1970年代、もっとも若い世代の、この列島の作曲家のひとりとして近藤譲がいた。三枝成彰や池辺晋一郎のあと、佐藤聰明、長与寿恵子とおなじ年代として名があり、ある漠然としたくくりで、ミニマルやモーダルとして認識されもした。そんななか、近藤譲は積極的に文章を発表した。みずからの作品について、音楽を思考することばを綴った。じしんは、じぶんが作曲でやったことをことばで追認したと言うのだったが、どのようにだったとしても、思考と美学、作曲と実践をこのようなかたちで示された衝撃はつよかった。いまはなき「エピステーメー」誌(「フィルム&トーク」で対談する小林康夫は、作曲家とともにこの雑誌の常連執筆者だった)の連載を、わたしのまわりの知人たちはコピーして自前の本にさえしていた。冒頭の一文、「聴こえない音を夢見ることはできても、聴こえない音で出来た音楽を見付けることはできない」にシビれ、大きく頷いた若者はすくなくなかった、とおもう。わたしは、そのひとりだった。

 連載は単行本『線の音楽』(朝日出版社、現在はアルテスパブリッシング)になり、初版(1979年)の帯には武満徹が文章を寄せていた。

 昨年の「パリの秋」芸術祭で、近藤譲の音楽は、そのつめたさに反する熱い注視を浴びた。そのユニークさは、音楽の実体である観念とその顕在化である音との間に、何ら便宜的な回路と言うものが存在していない点である。私たちは、無に縁どられた線によって形づくられる透明な音の層を聴く。

 コンポージアムでは、放送初演いらい、公開での初演奏となる《鳥楽器の役割》(1974)──作曲家はまだ20代!──から、世界初演の2作品まで、5曲が披露される。近藤譲のオーケストラ作品にふれる機会は多くない。だがこの作曲家のプロフィールには「高校生の時に、初めて生のオーケストラの響きを聴いた瞬間に作曲家になることを決意」(「ものがたり西洋音楽史」)とある。作曲家の永年の作品の変化と変化のなさ、またそれ「以上」をここに期待するのは聴きて次第かもしれないにしろ。

 東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメ モリアルでの演奏でもあるから、作曲家のタイトルやイメージについての考えをならべてみてもいいだろう。近藤譲が書いた武満徹についての文章の冒頭から引く。

 私にとって、音は、空地の雑草、枝から舞い上った雀が過る青空の積乱雲、ブロック塀にへばりつくどんてんの午後の蜥蜴、道端の石ころ、要するに、自分の周りにどこにでも転がっているものだが、武満徹にとってはそうではないらしい。彼の音楽を聴くとき、私はいつもそう思う。

 1981年に書かれた文章(「武満徹の音楽」)だが、5年前の1976年、武満徹との対話のなか、近藤譲はこう発言している。最近《歩く》という曲を書いて、との文脈から──

 (…)ぼくは波とか樹とか、詩的なイメージを喚起してくるようなものを模倣していってあるメタフィジックスに到る、という考えかたをしない。むしろひとの日常性、まあ、日常性と言うのはいろいろな意味があり得るけれど、例えば歩くとかね、……そういうものがつくるリズム、それは具体的で、波がつくるような詩的なイメージとは全然関係がないのだけれど、そうしたリズムと、ある音の関係がつくりだす音楽のリズムと、ある音の関係がつくりだす音楽のリズムとの類似性、つまり映画で演じられるような意味での演じられた日常性ということを考える。

 音楽作品のタイトルひとつ、タイトルと音たちを編成した作品との関係、それだけでさえ、作曲家が考えていることはこんなにも隔たりがある。その驚き。そしてすこし飛躍するが、わたしがまた近藤譲のことばから想起するのは、ジョン・ケージのことであり、昨年亡くなった一柳慧だったりもする。それは日常、ひとが生きている日々のもろもろ、と、音・音楽のこと──なのだが、それはまたべつのはなし。

 近藤譲作品を聴くのは、他の作曲家の作品とは違った神経を、集中を必要とする。私感では。作曲家じしんもそうではないか、とおもう。ひとつひとつの音を「聴」いていくことによる集中と消耗、か。

 ある近藤譲の作品を聴いたとき、作曲家に、感情移入云々と伝えたことがある。近藤さんは、感情移入なんてしないでくださいよ、と、アイロニカルな笑みを一刹那浮かべ、すこし困ったように、応えられた。そうか、そういうところでつくられているわけではないんだ、そういう音楽ではないんだ、と、遅ればせに気づいたのは、いつだったか。

 でも、それだけではない。近藤譲作品を、単独ではなく、まとめてふれることで浮かびあがるものもある。リズム(なるもの)のありかた、音色への嗜好(偏愛するカウベル!)、個々の音のきれ/つながり、ときに電子音響を連想させるひびき、各パートの「きく・ひく」ことの相互性……。

 音楽は、音楽作品は、どんなふうに聴いたってかまわない。また、聴きかたをどうしたらいいのか、どう聴きかたを変えたらいいのか、わからないことだって、ないわけではない。かならずしも作曲家の「意図」とは関係はなく、その音楽なり音楽作品なりがおもしろくないとするなら、おもしろくなるような聴きかたがあるのではないか、おもしろくはないかもしれないながらも、何らかの違った聴きかたがないものか、試してみる(ことはできるかもしれない)。聴く側がみずからをチューニングする、というようなこともありうる。音楽作品をとおしてみずから変わることもまた。

 ほんとうは、甘美なメロディが弦で奏でられるところどころに、カウベルがうちこまれるTVドラマのテーマ曲とか、コンサート用作品とはべつの機会につくられた音楽も、コンポージアムのフリンジ公演で演奏されると良かったんだけれども。

※このコラムは2023年4月20日発行の「intoxicate vol.163」に掲載されている記事の拡大版です

 


近藤譲(こんどう・じょう)
東京藝術大学卒。ロックフェラー3世財団、ブリティッシュ・カウンシル等の招聘でニューヨーク、ロンドン等に滞在。内外の多くの音楽祭にテーマ作曲家として招かれ、様々な主要機関・演奏団体から作曲委嘱を受けている。140曲を超える作曲作品のほぼ全ての楽譜がイギリスのヨーク大学音楽出版局(UYMP)を中心に出版され、多くがCDに録音されている。文筆も手掛け、主な著書に『線の音楽』『聴く人』『ものがたり西洋音楽史』等、又、訳書も多い。1991年尾高賞、2005年中島健蔵音楽賞、2018年芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2012年には、アメリカ芸術・文学アカデミー外国人名誉会員(終身)に選出。現在は昭和音楽大学教授、お茶の水女子大学名誉教授。日本現代音楽協会理事長。

 


寄稿者プロフィール
小沼純一(こぬま・じゅんいち)

早稲田大学文学学術院教授。音楽文化論、音楽・ 文芸批評。今年3月、アルテスパブリッシングより『小沼純一作曲論集』を上梓。『しかが』(七月堂)もこの号がでるくらいには、と。近況……あいかわらずあらゆるライヴ/コンサート、ダンス/演劇、映画、とは無縁に暮らしています。買い物にでるのもなかなかむずかしい。ほぼ寝たきりの老母をひとり息子が介護するのは、想像いじょうのものが。

 


LIVE INFORMATION
コンポージアム2023 近藤譲を迎えて
フィルム&トーク

2023年5月23日(火)東京・初台 東京オペラシティ リサイタルホール
開演:19:00
《A SHAPE OF TIME – the composer Jo Kondo》(2016年、約100分 日本語字幕付)
監督:ヴィオラ・ルシェ/ハウケ・ハーダー
出演:小林康夫(哲学者、東京大学名誉教授)/近藤譲
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15707

近藤譲の音楽
2023年5月25日(木)東京・初台 東京オペラシティ リサイタルホール
開演:19:00

■曲目
近藤譲:牧歌(1989)
近藤譲:鳥楽器の役割(1974)
近藤譲:フロンティア(1991)
近藤譲:プレイズ・オブ・シェイクス(2022) *[世界初演]
近藤譲:パリンプセプト(2021)*[世界初演]

出演:ピエール=アンドレ・ヴァラド(指揮)/読売日本交響楽団/国立音楽大学クラリネットアンサンブル(ソロ:田中香織、佐藤拓馬、堂面宏起)
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15708

2023年度武満徹作曲賞本選演奏会
2023年5月28日(日)東京・初台 東京オペラシティ リサイタルホール
開演:15:00
審査員:近藤譲
出演:角田鋼亮(指揮)/東京フィルハーモニー交響楽団

■ファイナリスト
ギジェルモ・コボ・ガルシア(スペイン):Yabal-al-Tay
マイケル・タプリン(イギリス):Selvedge
山邊光二(日本):Underscore
ユーヘン・チェン(中国):tracé / trait
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15709

[共催公演]
近藤譲 室内楽作品による個展
2023年5月26日(金)19:00開演 東京オペラシティ リサイタルホール
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15741

近藤譲 合唱作品による個展
2023年5月30日(火)19:00開演 東京オペラシティ リサイタルホール
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15742