話するのは、とても有益なことだと思うわ。人によって方法はさまざまだと思う。〈おなかの調子はどう?〉みたいに自分の身体へ問いかける人もいるし、私みたいに自分の中の子どもと対話する人もいる。そして、私が話すのはエミリーなの。彼女の名前は(私の)ミドルネームに由来しているけど、私のミドル(真ん中)にいる存在だから確かにぴったりよね。彼女はなにか理由があってドアを叩いてきたと思うから、彼女の考えを尊重したいの。〈Emily’s D+Evolution〉がこれからも続くプロジェクトだとは考えてないし、だからこそ彼女が目的を果たせるように努めていきたい」

いまはとにかくベースを弾きまくりたい

――例えば『Chamber Music Society』(2010年)におけるストリングスのように、これまで発表してきた作品では整ったサウンド・デザインを全体的に意識している印象でした。一方で、『Emily’s D+Evolution』では作曲面や演奏、音色においてノイジーで歪んでいる部分が強調されている印象です。これにはどういう意図があったのでしょう?

「過去の作品と異なるものにしようという意図があったわけではなくて、彼女が望んでいる音楽を再現しただけ。私はエミリーに仕えて、このプロジェクトに従事している。だから私の唯一の仕事は、望まれている音楽を奏でるための決断を下したり提案を出したりすること。必要であれば音を美しくも醜くもする。ディストーションが必要であれば、もちろん使う。そういうふうに、サウンドに対するアイデアに純粋に従っていけばこのプロジェクトも上手くいくと信じているし、実際にそうなっていると思う。

あとは、すべての曲を同じバンドで演奏しているのよね。仮にアコースティックなギター・サウンドが求められる場合であっても、私たちはプロジェクトの進むべきサウンドを奏でているの」

――おっしゃる通り、バンドの核となっているのはあなたのベースとギター、ドラムの3人で、そのトリオによる引き締まったグルーヴがまず特徴的ですよね。それに加えて、立体的なコーラス・ワークも表現に彩りを加えていると思います。このような編成にした理由を教えてください。

「そんなに難しい話じゃないわ。まずは、エミリーが演奏しているところを想像してみた。それから〈どうしたい、何がしたい?〉って尋ねてみたら、〈I want to move〉(動きがほしい)と返事がきたの。だから、今回はエレクトロニックな作品になることが初めからわかっていた。〈どういう編成にしよう、誰にしようかな?〉みたいに決めたわけではなくて、〈どんなふうに響かせたいか〉〈エミリーはどんな動きを見せたいのか〉を真っ先に考えたの。それで迷うことなく、まずはマット(マシュー・スティーヴンス)の参加が決まった。カリームも同じような感じだったんだけど、彼が忙しくなったところで、マットが紹介してくれたジャスティンが完璧にハマったの。まるで、このプロジェクトのために生まれてきたかのようだったわ!」

ジャスティン・タイソンとBIGYUKI(平野雅之)らの共演ライヴ映像

――今回のアルバムについて以前インタヴューさせてもらったときに、「私自身はやりたいことがはっきり見えていたから無心で作業していたけど、それをバンド・メンバーにわかってもらうには説明もある程度必要だった」と話していました。マシュー・スティーヴンスやカリーム・リギンス、ジャスティン・タイソンなどのメンバーにはどういった指示を出したのでしょう?

「ハハハ、なんて言えばいいのかしら。虹のようにさまざまだったわね。例えば、みんなで一つの曲に向き合っているときに、私に何かしらのアイデアがあったら、それを隠喩やサウンドを用いて伝えるようにしていた。あるいは、一言一句細かく説明することもあったしね。メンバーはみんなとにかくオープンでクリエイティヴだし、なんでも試したがってくれた」

――具体的に言うと?

「例えば“Judas”のドラムのグルーヴ。あれは最初から私の頭の中にあったもので、それにカリームが命を吹き込んで仕上げてくれた。あの(曲の冒頭にある)〈チキチー・チキチー、タッ〉ってリズムも、私が少し口ずさんだら彼が拾い上げてくれたの。組み合わせはいろいろあるのよ。アイデアがはっきりとしている状態、まったくない状態、良くないアイデアに視覚的なアイデア、色彩や感情。〈弾くことすらできないような音〉とか〈まるでどこかから落ちそうになっているけど、必死に何かにしがみついているような音〉なんて伝え方もした。それらをどうやって再現するのか、みんなで考えるの。楽しい作業よ」

――エレクトロニックなサウンドを奏でるうえで、自分のプレイ・スタイルについて意識的に変化しようと心掛けた部分はありますか?

「そうね、いまでこそ〈演奏(プレイ)している〉と言える気がする。それまでは〈何をやってきたのかしら〉と思うところもあったし、過去を振り返ったら走って逃げたくなることだってある。昔の私は、ポテンシャルはあったけど洗練されていなかったんじゃないかな。ただ、それはそれでクールだったかもね。いまでも若いけど、もっと若かったときのことだから。

それで今回のプロジェクトでは、まず歌うことを学んだ。これには本当に助かっている。(ここ最近の活動で)ヴォーカルについてかなりの難題を突き付けられたことが何度かあったの。特に、ウェイン・ショーターとの作業はこれまでの音楽活動でいちばん難しいチャレンジだった。でも、そのおかげでものすごく成長できたと思う。

あとはポエトリー(作詞)ね。私は初心者の詩人なの。このプロジェクトに取り組んだことによって、たくさん歌詞を書くことになった。それには感謝している」

エスペランサとウェイン・ショーターが参加した、ビリー・チャイルズの2014年作『Map To The Treasure: Reimagining Laura Nyro』収録曲“Upstairs By A Chinese Lamp”

――ベースについてはどうですか?

「それも気付いたの――二流ではいたくない自分に。以前は求められていることを最低限やっていたかもしれないけど、いまはとにかくベースを弾きたい。弾きまくりたいと思っている。ベースという楽器に何ができるのか、とにかく探求しまくりたいの。そこは確かに新しいし、とてもエキサイティングよ」

――いまお話に出たように、あなたが弾くベースのサウンドも、これまでとはかなり変化している印象を受けました。機材はどんなものを使ったのでしょう?

「うーん、もともとそんなにメカ(機材)に頼るほうじゃないし。演奏そのものにまず重きを置いているの。使っているとしたら、フェイザー・ペダルを1種類。それも友達に強く薦められたもので、借りてみたらいい感じだったからレコーディングにも使わせてもらったけど、それだけよ。あとはもちろんアンプは繋いでいるけど、エフェクトは掛けていないわ」

 

所属する〈郵便番号〉が異なる作品でも、同じ世界を背負っている

――あなたはかつて、“We Are America”という曲をプリンスと共に共同制作していますよね。あなたにとってプリンスはどんな存在ですか?

※人権侵害がまかり通っていたキューバのグアンタナモ収容所の閉鎖を主張した2013年発表のナンバー。エスペランサとクリス・ターナー、プリンスの共作で、ミュージック・ビデオにはスティーヴィー・ワンダーやジャネール・モネイ、黒田卓也にハリー・ベラフォンテなどがカメオ出演している

「比較対象はまるでないわよね。〈天才〉というレッテルを貼られる人はたくさんいるけど、彼は真の天才なの。天才というものを具現化した存在ね。プリンスは天才でありながら、それを他人に向けて表現する術を知っていたのよ。どう扱ってどう提示するべきか、どう試せばいいのか、そしてどうリサイクルすべきかをすべて心得ていた。さらに、彼はとてつもなく寛大だったわよね。自分が持っている知恵やチャンスを独り占めしようとすることは絶対になかったし、役立つことは惜しみなくシェアしようとしていた。前途有望なアーティストへのサポートや、制作面でのアシスト、ライヴ出演や(協会)基金などへの寄付であったり、背中を後押しする言葉を送ったりね。〈与えれば与えるだけ得るものがある〉と彼はわかっていた。あれだけ多忙でビッグな人なのに、誰も知らないコミュニティーに顔を出したりもしていた。私はいつも彼にインスパイアされてきたわ」

――実際にプリンスと接したときのエピソードがあれば教えてもらえますか。

「あるとき、ジョン・ブラックウェルと一緒にジャム・セッションに招待されたことがあるの。プリンスはもともと祝日を祝わない人なんだけど、そのセッションは新年早々に三夜連続で行われた。私たち3人だけでひたすら延々と演奏していたの。自分でも思ったわ、〈新年のカウントダウンをしない年なんて初めて!〉ってね(笑)」

※2000年以降にプリンスのバンドを支えたドラマー。同じくプリンスに寵愛されたベーシストのニック・ウェスト率いるバンドに参加して、今年6月末に来日公演を予定

――それはすごいですね。きっとクリスマスも祝ったりしなかったんでしょうね。 

「ええ、そうね。でも彼は、毎日をセレブレイトしているの。本人が言ったのを直接聞いたわけではないけれど、彼はあらゆる人物や思想をリスペクトしていた。だからこそ、特定の祝日を祝う必要がなかったんだと思う」 

――あなたはもちろん、カマシ・ワシントンやロバート・グラスパー、あるいはケンドリック・ラマーやデヴィッド・ボウイなどの活躍もあって、新しい表現にチャレンジするジャズ・ミュージシャンが日本でも注目を集めています。あなたはそういった状況をどのように捉えていますか?

「まず、〈新しいジャズのムーヴメント〉としては捉えていないわ。なぜならジャズ自体がムーヴメントそのものだから。バリー・ハリスはロバート・グラスパーと同じだけ重要だと思うし。ただ私たちは、商業的な音楽フィールドで活動しているのも事実で、そのなかでジャズはこれまで同様、人気のジャンルからはいちばん遠いのよね。そんななか、時としてその〈言語〉に長けていて、上手く演奏できるアーティストが出現することでジャズの領域を飛び越えて人気を集めることがある。何か真新しいことをやっているわけではなくて、どんなジャズ・アーティストでもやっていることを自分なりのアプローチで表現しているだけなんだけど、それがたまたま広くアピールしたりするものなのよね」

※リー・モーガンやデクスター・ゴードンらの歴史的名盤に参加した、1929生まれのビバップ・ピアノの巨匠

――なるほど。

「私はどんなレコードでも、すべてが新しいと思っている。所属する〈郵便番号〉が異なる作品でも、同じ世界を背負っているの。ロバートもカマシも好きよ。でも私のサウンドが〈新しいサウンド〉というふうに扱われるのは、少し違うと思う。音楽は作り手を反映した有機体だし、私たちが変化を続けているということは音楽も変化を続けているということだから。あ、でもそういう考え方に共感するのはどちらかというと、そこまで若くない人たちかもしれないわね。いまの商業的な世界では、なぜか若さと目新しさが一種のクオリティーだと捉えられている。だから若くて目新しいことをやっている人が登場すると、みんな飛びついてしまうのよね」

――〈Emily’s D+Evolution〉としての来日公演は、昨年9月の〈第14回 東京JAZZ〉以来2度目となります。前回のライヴからどのような変化が期待でありそうですか?

「ショウの構成自体が変わっているから、演奏も何かしら変わってくるわね。あとは観客も少し入れ替わっているんじゃないかしら。〈東京JAZZ〉の時は来なかったけど、今回のアルバムを聴いて興味を持ってくれた人もいるかもしれないし。日本にまた行けるのはとても嬉しいわ。楽しみにしている」

2016年3月にNYで開催されたショウケース・イヴェント〈First Listen Live〉のフル映像。ライヴ・レポートはこちら

 


LIVE INFORMATION
Esperanza Spalding Presents: EMILY’S D+EVOLUTION

■大阪公演
2016年5月30日(月)大阪・梅田 CLUB QUATTRO
開場/開演:18:00/19:00
スタンディング:7,000円(税込/ドリンク代別)

■東京公演
2016年5月31日(火)東京・青海 Zepp DiverCity (TOKYO)
開場/開演:18:00/19:00
1Fスタンディング/2F指定席:7,000円/7,000円(いずれも税込/ドリンク代別)

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